表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

家畜が世界を作ったんだよ

飼っている家畜によって人の性格も変わるのかな・・そんなことあるとして話が始まります。

暦がまだ「光と闇の交わり」でしかなかった頃、人々は火と骨で暮らしていた。

彼らには安定した食料が必要だった。だが、どんな家畜と出会うかは偶然だった。

それは、大地の性格と、空に流れる風の言葉が決めた。


最初に羊をに出会った民は、騒ぎ立てることを良しとしなかった。

彼らは、沈黙の中にも秩序を見出し、規則正しく歩む群れの背を見て、未来を思い描いた。

羊は、乳を与え、毛を与えた、ただ一度も逆らわなかった。

その柔らかな体は、戦いよりも守ることを教え、民に「かたち」を授けた。


こうして生まれたオビス王国は、言葉のやりとりに長け、式典の間に国を築いた。

誰かが声を荒げれば、それは未熟の証。沈黙の技法にこそ、力は宿る。

やがて他国が目を向けたとき、羊の民は既に卓の中心に座していた。

「声なき言葉」を持つ民は、時に、最も遠くを見通す。


ヤギと出会った人々は、崖の縁に家を建て、風の形に名をつけた。

ヤギは気まぐれで、美しく、危うかった。乳は濃く、食は香り高く、だが飢えを凌ぐには足りなかった。

だから民は飢えを「美」として塗り替えた。飢えに詩を、欠乏に色彩を。

装飾と虚飾の狭間に、彼らは「文化」を紡いだ。


カプラ共和国の者たちは、嘘をつかない——ただ、真実を一枚布でくるんで渡す。

本音は演劇の奥にあり、建前こそが贈り物。

彼らにとって「事実」とは、語る者の手で編まれる絵画だった。


草原に生きる者たちが、牛に出会ったのはその後だった。

牛は揺るがず、強く、広い背をもって草を食んだ。

その乳は一族を養い、肉は宴を支えた。力のある民が、土地を切り拓き、火を運び、川を堰き止めた。

彼らは空を恐れず、過去に縛られず、「新しい」を愛した。


ボース国は陽のように明るく、声も笑いも大きい。

誰もが自分の旗を立てたがり、誇り高く、奔放に生きる。

だが時にその陽気さは、他者を忘れさせた。自由の裏には、責任を預ける手が必要だった。


これらの国々では、家畜は草だけをはむものだった。

飢饉のときにも家畜は乳を提供し

人々の子供の命を救った。

人々は羊、ヤギ、牛の命を大切にした。

お互いの命も大切にした。


そして、最後に豚を見つけた民がいた。


彼らの土地は湿っており、森は深く、果実は少なかった。

豚は、人と同じものを食べ、人のように太り、人のように貪った。

囲うには知恵が要り、増やすには規律が必要だった。

やがて民は、計算と管理を愛するようになる。情よりも生産、顔よりも番号。


スス国には、笑い声もあった。

だが沈黙は許されない。すべての言葉は、目的に従って使われる。

飢えの季節が来るたび、最も無駄のない犠牲が求められた。

スス国では、人を愛することは、時にその人を捨てることでもあった。


豚は穀物を食べる。

飢饉のときには豚にやる穀物はない。

人々は豚を殺して数を減らし、その肉を食べた。

それは至極合理的な判断だった。

自分たちが生き残るために誰かの命を奪う。

それはごく自然なことだった。


四つの国は、互いの名を知らぬまま、空の下に並び立った。

彼らはそれぞれの家畜から知恵をもらい、それぞれの形で「人間」を育てた。

だがその選びが、やがて道を分かち、衝突を呼ぶことを、まだ誰も知らなかった。


共に生きる家畜が、人を変える。

そのことだけが、確かだった。


----------


太陽が昇り、大地を照らす中で、ボース、オビス、カプラ共和国々はそれぞれの方向から歩み寄り始めた。

草原、丘陵、岩山。互いに異なる風景を背負った民たちは、初めての「国境」を越え、出会う。


きっかけは貿易だった。ボース国が誇る豊かな穀物と革製品、オビス王国の上質な羊毛と乳製品、カプラ共和国が生み出す香り高きチーズと美しい工芸品。それぞれが、それぞれにないものを持っていた。

