第35話 そろそろ本気でいきましょう
全くの不本意だったが、公爵家でクッキーを焼き、ブラッドリーの怪我について調べることにした。本当に誰かが突き落としたのかは謎だったが、看護師たちの噂によると、ブラッドリーは愛人からの評判は悪いそうだった。
「女をとっかえひっかえでしょー? しかも付き合っている時は、君が一番とか、そのうち結婚してあげるっていうらしい」
「最低、クズ男じゃん」
「でしょう? 私の友達の友達の友達の従兄弟がブラッドリーの愛人だったらしいんだけど……」
看護師たちの噂話を思い出す。あの後、うっかり噂話に参戦してしまったが、ブラッドリーが女たちに恨まれ、王都でも悪評がたっている男だとはっきりとわかった。ちなみに私、今の見た目は公爵夫人のフローラだったが、根っからのモブキャラ魂は隠せず、看護師たちにもあっという間に打ち解けてしまっていた。
「それにしてもブラッドリー、愛人たちにも恨まれているとか、勘弁してよ……」
ため息が出てくるものだが、これはバッドエンド濃厚になってきた。ブラッドリーも階段から突き落とされた可能性大だ。噂話は楽しかったが、うかうかしていられない。
「あら、奥さん。バスケット持ってどこ行くんかい?」
クッキーをバスケットに詰め、公爵家から馬車に乗り込もうとした時だった。エリサが洗濯物を抱えて立っていた。
「お師匠さま! 今日は仕事?」
「そうさ。まさか、奥様、また調査かい?」
「そうなのよ!」
私はブラッドリーの怪我や看護でたちの噂を話す。エリサの目がきらりと輝いたのは、見逃せない。身も乗り出し、ウズウズもしているじゃないか。
ということでエリサと共に馬車に乗り込み、高台へ向かった。やっぱり現場に戻って聞き込みするのが一番だろう。
「私はワクワクするよ。正直、公爵が怪我をしたとか面白いね。きっと普段の行いが悪いのさ」
「お師匠さまの言う通りです! ざまぁですよ、ブラッドリーの自業自得って感じですね」
しばらくエリサと二人でブラッドリーの悪口で盛り上がってしまったが、今日はよく晴れている。高台にも人が多く、王都の見晴らしを楽しんでいるようだ。夫婦やカップルも多いようだが、エリサと私は、貴族の女とお供にしか見えないらしく、うまく背景に紛れていた。
特にエリサはモブキャラ中のモブキャラだ。さっと背景に紛れこみ、存在感はゼロにまで落とす。
「お師匠さま、その見事な存在感のなさ、素晴らしいです!」
「おお、奥様。そう褒めないでくれ。恥ずかしい。こんなもん、序の口よ」
思わずエリサを尊敬の眼差しで見上げてが、クッキーを片手に聞き込みを開始する。
最初は怪しまれてもいたが、エリサは一見、人畜無害な老女。私も一応今は貴族の女だ。この見た目で得をし、クッキーの相乗効果もあり、人々に話しかけるのは全く苦じゃない。
「ああ、あの時の旦那さん? 確かに誰かが背中をおしているのが見えたな」
高台でスケッチをしている画家にも声をかけた。少し貧しそうな身なりだったが、描く絵はいい。いくらかで購入すると、ペラペラと話してくれた。
「しかも、その人物から絵の具も匂いもした」
画家は自身の太い指で、道具箱から絵の具を取り出し、見せてくれた。確かにツンと塗料の匂いが鼻につく。見た目は鮮やかな絵の具だったが。
「もはやあなた、犯人を知っているね」
エリサは体格のいい男性の画家にも物怖じせず、堂々と前に出て聞いていた。さすがお師匠様だ。この観察眼、並のモブキャラでは出せない。
「さあ、知らんって。でも、同業者かもなぁ?」
画家の戸惑った声を聞きながら、思い出す。確かにブラッドリーの元愛人に、クロエという画家がいた。マーシアの情報でも、絵の具の匂いがする女がつけていた。
全部の情報を複合すると、クロエがブラッドリーを突き落とした可能性は高い?
そういえばクロエは、フローラに最初に「サレ公爵夫人」と呼び、悪名をつけた女でもある。その上、不貞を公表すると脅しもしてきた女だ。フローラの記憶をたどっても、クロエが一番怪しい。
「クロエって画家はご存知?」
私は画家にクッキーを渡しつつ、公爵夫人らしい笑顔で聞いてみた。
「ああ、知ってるよ。あちこちにパトロンを作ってる。絵の評判も普通だが、パトロンのおかげで入選までしている。嫌な女だよ、憎たらしい」
そう吐き捨てた画家の顔、憎しみで怖い。絵は上手いのに、なんか残念だと思ってしまった。
とはいえ、大きな目撃情報も手に入った。第一容疑者はクロエに定め、引き続きバッドエンド回避に向け、調査を決意した。不本意だが、憧れのモブキャラライフのためには仕方ない。
「エリサ、明日も愛人調査するわ」
「おー、それでこそ奥さんだ! そろそろ私らも本気で行こう!」
エリサに励まされ、深く頷く。本気で行こう。マムの殺人事件も脅迫事件も回避ができた。ブラッドリーの件も、なんとかなるはず。絶対バッドエンドにさせない。ハッピーエンドを目指す!
今はそんな自信しかなかった。




