姉からすべてを奪おうとした妹が、姉と入れ替わったら。
「リンディ、それだけは駄目よ。そのペンダントだけは……!」
掲げた私の手から必死に取り返そうとするアシュリンお姉様が、躓いて転んでしまった。
前まで綺麗だった髪はボサボサになり、もうすっかり美しさの欠片もなくなった姿をみて、私の胸の内から湧き上がってくるのは黒い喜びだった。
「お姉様に銀細工のペンダントは似合わないわ」
「でも、それはお母様の形見で……」
「これはもう私のなの! じゃあね、お姉様」
踵を返すと、私は屋根裏部屋から出た。
背後から「何があっても知らないわよ……」とかブツブツ言うお姉様の声が聞こえてきたけれど、私には関係のないことだ。
だってお姉様はなんでも持っているから。
これぐらい、私がもらってもいいでしょ?
私は、リーンシュタッド伯爵と平民の母の間に産まれた庶子だ。
前伯爵夫人が亡くなって、伯爵の後妻になるお母様とともに伯爵家に迎え入れられた。
私の生活は一変した。貧しかった平民の生活では空腹を堪えることも少なくはなかったけれど、裕福な貴族の生活ではお腹が鳴ることはほとんどなく、手が届かなかった甘いお菓子もたくさん食べられるようになった。
服もあかぎれができても手で洗っていたのに、貴族の家だと自分で服を洗わなくていいどころか、新しい服を何着も買ってくれる。
前伯爵夫人とお父様は政略結婚で、お父様はいつも小言ばかりの前伯爵夫人のことをよく思っていなかったらしい。
お父様は平民だったお母様のことが大好きで、私のこともたいそうかわいがってくれた。
私がお母様と同じで、かわいく生まれたからだろう。
流れるような金糸のふわふわの髪に、青色の瞳。
みんながみんな、かわいいと言ってくれた。
貴族令嬢になってやっと手に入れた、苦労しなくてもいい満ち足りた生活。
でも、その生活にひとつだけ不満があった。
それは、異母姉である、アシュリンお姉様の存在だ。
アシュリンお姉様は前伯爵夫人に似た美貌を持っている。
すらりとした体躯に、長く美しい髪。平民だった私の髪は肩ぐらいしかないから、そんなお姉様の長い髪が羨ましかった。
幼いころから貴族令嬢のとしての教養やマナーを叩きこまれているから、平民だった私にも丁寧に優しく接してくれて、ああ、貴族の令嬢ってみんな余裕があって羨ましいと思った。
恵まれた環境で暮らしてきたお姉様は、きっとあかぎれなんてできたことない。
空腹にあえいだことも、道端で拾った財布を持ち主に帰そうとしてぶたれたこともない。
ほつれた服を自分で繕って着回したことなんてない。
ほしいものは何でも買ってもらえて、ずっと、ずっと贅沢に暮らしてきたに違いない。
あの笑顔の裏では、きっと私のことをかわいそうな子だと思っているのだろう。
そう思ったら、私はお姉様から何もかも奪ってやらなければ気がすまなくなっていた。
まず手始めに、ドレスをねだった。
お父様は新しいドレスを仕立ててくれると言っていたけれど、私がほしいのはお姉様のドレスだ。
泣いて「お姉様だけずるい。羨ましい」とねだると、お父様はすぐにお姉様のドレスを私のものにしてくれた。
次にねだったのはアクセサリーだ。
あのアクセサリー私の方が似合うわ。ほしい。
宝石も羨ましい。私はひとつも持っていないのに!
