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5人の「万年二番手」から学んだ勇者が魔王を倒せた理由


 目の前にそびえ立つ魔王城の門はとんでもない威圧感だ。ここから先は敵の本拠地。


 俺――ブレイブは唾を飲み込む。


 ここまで一緒に戦った仲間たちは城に続く橋の前で魔王軍の幹部を足止めしてくれている。

 この門をくぐるのは俺一人。


『無謀だな』


 魔王の声が頭に響く。

 嘲笑うような、それでいてどこか楽しそうな声色。


『貴様はなぜ一人で来た?』


 普通ならここで怖気づくが俺は落ち着いていた。

 不思議と心は静かだ。


「一人じゃないさ」


 俺は独り言のように呟いた。


「俺には五人の師匠がいる。その教えが俺の中にある限り一人じゃない」


 そして巨大な門の取っ手に手をかける。


 五人の師匠。

 彼らには奇妙な共通点があり、決まってこう自己紹介した。


「自分は、二位だった」と。



 ◇



 最初の師匠は剣術の師ギルバート。


 俺は十二歳の時、最強の剣聖に弟子入りしようと王都の道場を訪ねた。

 結果は門前払い。


 才能なき者に教える時間はない、という一言で俺のプライドは砕け散った。


 道場の前で膝を抱えていると、一人の男が声をかけてきた。

 それがギルバート。騎士団の副長でありながら影のある男だった。


「剣聖か。懐かしい名だ」


 彼はそう言って俺の隣に腰を下ろした。


「俺は生涯あいつに勝てなかった」


 それが彼の自己紹介だった。


 剣聖に次ぐ「二位」。それがギルバート。


「剣聖に弟子入りしたいか。やめておけ」

「あんたに何がわかる!」


 俺は八つ当たり気味に叫んだ。

 ギルバートは怒るでもなく静かに言う。


「あいつは天才だ。だからお前がなぜ剣聖になれないのか、あいつには理解できない」


 俺は言葉に詰まる。


「俺は違う。俺は才能じゃ勝てなかった。だからあいつに『なぜ負けたか』を千回分析した」


 彼は俺に向き直る。


「お前にはその千回分の失敗を教えられる」


 そう言って俺を弟子として鍛えてくれた。



 ギルバートの修行は独特だった。

 完璧なフォームの反復練習は早々に切り上げられ、徹底的に叩き込まれたのは別のことだった。


 型が崩れた時の立て直し方。

 不利な地形で戦う方法。

 剣が折れた時の対処法。


「完璧な戦いなど幻想だ。実戦は常に不利な状況から始まる」

「剣聖は負けを知らない。だから負けそうな時の戦い方を知らない」


 ギルバートは木剣を構える。


「俺が教えるのは勝つための剣じゃない。『負けないための剣』だ。生き残るための技術だ」


 彼の教えが俺の剣の礎となった。




 二人目の師匠は魔法の師ノエル。


 剣術の修行を続けながら俺は魔法学院の入試に挑んだ。結果は惨敗。

 魔力測定で平凡以下の烙印を押される。

 またしても才能の壁。


 そんな俺を拾ってくれたのがノエルだ。

 彼女は宮廷第二魔術師。

 常に大賢者ワイズマンの次席に甘んじてきた「二位」の魔術師だ。


「大賢者ワイズマンは天才よ。呪文を一度聞けば再現できる」


 彼女は研究室で試験管を振りながら言った。


「でも天才だから『なぜできないか』理解できないの」


 試験管の中身が鈍い紫色に変わる。


「私は凡人だった。だから『どこでつまずくか』がわかる」


 彼女の修行はギルバートの時と同じく異様だった。


 魔力が少ない時の効率的な術式。

 失敗した時のリカバリー。

 不利な相手への対処法。


 学院で教えるような派手な魔法はない。

 あるのはただ地味で燃費の良い技術だけ。


「魔力が多いやつは力押しでなんとかなる。でも私たちは違う」


 ノエルは俺の魔術の考え方にびっしりと修正を入れていく。


「つまずいた生徒を拾い上げられるのはつまずいた経験がある者だけよ」


 彼女が教えてくれたのは天才たちと渡り合うための唯一の戦術だった。




 三人目の師匠は治癒の師シスター・マリア。


 剣と魔法を中途半端に習得した俺は冒険者としてそこそこやれる気でいた。

 だが慢心して魔物の群れを相手に深手を負って動けなくなった。


 治癒魔法を使おうにも魔力は戦闘で使い果たした。

 死を覚悟した俺を助けてくれたのがマリアだ。


 彼女は聖女エルミナの補佐役を三十年した女性。

 聖女に最も近いと言われ続けた「二位」のシスター。


