第3話 この異世界の設定ノートを書きます
私は鏡をじっと見つめていた。とりあえず着替え、身支度はしてみたものの、異世界転生先のヒロイン・フローラの容姿だけは良い。
きっつい悪役顔だが、まつ毛は白鳥の羽のように長い。マスカラも塗っていないのにバサバサしている。堀も深く、特に目元は彫刻のよう。鼻も高く、口元もすっと引き締まり、整っている。髪の毛もそうだ。ふわふわと柔らかく、一見、日本人と似たような黒髪なのに、手触りがまったく違う。
スタイルもいい。生前の女子高生「佐川響子」はちんちくりんだったと悟る。目も小さく、うっすいモブ顔だった。
「この容姿はいいけど! そんなヒロインとか無理!」
なんで通行人その一、悪役令嬢の取り巻き、背景と同一化しているメイドとかに異世界転生しなかったのだろう。よりによってヒロイン。しかも殺人事件を解く推理もののヒロインなんて絶対無理。トリックとか難しそう。死体なんて見たくもない。私は平和主義のモブキャラだ。確かに「毒妻探偵」のミステリ要素は、ツッコミどころ満載でユルユルだっけど、それでも無理!
私はため息をつきながら、手鏡を置く。なぜか前世で幼稚園児の頃を思い出す。
学芸会を開く事になった。確か浦島太郎の劇だったが、太郎役や乙姫役で争奪戦が起きていた。先生が困るほどの喧嘩に発展したが、私はすぐに背景の「田んぼ」役に立候補し、すんなりと決まった。
だって目立つの嫌だし。セリフ覚えるのも嫌だし。こんな風に喧嘩するのもバカバカしい。だったら、背景役でいいと思った。
思えば幼稚園の頃から冷めた子供だった。サンタクロースも七夕も信じず、先生からは「可愛くない子」とよく言われていたが、私は自分の立場をわきまえていた。鏡を見ればうっすいモブ顔がいる。成績や運動神経も普通。親も金持ちじゃない。親ガチャ失敗レベルではないが、SS級の大当たりでもない。
だったら、自分の身分に相応しいモブキャラを徹底する事。これが私の生きる道だと信じて疑っていなかった。
それに、学芸会で太郎役や乙姫役に選ばれた子も、目立つ故にいじめられていた。特に乙姫役の子は不登校になってしまい、海外に引っ越したとも聞いた。
そんな結末になるぐらいなら、背景役で結構。通行人その一でもいい。顔も名前もないエキストラ役、熱烈希望!
それなのに。
なぜ異世界転生先でヒロインなんかになってしまったのだろう。確かに綺麗な容姿に憧れるが、目立ってしまったら、あの乙姫役のようなバッドエンドが待っているかもしれない。
芸能人だって誹謗中傷を受け自殺したりする。美人でも変な男にひっかかり、破滅エンドを迎えるものもいる。恋愛歴や家族、卒アルも全世界に公開されてしまう。目立つコストを考えたら、どう考えてもモブキャラでいい。エキストラでいい。背景役でいいのに。
「ああ、ヒロインなんて嫌。しかもサレ妻公爵夫人で、殺人事件解くとか絶対無理!」
頭を抱える。泣き言しか出て事ないが、今はフローラ・アガターだ。ヒロインになってしまった。一応それは受け入れるしかない。まだメイドはやってこないし、とりあえず、ノートと万年筆を取り出し、「毒妻探偵」の設定を洗い出す事にした。
確か「毒妻探偵」の世界は剣と魔法の異世界ではない。魔法は廃れたとはいえ少し残り、王宮魔術師もいる設定。あとは電気、汽車、印刷、水道など、化学技術もあり、生活レベルは戦前の日本ぐらいだった。
貴族制度はある。フローラのような公爵夫人もいるぐらいだ。身分格差がある社会で、女の人権はない。特に貴族の奥方は、良妻賢母になる事を求められる。サレ妻など笑われる対象。特に子供がいないフローラは、サレ公爵夫人、悪妻など悪評がたっていた。確かに美人だが、キッツイ悪役風の顔は誤解を呼ぶかもしれない。
そして、現状を思い出そう。前世で読んだ「毒妻探偵」の中見を思い出す。せっかく異世界転生したというのに、チートスキルも授けられず、前世の記憶頼りというのも、なんとも涙が出そう。それでも仕方ない。頭をひねり、「毒妻探偵」の設定を書き出す。
