先輩に彼氏はいる?
この前の出来事があってから、僕は先輩との距離感が近くなったような気がして、浮かれていた。
だが、そんな先輩との甘い日々も、あることで亀裂が入ってしまう。
その日は日曜日で、僕は好きな作家の新作が出ると聞いたから、繫華街を歩いていた。
おしゃれな喫茶店のテラスで、小説を読みながらコーヒーを飲む。
ああ、なんて素晴らしい休日なんだろう。でもこの隣りに姫花先輩がいたら、どれだけ楽しいのだろうか?
「そんなラブコメじゃあるまいし、先輩がこんなところに……」
と言いかけた途端、目の前に本人が歩いていた。
首元にリボンがついたブラウンのワンピースを着て、さっそうと街中を歩く姫花先輩。
私服姿も最高、まるでモデルみたいだ。
この前僕がタオルで拭いた長い髪は歩く度に、左右に揺れている。
美しい。
あ、つい見とれてしまった。ちょうど僕の隣りは空いているし、先輩を誘う大チャンス!
よし、声をかけよう。と思った瞬間だった。
姫花先輩の隣りにピッタリとくっつくように、ひとりの若い男性が歩いている。
いかにもチャラチャラした野郎で、先輩に馴れ馴れしく話しかけていた。
「ねぇ~ いいでしょ? 一回ぐらいさぁ~」
「……」
しかし姫花先輩は、その誘いに乗ることはなく、無視して歩き続ける。
だが、ナンパ野郎も負けずに口説き続けていた。
「本当にダメ? 俺、こう見えてテクニックは上手いほうなんだけどさぁ」
なんて、自分を褒めているが、普段から小説を好む先輩の相手じゃない。
頭はピンク色の髪だし、着ている服もチャラい。
オーバーサイズのTシャツをスキニージーンズの中にタックインさせている。
「あの……私、何度も言ってますが、他人には任せたくないんです」
先輩が丁寧に断ろうとするが、その男も食い下がることは無い。
「いやぁ~ 君みたいな長い髪の子をちょうど触りたいんだよ? もちろん、お金は俺が持つから、一回でいいからダメ?」
「……本当にそれ以上のことは、しませんか?」
「もちろんだよ! 嫌がることはしない。無理強いもしないさ!」
「じゃあ、試しに一回だけ」
先輩の口から信じられない言葉が発せられたことで、僕はその場で固まってしまう。
あの姫花先輩が、あんなチャラ男の誘いにのるなんて……ウソだ。
先輩はあんな男が良かったのか……?
その後の記憶は、よく覚えていない。
ショックから僕は学校を休むようになってしまった。
もう、僕と先輩の甘い日々は奪われてしまったんだ! あのチャラ男によって……。
許せない。
※
僕はショックから家に引きこもるようになった。
食事も取らず、自宅の二階にある自室で小説を読んで、時間を潰す毎日。
しかし、小説を読んでいると表現したが、これは正しくない。
なぜなら、頭が文字を拒んでいるからだ。
あの人に出会うまでは大好きだった読書も、今では苦痛なだけだ。姫花先輩が別の男に盗られたなんて……。しかもあんなチャラ男に!
そんなことを毎日思い出しては、唇をかみしめて頭を両手で抱え込む。
だが、ある日。自宅のチャイムが鳴り、母さんが扉を開けると甲高い声が聞こえてきた。
『あの……突然失礼します。私、同じ文芸部の結城と申しますが、春樹くんは今いますか?』
なっ!? なんで……姫花先輩が僕の家なんかに?
『あらあら、綺麗なお嬢さんだこと』
天然な母さんは先輩の容姿をじっくりと眺めているのだろう。
『私のことは良いので……春樹くんに会わせてもらえませんか?』
『ええ、もちろんですよぉ~ 春樹ぃ~? なんか綺麗なお嬢さんが会いに来たみたいよ~!』
か、母さんったら、なんて大声で僕を呼ぶんだ。
それに今の僕はショックから何日もお風呂に入ってないし、顔も洗ってない。
汚いパジャマ姿で姫花先輩に会うことなんてできないよ……。
今から急いでも、着替えることすら間に合わないだろう。
僕がその場でひとり慌てていると、自室の扉が二回ノックされた。
『春樹くん? いるんでしょ? 入ってもいいかしら……』
「いや、あの! 姫花先輩……今の僕は汚いですよ」
我ながら情けない声で喋っていると感じた。
しかし、先輩はそんなこと気にせず、扉越しに怒鳴り声を上げる。
『そんなこと、どうでも良いじゃない!』
「え……?」
『わ、私には”あの時間”が何よりも大切なのよっ! 文芸部での春樹くんと二人きりでいる空間がっ!』
「それは、僕も同じ気持ちです……」
『じゃあなぜ学校に、文芸部に来てくれないのよっ!?』
先輩の問いに答えるべきか、かなり迷った。
でも、姫花先輩がしっかり僕への気持ちを話してくれたんだ。男の僕が脅えていてどうする!?
「実は……この前の日曜日、姫花先輩を見たんです」
『私を? それがどうしたの?』
「せ、先輩が知らない男と……すごくチャラチャラした男に連れて行かれるところを見たんです! あんな男が先輩と、つ、付き合っているなんて信じられない!? いつも小説ばかり読んでいる姫花先輩には、もっとちゃんとした男が……」
と話している際中だが、先輩によって遮られた。
『私の好みを知っている春樹くんが立候補してくれるとか?』
「そ、そんな……おこがましいです。それにもうあの男が彼氏なんでしょ!」
『フフフッ、そっか。そうかそうか、春樹くんは勝手に失恋して、休んでいたんだね』
なんて扉越しに笑い始める先輩。
一体、何が面白いんだ? こっちはずっと悩んでいたのに。
「なにがおかしいんですか! 僕はもうあれからずっと飲まず食わずで……」
『それなら、今からどこかでご飯でもどう?』
「どういうことです?」
『春樹くんが嫉妬している相手。ただの美容師よ? 新人でなかなか私みたいな長い髪を触れないから、カットモデルを頼まれただけよ。これで安心した?』
「なっ!? じゃあ付き合っているわけじゃないんですか!?」
驚きの余り、扉を開いてみると、嬉しそうに微笑む姫花先輩がいた。
そして僕の顔を見た瞬間、優しく抱きしめてくれた。
「もう、世話のかかる後輩ね。明日こそ、学校に来なさいよ」
「は、はい……姫花先輩」