 彼女は俺の傷を見るなりテキパキと処置を始めた。


「聖女様は祈るだけでどんな傷も治せるわ。奇跡の力でね」


 血を拭って薬草をすり潰し、手際良く包帯を巻いていく。

 その手つきに一切の無駄はない。


「でも私は違う。包帯の巻き方や患部の見極め。全部この手でやってきた」


 俺は痛みに呻きながら彼女の作業を見つめた。


「奇跡は何度も続かないものよ。でも技術は裏切らない」


 動けるようになった俺は彼女に弟子入りを志願した。


 魔力に頼らない応急処置。

 限られた資源での治療法。

 激しい痛みと付き合いながら戦うための呼吸法。


 マリア様が教えてくれたのは泥臭い「看護」と「生存術」だった。

 彼女の教えがなければ俺はとっくの昔に野垂れ死んでいたはずだ。




 四人目の師匠は戦術の師バルトロメオ。


 冒険者パーティのリーダーとして模擬戦大会に出た。

 結果は惨敗。相手の陽動で為す術もなく敗北した。


「お粗末な負け方だったな」


 そう言って俺に戦術書を貸してくれたのが元将軍のバルトロメオ。


 彼は戦術の天才ハンニバルに常に一歩及ばなかった軍師。「二位」の経歴を持つ男だ。


「ハンニバルは勝つ方法を知っている。百の戦術で百の勝利を掴む天才だ」


 彼は古い地図を広げながら言った。


「だが俺は負ける理由を千知っている」


 バルトロメオの修行は勝つためのものではなかった。


 撤退の最適なタイミング。

 敵の罠とこちらの油断の見抜き方。

 不利な状況で被害を最小限に抑える判断基準。


 彼は常に「最悪」を想定させた。


「勝ちを急ぐな。勝ち筋が見えた時こそ足元を掬われる」

「英雄は勝ち方を語る。だが生き残るのは負けない者だ」


 俺は彼から生き残るための思考を学んだ。

 派手な勝利ではなく確実な生存を選ぶ思考を。




 五人目の師匠は心の師である老僧ザイン。


 魔王討伐へと旅立つ前の年のことだ。

 俺は「勇者」と呼ばれ始めていた。

 だがその期待が重圧となり、俺の心は折れかけていた。


 才能のない俺がなぜ。

 失敗ばかりの俺がなぜ。


 そんな時、山奥の寺で出会ったのがザイン様。

 彼はかつて勇者候補だったが最終選考で選ばれなかった男。


 ここでもまた「二位」だった。


「人から選ばれただけの勇者は挫折を知らない」


 彼は静かにお茶を淹れながら言った。


「だから心が折れた時に立ち上がれない」


 俺は彼の前で初めて弱音を吐いた。

 怖いのだ、と。


「それでいい」と彼は言った。


「お前には『折れても立ち上がる方法』を教えよう」


 彼の修行は瞑想と絶望との向き合い方だった。


「恐怖を認めろ。怖いのは当たり前だ」

「逃げることも立派な戦術だ。恥じることはない」

「本当の勇気とは恐怖を知らないことじゃない。恐怖を知った上でそれでも一歩前に進むことだ」


 ザイン様の言葉が俺の最後の支えとなった。



 ◇



 そして俺は魔王の前に立っている。

 五人の師匠の教えを胸に。



 魔王との一騎打ちはまさに危機の連続だった。


 魔王の一撃が俺の剣と激突する。

 凄まじい衝撃にバキンと嫌な音がして、愛剣に深いヒビが入る。


 普通ならここで終わりだ。武器を失えば戦士は死ぬ。

 だが俺は冷静だった。


 崩れた時の立て直し方。

 俺は即座に剣の握りを変え、剣身の折れていない部分を使った刺突に切り替えた。

 壊れた剣でも戦える構え。



 ――負けないための剣がここで活きた。



「小賢しい!」


 魔王が第二形態へと姿を変える。

 凄まじい魔力の奔流。

 俺は魔法で対抗するが連戦で魔力が底をついた。


 魔法が使えない……!


 だが焦りはなかった。

 ノエル師匠の顔が浮かぶ。



 ――魔力がない時こそ、基礎に戻れ。



 俺は最小の魔力で構築できる基礎術式に切り替えた。

 最大効率の防御結界。

 派手な攻撃魔法は撃てない。

 だが致命傷は防げる。


「しぶとい!」


 戦いの最中、魔王の呪われた爪が俺の腹部を切り裂いた。

 激痛が走る。

 治癒魔法が効かない。


 呪いか…!


 だが俺は背負った鞄に手を伸ばす。

 シスター・マリアの教え。



 ――奇跡がなくても、技術で生き延びる。



 魔力に頼らない応急処置。

 血は滲む。だが死なない。まだ戦える。


「なぜ倒れん!」


 魔王が焦り始めたのが分かった。

 視界が歪む。

 魔王の隙が見えた。


 勝った……!


