第32話 本当にバッドエンド回避できました?
その夜、私はなかなか寝付けずにいた。少し眠っても、夢にブラッドリーが出てきてまいった。夢の中でもブラッドリーは壁ドンし、甘い言葉を吐き、プレゼントまで送ってきた。
「なんでこんな夢!? むこうは不倫を繰り返すようなゲス男よ!」
ベッドの上でツッコミを入れたが、夢を見ただけで疲労感がたまる。
「もう、そんなブラッドリーとか知らないから」
ヤケクソになりながら布団を被り、どうにか寝たが、また変な夢をみてしまった。
夢の中では雲の上にいた。しかもフローラではなく、姿形も佐川響子に戻っていた。
「夢とはいえ、このモブ顔とちんちくりん体型は落ち着くわぁ」
久々の佐川響子の身体に安堵していたら、目の前に文花おばさんが!
「ひぇ!」
悲鳴が出てしまう。文花おばさんは、いつも以上に不機嫌で私をきつく睨みつけ、仁王立ちだった。
しかも白いワンピースを着込み、頭に花冠まである。異世界転直前の時みたいに女神コスプレをしていたが、一体なぜ?
夢の中という自覚はあったが、もしかしたら令和の世界に戻れる?
だとしたら、またモブキャラライフを謳歌できる。私は文花おばさんに縋りつき、元に戻れるよう頼んだ。
「そんな願いは聞くわけないじゃない」
「は?」
「響子ちゃん、あなたよくも『毒妻探偵』の世界をユルユルななろう系に変えてくれたわね!?」
「は?」
文花おばさんは暴露した。WEB小説「毒妻探偵」の作者が自分である事。作中で愛人を殺し、一人で溜飲を下げていた事も。
さすがに引く。通りでこの世界で愛人が死ぬ予定だったのかと冷や汗が出てきたが、文花おばさんの顔は真っ赤だ。
「よくも、よくも原作クラッシャーをしてくれたわ! なぜ憎きマムとあんたが推し活仲間に!?」
「まあまあ、文花おばさん。平和に行こうよ。殺人事件つきのミステリーなんてWEB小説界隈ではニッチオブニッチ……」
「うるさいわ、響子ちゃん!」
文花おばさんはさらに顔を真っ赤にし、WEB小説「毒妻探偵」の第二弾を構想中だという。
「今度こそ愛人に復讐し、ざまぁと言うからね!」
「は? ちょっと文花おばさん、待って!」
文花おばさんはそう言い残すと走って逃げていく。急いで追いかけるが、相手の足だけは速い。追いつけない。
「第二弾ってどういう事!? バッドエンド回避できていないの? 文花おばさん、待ってよ!」
いくら走っても文花おばさんを捕まえられず、目が覚めた。
「何この夢……? もはやラスボスは文花おばさん……?」
目覚めは最悪だった。窓の外はよく晴れ、呑気な鳥の鳴き声も聞こえてきたが、第二弾とはどういう事か。
「ほ、本当にバッドエンド回避できてる?」
モブキャラライフを送るというハッピーエンドはおろか、バッドエンドも回避できているか不安になってきた。夢の中とはいえ、文花おばさんの真っ赤な顔はリアリティがあった。頭にこびりつき、忘れられない。
ということで今日は福祉作業所に向かう。
本当は公爵家の慈善事業で来月に行く予定だったが、本当にザガリーの件が解決しているのかも疑わしくなり、クッキーを焼き、福祉作業所へ向かった。
まず職員のクリスに会い、クッキーを渡す。子供たちにもクッキーを配ると、大盛況だった。誰も私が突然訪問した件を疑ってこなかったが、部屋の隅に一人でいるマーシアに声をかけた。
マーシアの目は暗かった。顔色も良くない。元々盲目だが、いつもは目の色だけは生き生きとしていたのに、今はぼーっとしていた。
「マーシア、大丈夫?」
「いえ、ええ」
「クッキーどう?」
「いえ、要らないわ」
元々クッキーが好きそうではなかったマーシアだったが、今日は余計に覇気がない。
「ザガリーが地元に帰ってしまうなんてね。しかも障害者のフリをしていたとか。今でも信じられない」
やはりマーシアはザガリーの件でショックを受けているようだ。
ここで質問するのはどうかとも思ったが、あれ以来、ザガリーの件で変わった事はないか聞いてみた。
「ないわ。ザガリーは地元で仕事しているって聞いているから」
「やっぱりそうね……」
となると、バッドエンドは回避できているはずだ。エルも地方の修道院で真面目に働いていると聞いている。事実としてバッドエンドが回避できているはずなのに、なぜか焦ってきた。あの夢がどうしても嘘に思えなくて。
「奥さん、どうしたの? 大丈夫?」
マーシアに心配されるほどだったが、マーシアの目を見ていたら、嘘がつけなくなってきた。
詳細をぼかしつつも、ブラッドリーの改心や今脅迫事件のこと、また夢の話もしてみた。特に夢の話は最初は冗談だと笑い飛ばしていたが、ウンウンと深く頷いていた。
「そうね。確かにあの不倫男の公爵が、こんなすぐに改心するのは謎ね……?」
マーシアはさらに頷き、何か思い出したようだ。目を丸くし、長いまつ毛をバサバサとさせていた。
「そういえば去年ぐらい、公爵の後をつけている女がいるって噂を聞いたことがある」
「え、本当?」
「マムじゃないわ。誰だったかしら。女は絵の具の匂いがしたらしい」
マーシアでも、その女の名前は忘れてしまったらしい。
「人の恨みは怖いわ。確かに公爵は反省したかもしれない。でも今までの愛人が全員反省したとも言えないでしょう?」
背中がゾクゾクとしてきた。マーシアの少し低めな声は、私を楽観視させない。むしろ、頭は冷えてきた。確かにこのままスムーズにハッピーエンドに辿りつけるか、何の証拠もない。
「奥さん、気をつけて。バッドエンドの芽は一つ一つ全部消した方がいいわよ」
マーシアは私の耳元で警告してきた。
「え、ええ……」
緊張しながら頷く。そうだ、まだハッピーエンドでもない。マムの殺人事件と脅迫事件が回避できただけだ。
そもそもブラッドリーは浮気を何度も繰り返すような男だ。どこにバッドエンドの芽があるかわからない。不発弾のように、突然、実を結んでいてもおかしくない。実際、彼の後をつけている女の噂も明らかになった。誰かに恨まれていたり、また脅迫を計画されていたとしても、不自然じゃない。
「ええ、バッドエンドの芽は全部潰すわ」
私はそう言うと、公爵家に舞い戻る。バッドエンド回避するため、フローラが書いた愛人ノートをもう一度読もう。




