第9話 敵キャラ(夫)は狡猾です
愛人ノートが消えた。確かに設定ノートが消えるよりはマシだが、どういう事だ。
改めて書斎の本棚、机の引き出し、床も調べてみたが、愛人ノートなどない。一応、この部屋に誰かが入った痕跡も調べてみたが、何も出てこない。
「おかしいわね」
あのノートにはブラッドリーの過去の不貞の数々が記録されている。数え切れないぐらいの愛人データと、密会場所、ブラッドリーと知り合ったきっかけ等も書き込まれていた。フローラの執念の愛人調査の結果の一冊。
こんなノート、他人から見たら何の価値もないが、ブラッドリーや愛人にとっては、不貞の記録だ。これだけで社会的抹消も可能ではないか。愛人デスノートか。
ただ、過去の記録だ。はっきりと画像や音声、手紙があるわけでもない。離婚裁判の証拠となると、少し弱い。メンヘラフローラの妄想ノートと言われたらそれまでだが、これはブラッドリーが盗んだ可能性が高いのだろうか?
私はすぐに書斎から出ると、公爵家のキッチンへ向かった。
「あら、フィリスもアンジェラもいないわね」
キッチンの作業台では野菜や調味料が放置されたまま。明らかに作業中にどこかへ行った可能性大。
とりあえず、キッチンから出て次は庭の方へ回る。ハーブ畑に人影があった。
「エリサじゃない」
大きな籠を背負ったエリサがいた。籠の中にはシーツやパジャマが詰めこまれ重そうだ。仕事中だったらしい。
「エリサ、こんにちは。いいお天気ね」
私は笑顔で挨拶しただけだった。なぜかエリサの目が泳いでいた。これは何かある。愛人ノートについても知っているかも。
「愛人ノートが消えたのよ。エリサ、何か知らない?」
「さあ、知らんね」
エリサはもう目は泳いでいない。伯爵令嬢のフィアンセが浮気男という噂を話して帰っていった。
正直、この噂話、面白い。浮気しているくせに、フィアンセは甘い言葉を吐き、たくみに伯爵令嬢を騙しているという。モブキャラとして噂話にワクワクしてしまう。
「って、違うし。伯爵令嬢はどうでもよくて、愛人ノートを探さなきゃ」
一応、ハーブ畑も見てみたが、愛人ノートなど全く落ちていない。逆に繁殖したミントが気になり、ついつい間引くほど。
清々しいミントの香りを吸い込みながら考える。エリサも多少怪しかったとはいえ、彼女が愛人ノートを盗んでも何の得もない。噂話のネタにはなるが、いくら何でもそこまでしないだろう。モブキャラとして噂好きの私だからわかる。エリサは白だ。
「となると、ブラッドリーか愛人がノートを盗んだ可能性大ね」
ハーブ畑から公爵家の門まで歩く。門は施錠されていた。メイドのアンジェラとフィリス、洗濯婦のエリサ以外は立ち入れないだろう。
一応、裏手に向かい、メイド達が出入りする裏門も観察してみたが、ちゃんと施錠されていた。足跡も部外者のものはなさそう。
「やっぱり、犯人はブラッドリーね。浮気がバレるのを恐れて、盗んだんだ。盗んだというより、ブラッドリーにとっては隠したという感じでしょうけど」
ため息をつきながら、勝手口からキッチンへ戻る。アンジェラやフィリスは戻ってきたらしく、二人とも野菜を刻んでいた。調味料の一部が切れ、買い出しに行ってきたらしい。
「ブラッドリーは家に帰ってきた?」
一応アンジェラに聞く。今日の午前中、私達が愛人調査に出かけた間、書類を取りにここに来たという。
「やっぱり」
状況的に考え、どう見ても愛人ノートを盗んだのはブラッドリー。動機は不貞をバレるのを恐れたからだ。これだけ分かりやすい動機はないだろう。
この事をアンジェラやフィリスの話すと呆れている。特にアンジェラは野菜を刻みつつも「イタズラがバレた子供みたい」と苦いため息までついていた。
「しかし相手は狡猾ですね! 奥さん、このままで公爵さまの不倫の証拠、調べられます?」
普段、うるさい田舎もののフィリスだが、この指摘は間違いない。
舐めていた。相手が証拠隠蔽をしてくるとは、リスク管理がおろそかだった。別邸に不貞の証拠が何もないのも、ブラッドリーが意図的に消したのだろう。
下唇を噛んでしまう。離婚したいのに、モブキャラライフまで遠のいている状態ではないか。言葉も出ない。
フィリスやアンジェラは「なんて狡猾な公爵さま! よっぽど不倫している事に罪悪感がないんだわ!」と怒っていたが、問題はそこではない。
正直、ブラッドリーが不倫していようがいないが、どうでもいい。肝心なのは、離婚に至るまでの証拠があるかどうか。ピンポイントでそこを隠蔽してきたブラッドリー。その狡猾さ。まるで私の意図を読んでいるかのよう。ため息しか出てこない。
「奥さん、気を確かに! 負けないでよ!」
そんな私にフィリスは大声で励ましてきた。先程までマイナス思考だったが、どうにか正気を取り戻す。
「そうですよ、奥さん。公爵さまが狡猾なら、私達ももっとチートに行こうじゃないの」
アンジェラまで一緒に怒ってくれた。頼もしい。どうも懺悔室から出た後は、味方も増えた気がする。
フローラの記憶では、孤独で、誰にも頼れず、メンヘラしていたけれど。
今は違う。佐川響子の自我がある今は、全く違うはずだ。一人でできない部分は、誰かに頼っていいはず。前世ではSNSも「自立とは依存先をたくさん作ること」という名言を見た記憶がある。
「そうだ、だったら、奥さん。探偵に依頼しよう。さすがにプロの目を欺くのは無理でしょ? プロを味方にするんですよ」
フィリスは胸を張り、宣言した。
「私のお父ちゃん、探偵なんですからね! そうだ、探偵使おう!」
フィリスの大きな声がキッチンに響いていた。