第12話 オアの大陸の勇者と魔王⑤
─4ヶ月前の19時。
石畳を叩く足音と夕食を求める人々の喧騒の中で、談笑をしながら食事処へと入ってきた勇者一行。店内をぐるりと見回して、その前に席を確保しに訪れていたユナを発見してミナポが手を振ろうとしたが、ユナが誰かと親しげに会話をしていたので思わず口ごもりをした。ペルシャはペルシャで何かの殺気に当てられたように「ヒッ…….!」と怯えた。
──という光景を、勇者とミヨクは遥か上空の物理法則を無視した視点から見下ろしていた。
「な、なんだこれ……。なんで俺たちが空中に浮いてるんだ?」
「お前の記憶の中だよ。あそこにいるのが4ヶ月前のお前たちパーティ。それで今ここでお前と一緒にそれを眺めているのが、現実のお前と俺」
「時の魔法か?」
「そう。時の魔法」
「……でも、なんで俺が俺を見下ろす事ができるんだ? 俺の記憶なら、俺の目線はあっち(地上)になきゃいけないだろ? なんで上からの客観的な視点なんだよ」
「……そういうのも引っくるめて魔法なんだ。細かい事を言うなよ。魔法の時点で既に人智を超えているんだから。魔法に論理を求めるなよ。そういうものなんだ、で納得しておいてくれよ。なにせ魔法なんだから」
「そ、そう言われたらそうだよな……。ミナポだって何もないところから風の鎌みたいなものを放つし、ユナだって手で触れただけど擦り傷とか治してくれるし……。ま、魔法だもんな」
「そう。不自然なのが魔法。理解してくれた所で、核心に触れるまで時間を巻き戻すよ」
ミヨクがそう言って指を鳴らす。
刹那、世界の色彩が反転し、音を立てて逆行を始めた。客たちの笑い声は不気味な呪文のような雑音へと変わり、勇者パーティは糸に引かれる操り人形のように後ろ向きで店を出ていく。テーブルを挟んでユナと談笑していた対象物のそれが椅子から立ち上がった瞬間、ミヨクは「ここだ」と呟き、時間の逆流を止めた。
そして、再生。
「……い、いや、その前に……お、俺が外に出ていったけど、いいのか? これ俺の記憶だよな? 俺がいなくなったら、それはもう俺の記憶じゃないんじゃないのか?」
「問題ないよ。現にこうして、俺もお前も店内の様子を、俯瞰したままだろ? お前の脳が覚えていなくても、世界が覚えている事をお前の記憶から引き出しているんだ」
「……魔法だからか?」
「そう。魔法だから」
不自然が魔法。勇者はなにか詐欺師の巧妙な嘘を聞かされている気分になっていたが、自分にそう言い聞かせる事でなんとか正気を保った。
それに、「それよりも、ほら。アイツが彼女の前の席に座ろうとしているよ」と、話はどんどん進んでいくし。
アイツ──仮面を被った「アイツ」。腰まで届く髪は光を吸い込むような深淵のように黒く、タートルネックとズボンに包まれた四肢は驚くほど細く、わずかに覗く肌の色はまるで死人のように透き通る白さだった。
「これがファファルって奴か? 女なのか?」
「そう、ファファル。いつからか仮面を被ったのかは忘れたけど極度の男嫌いの女。それより、ここからじゃ声が聞こえないから近くに行こうか」
ミヨクはそう言うと景色を一時停止させた。
2人は急に重力を纏ったかのよう地上へと降り立ち、静止した空気の中を歩いてユナの席へと向かった。そしてミヨクと勇者はユナを挟むように座った。ちなみに勇者の身体はミヨクの指先の動き一つで、意思に関係なく催眠術にかかったように動かされていた。
「……」
「ところでお前。すぐ隣に好きな女がいるからって、舞い上がるなよ。面倒くさいから」
「……いや、状況が異常すぎてそんな余裕ないから。むしろ頭の容量がパンクしそうで逆に凄く冷静だ。……って、勝手に俺の身体を動かすな! 一時停止ってなんだよ! コエーよ!」
「ここはお前の記憶の中だけど、あくまでも俺の魔法だからね。この空間において、お前の身体の所有権は俺にあるんだ」
ミヨクはそう言うと、まるでその証拠を示すかのように勇者の身体を割と複雑に動かして遊び始めた。
「……そろそろヤメろ」
自分の人差し指が鼻の穴に侵入してきた時に、勇者は怒りを通り越した無力感の中でそう告げた。
「──当然、俺たちの姿は誰にも見えていないんだろうな? ユナにも、あの不気味な女にも」
「それは当たり前。なにせここはお前の記憶の中なんだから。現実じゃないんだから。しかも今は一時停止中だし」
ミヨクのその発言に勇者はそろそろ混乱しそうになったのだが、取り敢えずは魔法だから、で済ます事にしておいた。
勇者は目の前の仮面の女を見つめた。まるで顔が闇に包まれているような深い黒色をした不気味な仮面を。唯一目の部分は開いていて、そこからは瞳の色が確認できた。黒と銀。特に左目の銀色は唯一の異色であり、故により一層の不気味さを感じた。しかもその瞳、先ほどからずっと視線が重なる気もした。
「……み、見えてないんだよな? この仮面の女に妙に見られている気がするんだけど、本当に見えてないんだよな?」
「見えない。ここはお前の記憶の中だから絶対に見えない。そもそも見える見えないの概念が存在しない。一時停止中だし。ただ俺もさっきから目が合ってるような気がするけど絶対に気のせい。ファファルの不気味さによる錯覚としか言いようがない。それよりも、そろそろ一時停止を切るから静かにね。2人の話し声が聞こえないから」
──再生開始。
すぐにユナが目の前のファファルに声を発した。
「あっ、す、すいません。気分を害してしまいましたか? さっきからため息ばっかりついて、私ったら気持ち悪いですよね。すいません。食事の席なのに陰鬱とさせてしまったみたいで……」
ユナは慌てふためき指先を弄んでいた。だが対面に座ったファファルは表情の見えない漆黒の仮面の奥から、落ち着いた、しかし冷徹な鈴の音のような声で応えた。
「いいえ」
「あっ、違うんですか? てっきり私ったら怒らせてしまったんじゃないかと思ってました。だっていきなり私の席までやっくるから……でも表情が分からないからよく分からなくって、取り敢えず謝っておこうと……されにもう座っちゃってますし……あっ、もしかして相席の希望ですか? だとしたら──」
「違うわ。あなたが何か悲しそうな顔をしていたから、心配で声を掛けに来ただけよ。ねえ、何でそんな悲しい顔をしていたの? 女が悲しい顔をしているのは吾は嫌いよ。吾でよかったら聞かせて。初対面の他人にしか、吐き出せない毒もあるでしょう?」
「わ、吾……? あっ、いえいえ……いや、そんな初対面の方に……えっ、でも……えっ、い、いいんですか……? いやいや、ダメですよね? 本気にするなって感じですよね? 初対面ですものね……でも、えっ、本当に、本当に聞いてもらってもいいですか?」
「ええ。初対面だから話しやすい事もあるわよね」
「あ、ありがとございます。聞いて下さい。実は──」
それは最近のストレスについてだった。




