3.誰かいるんですけど、の話(後半)
彼は立ち上がり、背筋をピンと伸ばして、
《ぼくの名前は柳透。三十三歳。ま、幽霊なんだけどね。よろしく》
ウインクを飛ばしてきた。
「ヤナギ……トオルさん。え、幽霊?」
《そう、幽霊。まあ、あんまり細かいことは気にしないでいきましょう。で、あなたは何てお名前なの》
「あ、えと。五十海……」
《イカルミ? 珍しい名字ね。どういう字、書くの》
「五十に海」
《五十嵐みたいな感じなんだ。初めて聞いたわ。で、下の名前は?》
「……タダクニ。五十海タダクニ」
《タダクニくんか。良い名前じゃない。よろしくね》
ヤナギトオルが飛び切りのスマイルを送ってきた。
「何? どうしたの、いきなりタダクニ?」
千明が当惑した表情を向ける。
「……いや、だから。そこに、あの、ひ、人? ていうか幽霊?」
「ちょっとやめてよ、さっきから! バカにしてるの」
「いや、バカにとか、そんなんじゃ……。千明、見えてないの?」
《この子には見えないのよ》
「だから何が見えるとか言ってるのよ。バカじゃないの。怒るよ、ホント」
《やだちょっと、なに、痴話ケンカ始まっちゃうの? こんな目の前で見るのは初めてかも。でも、セオリーなら、押し倒しちゃうのがいいんじゃない? その間、ぼくはどっか隠れてるから気にしないで。大丈夫よ、見たりしないから。ちょっと興味あるけど、そこは我慢してあ・げ・る》
「ちょっと黙ってろ!」
「タダクニ?」
「千明もちょっと待って。整理させて」
タダクニは目をつむって考えだした。
千明は最近、部屋で誰かに見られてる気がすると言っていた。
そして実際、部屋には人がいた。でも、千明にはその人が見えない。
そいつは自分を幽霊だと言っている。
つまり、ストーカーだと思っていた視線の正体は幽霊だったんだ。
そうか、そうか。
わかってしまえばとってもクリアじゃないか。
納得、納得……って、んなわけあるかい!
すんなり理解できるか、こんなこと。
結局タダクニは、状況をそのまま伝えることにした。
「いい千明? 落ち着いて聞いて。ストーカーはいない。その代わり、ソファに男の幽霊がいて、喋ってる」
「何言ってんの、タダクニ? 性格悪すぎ」
「いや、ホントなんだって」
「ホントって……。じゃあ、そこに幽霊がいるって言うの? バカじゃないの。いるわけないじゃん! わたしがストーカーで困ってるの聞いて、脅かしてやろうって思ったんでしょ? ふざけないでよ!」
「いや、違うって」
「こっちは真剣に悩んでるのに……。幽霊だなんて気持ち悪いこと言わないでよ!」
「いるんだって、マジで」
タダクニはすがるようにヤナギトオルを見た。
《人のこと気持ち悪いですって、言ってくれるじゃない、この子。まあ気持ちはわかるけど、面と向かって言われると、けっこうくるわね、精神的に……。まあ、いいわ。ったく。でも弱ったわね、何とかしないと……。そうだ、あれ見せてあげるわ。きっとぼくのこと信じるわよ。物には触れられないんだけどね、少しは念じてできるようになったの。ちょっとタダクニくん、それ持って》
タダクニは言われるままに枕元にあった目覚まし時計を手に取った。
《それをその子に見せてあげて》
「なに。何なの?」
千明が不審そうに眉をひそめる。
と、次の瞬間、時計の針が不自然にぐるぐる回りだした。
それを見た千明は、百年の恋も冷ますほどの大声をあげたかと思うと、気を失ってひっくり返った。