ほしいほしい。
そう言うと、お父様は私にすべて譲ってくれた。
お姉様の日当たりが良くて広い部屋もほしい。
お姉様の持っている本もほしい。
お姉様に優しくする使用人は、濡れ衣を着せた。
私の宝石を奪ったことにしたから、お父様はカンカンに怒って、紹介状も持たせずに辞めさせたそうだ。
お姉様が幼いころからいた使用人はほとんどいなくなり、新しい使用人はほとんど私の味方をしてくれた。
伯爵家で優遇されているのが私だと気づいたのだ。
お姉様に冷たくする使用人も現れて、お姉様は次第にお風呂にも入れなくなり、艶のあった髪の毛もボサボサになり、常に俯いて屋根裏部屋から出て来なくなった。
お姉様からはすべて奪いつくして、お姉様は昔の私みたいになった。
そう思っていたのに。
お姉様はまだ高級そうなペンダントを隠していたのだった。
それに気づいた私は、すぐにそのペンダントを奪った。
前伯爵夫人の形見だとか言っていたけれど、そんなこと関係ない。
お姉様が綺麗な格好をしたり、物を持っているのが許せないのだから。
「ふふん。やったわ。これで本当にお姉様のものは、すべて私のものになったわ。もう誰も、私のことをかわいそうって言ったり、昔みたいにぶったりしないんだから!」
有頂天になった私は、月明かりにそのペンダントをかざした。
月明かりに照らされた、精巧な銀細工のペンダント。
鳥の羽根……いや、きっとこれは天使の羽根だ。
銀の羽根が月の明かりに照らされて、キラキラと光っている。
「綺麗だわ」
うっとり眺めていると、次第に眠気がやってきた。
少し早いけど、今日は早く寝てしまおう。
満ち足りた気持ちのまま私はふかふかのベッドで目を閉じて――。
翌日、目を覚ますと、そこは固いベッドの上だった。
◇
「ここは、屋根裏部屋!?」
どうして自分がここにいるのかわからない。
固いベッドで寝ていたからか全身痛いし、はやく寝たはずなのに頭が重い。
それに何より、お腹がぎゅーきゅるると、大きな音を立てていた。
まるで夕食を――ううん、三日間ぐらい満足に何も食べられなかったときのように。
「まずは、食事を準備してもらいましょう。……でも、なんでこんなにもお腹が空いているのかしら」
しかも喉も渇いている。声もいつもよりも低く、ガサついている。
私の部屋には、使用人を呼ぶための紐があった。あの紐を引っ張ると鈴が鳴り、使用人がすぐに駆け付けてくれるのだ。
だからここにもあるだろうと探してみたが、紐はない。
お腹が空いて動けないけれど、このまま部屋に閉じこもっていても食事はやってこない気がした。
「仕方がないわ。探しに行きましょう」
部屋を出れば、一人ぐらい使用人がいるだろう。
そう思ったのだけれど、屋根裏部屋の前には誰もいなかった。
リーンシュタッド伯爵邸は三階建ての大きな邸宅だ。
一階は応接室やパーティー用の広間などがあって、二階が客室やその他の遊戯室、それから三階がお父様と私の部屋などが並んでいる。
屋根裏部屋はさらにその上にあり、屋根裏部屋に行くには三階の片隅にある狭い階段を使わなければならない。
人ひとり通れるぐらいの狭い階段を降りると、「あ」と声が聞こえてきた。
一人の使用人が私を見て、わかりやすく顔をしかめた。
しかも挨拶もしないで、無視して去って行こうとする。
「ちょっと!」
呼び止めると、めんどくさそうに、礼儀の欠片もない返事があった。
「なんですか?」
「なんなのよ、その態度。私を誰だと思っているの?」
私の問いに、ちょっと面食らったように使用人が眉を顰める。
「はあ、お嬢様ですよね」
「そうよ。それなのにその態度はなに? 使用人風情が」
「……失礼しました」
口では謝りながらも、態度は悪いままだった。
だけどお腹は空いているし、まずは食事が先だ。この使用人は後でお父様に言って首にしてもらおう。
「食事と水を用意しなさい!」
私の命令に、使用人は心底不思議そうな顔になった。
「どうして私がお嬢様の食事を準備しなければならないのでしょう?」
「私の命令が聞けないって言うの!?」
「お嬢様の食事の準備は、私の仕事ではありませんので」
使用人はそう言うと、汚いものを見たとでもいうように目を細めて、去って行ってしまった。
わなわなと怒りが湧いてくる。
そういえばいまの使用人、よく私のことを褒めていなかった?