最初は小さないちだった。だが市場の中央でひとつの問いが生まれる。


「これはいくらだ?」

「その布の文様には、五代にわたる意味がある。金だけでは測れぬ」


互いに違う価値観が、交易の場に混ざり合う。

ボース国の商人たちは、量と値を求めた。

オビス王国の職人たちは、格式と血統を重んじた。

カプラ共和国の芸術家たちは、言葉では説明できない「美」を主張した。


何度も声が荒れ、契約が破られ、物が投げられた。

だが、その混乱の中で、人々は学び始めた。異なる価値を翻訳すること。数と詩、伝統と革新を折り合わせる方法を。


やがて、三国の間に**「風の道」**と呼ばれる貿易路が開かれた。

広大な草原を牛の荷車が行き交い、丘を越えて羊の商隊が歩き、峻険な岩山をヤギの騎士たちが舞うように駆けた。


この道を通じて、物だけでなく、思想もまた流れた。


ボース国では、効率だけでなく装飾性を評価する市場が育ち始めた。

オビス王国では、古い礼法の中に、カプラ共和国からもたらされた自由な芸術が交わり始めた。

カプラ共和国では、論理と制度という「形のあるもの」の美しさを、ボース国の技術者たちから学んだ。


三国はまだ完全にわかり合ったわけではない。

あるとき、外交会議の場で、意見は激しく衝突した。


「土地は与えるが、様式までは譲れん。それは我が祖たちの声だ」

――オビス王国の長老。


「様式ってのは、時代に合ってなきゃ、ただの飾りだ。俺たちは機能を追いかけてる」

――ボース国の若き建築士。


「飾り? その“飾り”があるからこそ、人は心を動かすんじゃないの? 牛くんは石しか見ない」

――カプラ共和国の芸術顧問。


声がぶつかり、沈黙が流れ、そして——ある者が、静かに手を挙げた。


「オビスは過去に縛られる。ボースは今だけを生きる。カプラは未来しか見ない。だからこそ、私たちは三つで一つになれるのでは?」


言ったのは、オビス王国から来た外交官の娘、メイリスだった。

彼女は柔らかな声で語った。争いを終わらせようとしたのではない。ただ、それぞれの「見る方向」を繋げようとしたのだった。


その場にいた全員が納得したわけではない。だが、一瞬、空気が変わった。

それは「妥協」ではなく、「翻訳」だった。


やがて、三国はひとつの名を持つようになった。

「天秤の同盟アライアンス・オブ・バランス」。

重さも軽さも、速さも遅さも、形の違いも認め合いながら、均衡を目指す新たな秩序。


しかし、この協調を遠くから、じっと観察する眼差しがあった。

北の霧深い山脈の向こう、湿った空気と煙の漂う土地。

そこには、まだスス国があった。


彼らは来ない。だが、見ていた。

風の道に流れる商品と思想、交易に使われる符号と言葉、人々の喜怒哀楽のすべてを、冷静に、効率的に記録していた。


「彼らは、感情に価値を置くのか……」

スス国の文官はそう記した。


「ならば、こちらは感情を排除して、学ぶまでだ」

別の頁には、そう記されていた。


まだ、スス国は動かない。

だがその静けさは、夜の闇のように、確実に濃く深くなっていた。


----------


東の霧と煤の土地に、長らく沈黙を守っていた国があった。

湿った土に育つ根菜、屋根を覆う苔、空を覆い隠すような重たい雲。

そこでは、誰もが口数少なく、だがよく目を凝らし、耳を澄ませていた。


スス国。

彼らは見ていた。

「天秤の同盟」が築いた交易路、思想、対話、制度、すべてを。

文官たちは観察し、分析し、記録し、解釈し、簡潔な報告としてまとめた。

そこに感情はなかった。必要なのは効率だった。


そして、ある朝、静かに一隻の使節船が「風の道」の港に現れた。

それは美しくも奇妙な船だった。鋼の板と緻密な計算による形状、だが色も装飾も一切なかった。

スス国の外交官は、薄い灰色の衣をまとい、両手を前で組み、深々と頭を下げた。


「我々は学びに来ました。あなた方の技術、制度、理念、そのすべてに興味があります」


その礼節には嘘がなかった。ただし、温度がなかった。

オビス王国の外交官はその静けさに不安を覚え、

カプラ共和国の芸術家は「寒気がする」と呟き、