 俺は最大の一撃を叩き込もうと踏み込む。

 その瞬間足が止まった。

 待て。バルトロメオ師匠の言葉が蘇る。



 ――勝ちを確信した時こそ罠を疑え。



 これは幻術だ。

 俺は一歩下がり、幻術の核を見極める。

 危なかった。あのまま踏み込めばカウンターで首が飛んでいた。


「……っ!」


 何度倒しても魔王は蘇る。

 こちらの攻撃は通じているが削り切れない。


 絶望が俺の心を塗りつぶそうとした。

 怖い。もう立ち上がれないかもしれない。


 ああ、怖いな。


 俺は震える足を認めた。

 ザイン様の教えだ。



 ――恐怖を認めろ。それでも進め。



 俺は震える足でもう一度剣を構え直した。



 ◇



 どれだけの時間戦っていたのか分からない。

 だが俺は満身創痍で魔王の心臓に、確かにヒビの入った剣を突き立てていた。


「なぜだ」


 魔王が、黒い血を吐きながら呆然と呟く。


「お前は弱い。魔力がない。奇跡もない。天才のような閃きもない…!」


 その通りだ。

 俺は「一位」の弟子じゃない。


「なのになぜお前は何度倒しても立ち上がる!」


 俺は荒い息をつきながらやっとのことで答える。


「…師匠の教えがよかったのかもな」


 魔王は最期にフッと笑った。


「どんな状態でも立ち上がり、勇気を胸に無謀な戦いに勝利する、か」

「……」


「勇者と呼ぶにふさわしい男だった。見事だ」


 そう言って魔王は塵と消えた。



 ◇



 俺は勇者として凱旋した。

 王宮での祝賀会は盛大だったが、俺は早々に会場を抜け出した。

 

 会いたい人たちがいる。

 

 

 最初に訪ねたのはギルバート師匠。

 騎士団の訓練場で今日も若い騎士たちを鍛えている。


「師匠」


 俺が声をかけるとギルバートは振り返り、少しだけ目を細めた。


「生きて帰ったか」

「はい。師匠のおかげで」

「俺は何もしていない。お前が学んだだけだ」


 いつもの素っ気ない口調だがその目は温かかった。


「剣が折れたか?」

「はい」

「それでも戦えたか?」

「はい」


 ギルバートは満足そうに頷いた。


「それならば教えた甲斐があったな」

 


 

 ノエル師匠の研究室。

 相変わらず試験管と格闘している彼女に俺は報告した。


「魔力が途中で尽きました」

「それで?」

「基礎術式で凌ぎました」


 ノエルはくるりと振り返り、にっこりと笑った。


「よくできました。百点」


 その笑顔が少しだけ誇らしげだった。

 


 

 シスター・マリアの診療所。

 傷だらけの俺を見て彼女は大げさに溜息をついた。


「また無茶をして」

「すみません」


 彼女は俺の傷を手際よく処置しながら小さく呟いた。


「でもちゃんと応急処置はできているわね」

「マリア様の教え通りに」

「奇跡なしでよく生き延びたわ」


 その声はどこか嬉しそうだった。



 

 バルトロメオ老師の屋敷。


「魔王の罠は見抜けたか?」


 俺の報告に彼は満足そうに頷いた。


「勝ちを急がなかったな」

「はい」

「よし。生き残る者は勝ちを急がん」


 彼は古い地図をそっと閉じた。


「お前は立派に生き残った。それが全てだ」

 


 

 最後に訪ねたのは山の寺のザイン様。

 俺が境内に入ると彼はいつもの場所でお茶を淹れていた。


「怖かったですよ」


 俺は正直に言った。


「それでいい」


 ザイン様は俺に茶を差し出す。


「恐怖を認めた上で進んだのだろう」

「はい」



「ならばお前は本当の勇者だ」


 

 俺たちはしばらく黙ってお茶を飲んだ。

 

「師匠」

「ん?」

「五人とも『二位』でしたね」

「五人?」

「ギルバート師匠もノエル師匠もマリア様もバルトロメオ老師も。皆『二位』でした」


 ザイン様は少しだけ驚いたようだった。

 そして静かに笑った。


「そうか。お前は五人から学んでいたのか」

「はい」

「それは」


 彼は遠くを見た。


「それは幸運なことだ」

 

 夕日が寺を赤く染めていた。

 

「我々は一位にはなれなかった」


 ザイン様がぽつりと言った。


「だがお前という勇者を育てることはできた」

「俺は」


 俺は首を横に振る。


「俺は最強じゃありません。今も師匠たちに及ばない」

「それでいい」


 ザイン様は優しく笑った。


「二位のままでいい。そうすればお前は次の世代を育てられる」

 

 俺はその言葉の意味を噛みしめた。

 

「勇者とは勝ち続ける者ではない」


 ザイン様は立ち上がる。


「負けても立ち上がり続ける者だ」

 

 山に静かな風が吹いていた。

 


「そしてそれを教えられるのは」


 俺は師匠の言葉を継いだ。


「負けを知る者だけだ」


 

 ザイン様は満足そうに頷いた。

 

 二人で夕日を眺めた。


 師匠と弟子として。

 そして、同じ道を歩む者同士として。



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