髪が綺麗ですねとか、お菓子を用意しますねとか。
よくそんなことを言ってきた使用人に、似ている気がするのに。
なんで私のことを無視するのかしら。
怒りたいが、それよりもお腹が空いている。
仕方がないので別の使用人を探すことにした。
結果――。
「私は今忙しいんです」
「後にしてくれませんか?」
「食事ぐらい自分で用意してください」
ほとんどの使用人が、みんな同じ反応をした。
いつも私のことを褒め称え、お腹が空く前に大好きなお菓子を用意してくれて、いつも笑顔で私と接してくれていたのに。
今日の使用人たちはなんか変だ。
みんながみんな、汚物を見るような目で私を見る。
まるで平民の頃に戻ったようだった。
「……それに、やっぱり私の声、おかしいわ」
いつもよりも低い声。よく見るといつも保湿を心掛けている指や爪さえも不健康にカサカサしている。
まるでは平民の頃に戻ったみたいに。
それに何よりも、頭を下げた時に肩を流れていく、長い黒髪。
私のふわふわの金髪はどこに行ったのかしら。
もしかして誰かに悪戯でカツラを被せられているのだろうかと引っ張ってみると、頭皮が痛んだ。
手の上にはらりと黒髪が残る。
「この髪の毛って……」
さっと青ざめる。
この髪、この毛、そして不健康そうな指に枯れ枝のようになった腕。
よく見ると、来ている服もまるで布を羽織っているだけのように薄く、汚れている。
悲鳴を上げると、私は自分の部屋に向かった。
屋根裏ではない、自分の部屋だ。
お姉様から奪った、日当たりが良くって広い部屋。
廊下を走る私を、使用人が白い目で見てくる。
わたわたと足がもつれながらも、なんとか辿りついた私の部屋。
その扉の前にいる使用人が、顔を顰めて私を払いのけようとする。その手から逃れて、扉を開けた部屋の中には――。
私がいた。
「あら、お姉様。こんな朝早くから不躾ね。礼儀がなっていないわ」
私と瓜二つの顔が、私のことをお姉様と呼ぶ。
その私の背後にある姿見を見た瞬間、私の口からは悲鳴が響いた。
姿見に映った黒髪のお姉様も一緒になって悲鳴を上げている。
なぜかわからないけれど、私はお姉様になっていたのだった。
「アシュリンお嬢様、勝手に入られては困ります」
「なんなのよ、今日は。ちょっと、誰か手伝って!」
使用人たちが私を部屋から連れ出そうとする。
ベタベタと体を触り、抱えようとして、でも私はその腕から逃れて。
私を指さして叫んだ。
「そいつは偽物よ! 本物のリンディは私なの! 私の身体を返してよ!」
「まあ、お姉様。今日はどうされたの?」
クスクスと、私が笑う。
「まあ、アシュリンお嬢様がついに正気を失われてしまったわ」
「ちょっと、誰か旦那様を呼んできて!」
使用人たちも、私がおかしいと言う。
私が本当のリンディなのに。
みんなみんな、私の言うことを信じてくれない。
「私はお姉様じゃないわ。リンディよ。なんでみんなわかってくれないの!」
叫べば叫ぶほど、使用人たちは困ったものを見るような目で見てくる。
お姉様の身体は力が無くて、私はすぐに使用人に羽交い絞めにされた。
いつもは優しいあの使用人も、この使用人も。
みんなが冷たい目で私を見ている。
「リンディ、どうしたんだい!」
そうこうしていると、お父様が部屋に入ってきた。
きっとお父様なら、お姉様の体の中にいる私に気づくに違いない。
「お父様、私……!」
お父様が手を振り上げたと思うと、突然頬が熱くなった。
「おまえ……! またリンディに悪さをしようとしたのか!」
「ち、ちが……。お父様、私ッ」
また頬が熱くなる。
叩かれたことに気づいたのは、少ししてからだった。
平民だった頃に殴られたことはあったけれど、力がないはずなのにあの時よりもはるかに痛く、胸がズキッと痛んだ。
「リンディ、もう大丈夫だよ。アシュリンはしばらく屋根裏から出ないように閉じ込めておくから」
「ありがとう、お父様。私、とても怖かったわ!」
「ああ、愛しのリンディ。……おい、そこのおまえ。アシュリンを屋根裏に連れて行け。しばらく食事も抜きだ」
使用人は頭を下げると、私の腕を引っ張った。
「お父様、私はアシュリンじゃないわ! 私がリンディなの!」
暴れて、叫ぶ言葉は届かず、私は使用人に引きずられるようにして、屋根裏部屋に押し込められた。
「まったく、リンディお嬢様を名乗るなんて、本当にアシュリンお嬢様は狂われたのかしら」
使用人たちが文句を言っている声が、扉の向こうを遠ざかっていく。
扉をどんどんと叩く音も、私がリンディだということも……。
叫んでも、叫んでも、誰も聞いてくれない。
「……どうして、こんなことになってしまったの」
お姉様と体が入れ替わっただけなのに。
誰も、私に気づいてくれない。
いつもは優しいお父様も、使用人も、みんな私に酷いことをして。
お腹もすいてるし、喉も渇いているのに。
このままだと、また前みたいに――平民の頃のように、ひもじい思いをしなければいけない。