ボース国の商人は「悪くはない」とつぶやき、握手を交わした。


そこから、変化は急だった。


スス国は、ボース国の農耕技術を取り入れ、耕作地を十倍に広げた。

オビス王国からは織物技術と物流制度を、カプラ共和国からは加工技術と芸術教育を。

すべてを統計に落とし込み、施行に移すのに無駄はなかった。


ほんの数年で、かつて煤けた土地には整った都市が生まれ、道が交差し、市場が立ち並んだ。

教育制度が整い、子どもたちは計算と論理を叩き込まれた。

装飾は最低限、色は無彩色、建物は正確に並んだ。


「成長は、計算できるものだったのだ」

スス国の上層部はそう結論した。


だが、計算から抜け落ちていたものがあった。


人口である。


飢えが消え、死亡率が下がり、出生率は跳ね上がった。

瞬く間に、農地は足りなくなり、畜舎は密集し、都市には行き場のない人々が溢れた。


穀物は足りなかった。豚たちもまた食べなければならない。

家畜と人間の胃が、再び競合しはじめた。


会議室に、かつての記録が持ち出された。

古い石版に刻まれた言葉。祖先たちが「飢えの季節」に選んだ手段。


「我々は、再び合理性を選ばねばならない」

――最高評議長 ロ・グウ


灰色の瞳の中に、確信があった。


やがて、軍は編成され、地図が引き直された。

目標は、同盟圏の倉庫、農地、家畜舎、そして——住人たち。


侵略はまだ始まっていなかった。

だがそれは、まるで刃を研ぐ音のように、世界の空気を張りつめさせていた。


そのとき、三つの国はまだ、

あの静かな船と灰色の衣の背後に、飢えた獣の呼吸があることに、気づいていなかった。


----------


最初の火は、小さな村の麦倉だった。


夜の霧に紛れて現れた者たちは、顔を布で隠し、無言のまま穀物を奪い、家畜を連れ去り、燃えやすいものだけに火を放った。

襲撃は素早く、組織的だった。まるで軍隊のように訓練された動き。だが、国章も、旗も、何もなかった。


村人たちは叫んだ。「スス国の者だ」と。

しかし、捕まえた賊は誰ひとり、自らの素性を語らなかった。


三国の首脳たちは緊急会合を開いた。


「これは宣戦布告と受け取る」

――ボース国・司令官レオン


「いや、証拠がない。どの国の軍旗も、命令書も出ていない」

――オビス王国・長老シルマ


「でも、装備も動きも、“ただの民兵”にしては整いすぎてるわ」

――カプラ共和国・使節アリア


誰もが知っていた。あれはスス国だと。

だが、確証はなかった。あるいは——確証を持たぬよう、仕組まれていた。


スス国は素早く声明を出した。


「一部の暴徒による非合法な行動に過ぎず、我が国は責任を負わない。現在、秩序回復に全力を尽くしている」


冷静で、簡潔で、非の打ち所がない。だがその言葉の裏には、沈黙する兵器のような重みがあった。


同じころ、スス国の地下区画で、無名の輸送車が資源を載せていた。


食料、武器、道具、地図。

荷を受け取ったのは「登録のない部隊」。表に記録は残らない。

受け渡しを監視していたのは、軍でもなく官庁でもない。影の文官組織だった。


「これらは援助ではない。調査だ。彼らがどの程度行動できるか、我々は検証しているにすぎない」

――影の官吏


その目に、善悪はなかった。ただ合理性のみが光っていた。


その夜、スス国の官庁に一人残っていた若き分析官、シイ・カは、机上の資料に目を落とした。


穀物流通マップ。被襲撃地域の一覧。略奪部隊の行動パターン。


彼女はふと、隅に貼られた写真に目をとめた。

焼け跡の中、粉まみれの小さな靴。誰かが落としたものだろう。


シイはそっとその写真を裏返した。

そして、何も言わず、レポートの中の“戦果”の数字に、ただ一つ小さな丸を付けた。

その丸の意味を、誰も知ることはなかった。


一方、三国の対応は分かれ始めていた。


ボース国では怒声が広がった。「攻撃には攻撃を」と。レオン率いる部隊は国境に向かって動き出す。


オビス王国は、交渉の可能性を模索し続けていた。だが、攻撃は止まず、民の不満が噴き出している。


カプラ共和国は、一歩引いていた。情報操作を駆使し、自国の民の士気を鼓舞しつつ、スス国に圧力をかけている。