確かフローラの夫は公爵家の主人でありながら、作家業もしていた。恋愛小説家として大人気で、出版社も自前で持っていたはず。設定では金髪碧眼のイケメンで、モテるが、作品のネタで不倫を繰り返すようなゲス男だった。名前はブラッドリー・アガター。
「ゲスいよー。なんでWEB小説でこんな夢のない設定!? 空気読めなさすぎ! やっぱりあの小説、文花おばさんが書いたよね!?」
文句ばかり言っても仕方ない。他キャラも思い出す。
確かこの公爵家、フローラの悪評が立ち、メイドや執事がいなかった。ブラック公爵家とし、下働き界隈でも有名だった。今残っているメイドも一人。メイド頭のアンジェラだけ。アンジェラはベテランメイドで、フローラの唯一の助言者だった。
そしてメイドはもう一人だけいた。新米メイドのフィリスだ。田舎から出て来た粗野なメイドだったが、次第にフローラと打ち解け、一緒に夫の愛人調査をするなかになる。確かフィリスの親は探偵だった。その知識を活かし、フィリスもフローラの助言する。
つまりこのメイド二人は助言キャラか。モブより上のヒロインの側近的な脇キャラだ。
夫のブラッドリー・アガターは暫定敵キャラと考えていいだろう。
「あと、誰かいたっけ?」
愛人も出て来たが、これも暫定敵キャラだ。他、事件にまつわるキャラも書き出し、容疑者キャラとまとめていく。
「あぁ。でもどうしよう! このまま行ったら、確実に殺人事件が起きる! ブラッドリーの愛人が殺されちゃう!」
頭を抱える。
モブキャラとし、平和に生きてきた私。いくら夫の愛人といえども、殺されて良いものか全くわからない。それに私が殺人事件を解くとか目立つ事したくないし、このバッドエンド回避できないだろうか?
なんとか愛人が殺されるのを避ける方法はあるのだろうか?
今はフローラ・アガターの記憶がある。フローラとして夫の愛人が憎いという「感情」は伝わっては来るが、今は佐川響子のとしての「自我」が圧倒的に強い。
正直、フローラのこの「感情」も他人事。客観的に見て見ると、そこまで感情移入ができないのが、本音だった。
それよりも転生先でも平穏なモブキャラライフを送りたい。
・まずはブラッドリーと離婚!
設定ノートにそう書き出す。この国で女の立場は低いが、不貞の客観的証拠が揃えば、ちゃんと離婚できるらしい。また夫が悪い事が裁判で認められた場合、多額の慰謝料も請求できるらしい。
もっとも貴族の面子を気にして、そんな泥沼になる夫婦はレアケースらしいが、残念ながら、今の私は佐川響子の自我が強い。フローラは貴族として世間体を気にしていたが、私は慰謝料をとってモブキャラライフを送りたい。そっちの方がコスパがいいはず。
・目指すは離婚!
「でもどうやって離婚しよう? やっぱり愛人調査するべき?」
愛人調査は「毒妻探偵」の記憶を使えば、なんとかできる?
確かフローラはブラッドリーの不貞をまとめた愛人ノートとなるものを書いていた。
つまり、愛人調査はバッドエンドも回避し、モブキャラライフを送るためにの重要ポイントだ。これだけは前世の知識を使い、しくじる訳にはいかない。
思わず手に汗を握る。うっかりヒロインになってしまったが、書き上げた設定ノートを読む限り、なんとかモブキャラに転移できそう。
「ヒロインなんて絶対に嫌!」
「奥さん、一人で一体何を騒いでいるんです?」
ちょうどそこへメイド頭のアンジェラが部屋に入って来た。
年齢は六十代ぐらいだろうか。太ってはいるが、貫禄があり、いかにもベテランメイドという雰囲気だ。声も低く、落ち着きもある。確かにこれは助言者キャラだろう。
「今日は新しいメイド、フィリスを歓迎するお茶会を開くって言ったでしょう。さあ、奥さん、参りますよ」
「え、ええ」
「今日はメンヘラしないでくださいよ。新しいメイドがいなくなったら、人手不足で大変なんですから」
そういえばフローラ、夫の不倫に耐えかね、皿を投げたり、公爵家の中でもメンヘラしていたっけ。客観的に見ても痛いヒロインだが、モブキャラの私は、そんな事はしない。
「ええ、わかったわ。アンジェラ。お茶会に行こう!」
明るく言うと、アンジェラは目を丸くしていた。