「それだけは、嫌なのに……」
私はぐすんぐすんと泣きながら、扉の近くで蹲っていることしかできなかった。
深夜ぐらいだろうか。
いつのまにか寝てしまったようで、私は足音とともに目を覚ました。
もしかしたらお父様が私が本当のリンディだと気づいて、来てくれたのかもしれない。
でも扉の向こうから聞こえてきたのは、違う声だった。
「リンディ。いるわよね?」
「……っ、お姉様!」
私の声だ。
「お腹空いているでしょう。きっと喉も渇いているはず……」
もしかしてお姉様が食事を運んでくれたのかもしれない。
お姉様は知っているはずだ。私がお腹を空かせていて、喉が渇いていること。
だって、この体はお姉様のものなんだから。
「お姉様、水を持ってきてくれたのですか?」
掠れた声で聞くと、向こうから聞こえてきたのは静寂だった。
ため息の後、また再び声が聞こえてくる。
「なにも持ってきてないわ。だって、それがあなたの選んだ境遇でしょう?」
「……え?」
「私のドレスやアクセサリー、宝石や本。それからお母様の形見のペンダントまで。すべてを奪ったのはあなただわ」
「何を、言っているの……?」
口にして、はっとする。
お姉様の言っていることは、すべて本当のことだった。
私はお姉様のことを恨んで、そのすべてがほしいと思って。
お姉様のドレスや宝飾品、それからお姉様の部屋やお父様の愛情まで。
ぜんぶぜんぶ奪ってやったのだ。
そのすべてが、ただの飾りだと知っていながら。
使用人もお父様も、中身が入れ替わっていることに、誰も気づいてくれなかった。
見た目が同じなら、中身のことなんて、誰も興味ないのだと思った。
それにお姉様になって思い出した。
平民の頃、貧しくて何も食べられなかったこと。
落ちてた財布を拾って持ち主に渡そうとしたら、泥棒扱いをされて殴られたこと。
違うのだと主張しても、誰も聞く耳を持ってくれなかったこと。
昔の私が辛くて嫌だったことを、お姉様に経験させてしまっていたんだ。
それに気づいた瞬間、涙とともに言葉が出てきた。
「……お姉様、ごめんなさぁあい。いまさら謝って……ぐす……許してもらおうとは思わないけど……辛い思いをさせて、ごめんなさぁあい」
もう入れ替わったまま、変わらないかもしれない。
このまま私はお姉様として生きて、辛い人生を歩んでいかないといけないかもしれない。
それでも、謝らないと。
扉の向こうから聞こえてきたのは冷たい声だった。
「私は、あなたのしたことを許さないわ。あなたが奪ったものはもうどうあがいてももとには戻らないのだから。――でも」
扉の向こうが少し静かになったが、すぐに声が聞こえてきた。
「あなたは十歳だもの。これから、努力をすれば変えられるんじゃないかしら?」
それっきり、お姉様の声は聞こえなくなった。
足音が遠ざかって行く。
きっと私は、このまま姉の身体の中で生きていくのだろう。
手に入れたと思った幸せはもうどこにもなく、誰も私のことを愛してくれない世界で。
でも、これが私の罰なんだ。
お姉様からすべてを奪おうとしたから、神様が怒って体を入れ替えた。
だったら、お姉様に償うためにも、私は一生、この寂しくてつらい世界で、生きて行かなくてはいけないんだ……。
「ごめんなさい、お姉様。もうなにも奪わないから……」
ぐすぐすと泣きすぎて、私は固い床の上でいつの間にか眠ってしまったらしい。
次に目を覚ますと、そこはふかふかなベッドの上だった。
「……夢?」
あんな生々しいのが、夢だったというの?
使用人を呼ぶ紐を鳴らすと、すぐに部屋の中に入ってきた。
見たことのある顔の使用人だ。
お姉様になっていたときとは違い、彼女は優しい瞳で私を見ている。
その目が、見開いた。
「お嬢様、怖い夢でも見られたのですか!?」
心配してくれる姿。
それは私ではなく、リンディに向けられたものだ。
「もしかして昨日、アシュリンお嬢様にあんなことされたから?」
「あんなこと?」
「アシュリンお嬢様は狂われたでしょう? それで、いまも屋根裏部屋に……」
「お姉様!」
そうだった。
私が元の身体に戻ったということは、お姉様も元の身体に戻っているはず。きっと喉の渇きと、空腹が辛いはずだ。
使用人に言って、持っていてもらおうか。
いや、駄目だ。
使用人はお姉様を見下している。私のせいで。
それなら、私が持って行こう。
それで、すべてを返すのだ。
ドレスもアクセサリーも、宝石やこの部屋だって。
お姉様から奪ったものをすべて返そう。
お姉様に許してほしくてするんじゃない。
まだ私が変われると、そう信じてくれたお姉様のために。
もうあんな経験、誰にもしてほしくはないから――。
◇◆◇
――屋根裏部屋にて。
「お母様からもらったペンダントも、すっかり黒くなってしまったわね。込められていた魔法の力が無くなったからよね。……はあ、お腹空いた。あの子も、これで少しは懲りてくれると良いのだけれど」