第33話 やり直ししよう
福祉作業所から公爵家に舞い戻った私。すぐに書斎に直行し、愛人ノートと異世界転生後に書いた設定ノートを引っ張りだす。
とりあえず設定ノートに書いてるバッドエンドの芽は全部潰せたが、問題は愛人ノートの方だ。これはフローラが独自調査したブラッドリーの愛人たちの記録だったが、読んでいてため息しか出ない。
「本当、何この愛人たち……。極悪女ばっかり」
改めて読むと、眉間に皺がよってしまう。ブラッドリーの子供を妊娠したと嘘をつき、お金をせびろうとした女。ブラッドリーの原稿を盗み、競合する出版社に送りつけた女もいた。痛々しい悲劇のヒロインポエムを送りつけ、フローラをノイローゼ状態にした愛人もいたようで、全く笑えない。中には何度も公爵家に押しかけ、フローラに離婚をせまるような女もいた。ノートにはさらっと書いてあったが、当時のフローラの記憶を引っ張り出すと、胸が痛くなってくるものだ。
「これはブラッドリー、各方面に敵がいるみたいじゃない。どうすんのこれ?」
フローラにも同情してしまうから困る。いつもは客観的にフローラを見ていたが、愛人ノートを読んでいると、メタ認知にも限界があった。
「このクロエっていう元愛人も酷いなぁ。画家らしいけど、何度も公爵家に来て、フローラに不貞を世間に公表するぞって脅しているじゃない。あ、この女、フローラに一番最初にサレ公爵夫人って呼んでバカにしている……」
いつもは考えないようにしていたがフローラの境遇、かなり悪い。豪勢な公爵家に見えていたが、だんだと鳥籠の中にいるみたいな気がする。
愛人ノートには公爵家の重圧や世間体、他人の目を恐れる様子もあり、フローラも簡単には離婚ができない様子だった。
さすがこれはフローラに同情するしかない。もうフローラの両親も亡くなっていたし、メイド以外に味方もいない状態だ。
「せめてフローラに趣味か仕事でもあったらよかったのに。推し活でもできたらいいのにな」
そう呟いた時だった。またブラッドリーが書斎に勝手に入ってきた。慌てて設定ノートを机の引き出しに隠すが、ブラッドリーは何も勘付いていない。それどころか、また「やり直そう」となどと言っていた。
だいぶ体調は良くなったのか、今日のブラッドリーの顔色はいい。服装もラフとはいえ、髪型もセットされ、髭も剃られていた。
「実は寝込んでいる間、恋愛小説ではなく、ミステリー小説のアイデアが浮かんだんだ。君と探偵のマネ事していたら、なんかふと思いついてね」
そう語るブラッドリーの目は澄んでいた。
「つまりもう恋愛小説の芸の肥やしで不倫もしないよ。ミステリーを書こうと思う。どうだ、フローラ。やり直そう」
今日に限っては甘い言葉を吐いたり、壁ドンもして来ない。微妙な距離を保ったまま、まっすぐに私を見つめていた。
フローラの「感情」は当然喜んでいた。このままブラッドリーの言葉を受け入れろとけしかけてもくる。
一方、今は佐川響子の「自我」が強い。しかもあの愛人ノートを読み返した後だ。とうていゲス夫の言葉など受け入れられない。不倫の罪悪感でそう言っている可能性も大だ。本当に心から妻とやり直したいのかも、わからない。証拠もない。
「頼む、フローラ。今まで俺が全部悪かったよ。どうかやり直しのチャンスをくれ」
頭まで下げていた。この国の文化では男が女に頭を下げるのはよっぽどのことだ。日本でいう土下座に近い。
「どうかチャンスだけでもくれ」
「そうね……」
フローラの中身は佐川響子だ。やすやすと許せない。目的は離婚とモブキャラライフだが、チラリと愛人ノートに目を向ける。やはりフローラが少しかわいそう。ブラッドリーはどうでもいいが、ここはフローラのために一回だけチャンスを与えてもいい気がする。
「はぁ。わかったわ」
「本当か?」
「ええ」
「じゃあ、さっそくデートに行こう!」
「えー?」
ブラッドリーは私の手を取り、半ば無理に外の連れ出す。馬車を呼び寄せると、王都の高台にある展望台に行こうという。
「いい眺めらしい。フローラに見せてやりたい」
無邪気に笑っている。急にフローラの「感情」がチクチクしてきた。不倫を繰り返すようなゲス夫だが、根っからの悪人ではない。むしろ、女が喜びそうなこともよくわかっている。モブキャラの私でさえ、こも無邪気な笑顔は悪くはないと思うから、非常に困る。
「そ、そう……」
「お前はいい女だよ。マムを許し、一緒に推し活もできる。普通の女だったら、恨み、復讐すだろう。だが、フローラ、お前はし返ししなかった。愛と許しを選べるいい女だ」
いや、それは中身が佐川響子だからね!
喉元まで真相が出そうだったが、どうにか笑顔を作り、馬車は高台の階段の前まで到着した。近くに公園もあるようで、夫婦や恋人同士も多い。どうやらここ、カップルたちが好んで行くスポットのようだった。
「さあ、フローラ。一緒に行こうか」
「え、ええ……」
なんだかブラッドリーにはいい女だと誤解されているようだったが、真相は言えるはずもなく、一緒に階段を登り、高台まできた。
「わあ」
確かに眺めはいい。王都が一望でき、中央には王宮の城も見える。隣国の大きな山なども一望でき、まるで野鳥になった気分。解放感がある。
「いい眺めだろう? 狭い公爵家にいたら、退屈だと思って」
隣で無邪気に笑うブラッドリー。この笑顔は確かにキュンとする。フローラの「感情」に引っ張られ、私の心臓もドキドキと変な音をたてるから困った。その時、ふと、背後に何か視線を感じた。
「え?」
振り返っても誰もいない。気のせいだと思うが、嫌な予感がする。
「もう帰るわ」
その予感に逆らえず、私は一人、階段の方へ足を進めた。他にもカップルや夫婦がいて、若干、混み合ってはいたが。
「フローラ、どうしたんだよ?」
ブラッドリーは追ってきたが、背中がゾクゾクとし、冷や汗も出てきた。
「いえ、もう帰るから」
そう言い、先に階段を降りようとした時だった。
「え?」
ブラッドリーは足を滑らせ、階段から転げ落ちていた。大きな音とともにカップルたちの悲鳴が耳に響く。
「きゃー!」
「早く、医者を!」
一瞬の出来事だった。騒ぎが起きていたが、頭が追いつかない。
私は一人、呆然と立ち尽くし、後ろを振り返る。
黒い影が見えた。その影は人の波を掻い潜り、逃げていく。
「待って!」
あの影は何?
ブラッドリーを突き落とした?