芸術家たちは壁画を描き、詩人はこう詠んだ。


「誰が炎を放ったかなど、問題ではない。

問題は、誰がそれを見て、目を背けたか、だ」


アリアはその詩を眺めながら、つぶやいた。


「これは戦争ではない。

これは“沈黙を許容する文明”と、“声をあげて惑う文明”の衝突よ」


各国の民も、揺れていた。

戦うべきなのか。

守るべきは土地か、命か、理念か。


ただ一つ確かなのは、

誰もが、誰かの嘘の上に立っていた。


その嘘は、まだ形になっていない。

だが風のように、あらゆる場所に入り込んでいた。


----------


開戦の合図はなかった。

だが、戦はすでに始まっていた。


スス国と名乗らぬ者たちは、再び国境を越えた。

今度はただの穀倉ではない。ボース国の前線集落、オビス王国の織物倉庫、カプラ共和国の小さな芸術学校——

彼らは、価値あるものだけを狙った。


民は避難し、兵士たちは銃を構えた。だが誰も「どこに撃てばよいか」が分からなかった。

そこには国旗も、命令書も、宣戦布告もない。敵が曖昧な戦場が、ただ広がっていた。


ボース国、前線司令室。

レオンは地図の前に立ち、指揮官らと短く言葉を交わす。


「これは戦争だ。国家が関与していようがいまいが、攻撃を受けている。それだけで十分だ」


副官が問う。「だが敵が“民間人”を装っている場合、どうする?」


「装ってる時点で敵だ」


その言葉には、迷いはなかった。

だがその夜、レオンは一人でワインを開け、

グラスの縁に、かつて友人だったオビス王国の外交官メイリスの名前を思い浮かべていた。


オビス王国では、民の声が高まりつつあった。


「話し合いで守れたのは羊だけだ。人は、それだけじゃ足りない」


シルマはそれでも、筆を取り、スス国へ最後の書簡を送った。


「貴国が関与していないというなら、その証明を。

されど、もし沈黙を続けるなら、沈黙は同意とみなされる」


返事はなかった。

その代わり、翌週、交渉団が乗った馬車の帰り道に、

爆裂罠が仕掛けられていた。


カプラ共和国では、アリアが言葉を武器にしていた。


詩人に書かせ、歌い手に広めさせ、劇場に情熱的な脚本を送り込んだ。

世論は沸き立ち、感情は燃え上がる。

スス国を「数字だけを信じる人形」として罵る声が街に溢れた。


だがその一方で、彼女は外交帳簿に目を通していた。

スス国との極秘貿易契約の痕跡がいくつも残っていた。


「うちの貴族たちは平和を叫びながら、裏で金を流してる…」


彼女は天井を見上げて笑った。


「“美しい建前”って、便利よね」


スス国。

若き情報分析官シイ・カは、数字の海に座っていた。


侵略部隊の行動範囲と資源流入のグラフ。

三国の反応パターン。

政治指導層の「容認ライン」。


数字は順調だった。

だが彼女の机の引き出しには、あの焼け跡の靴の写真が、まだ挟まれていた。


「合理性って、誰のためにあるんだろう」


彼女はつぶやき、目を閉じた。

翌日、彼女は内部告発用の書簡を一通、匿名で風の道の途中にある中立市に投函する。


数日後、三国連合がついに動いた。


公式な共同声明が出された。

「我々は、国家による非公然の攻撃を容認しない。防衛と秩序の名のもとに、協力して対応を行う」


戦端が開かれた。

兵は動き、対話は止まり、人々の心が揺れたまま、剣が交わされた。


夕暮れ時、オビス王国の高台に立ったメイリスは、赤く染まる空を見つめた。


「戦争は、“誰が正しいか”ではなく、“誰が選んだか”が語られる」


隣に立つのは、避難してきたカプラの詩人だった。

彼は答えた。


「詩には、どちらも書けるよ。

英雄の名も、裏切り者の名も、どちらも美しく」


そしてその夜、風が変わった。


それは、誰かの血の匂いを孕んだ風だった。

誰もが、自分が選んだ立場に、ほんの少しだけ迷いを抱きながら、それでも前に進んだ。


----------


雨が降った。


泥に染まった畑、崩れた壁、焼け残った市場の跡地に、静かに水が落ちていく。

銃声も叫びもない。だが、人々の胸の内には、言葉にならない痛みが残っていた。


戦は、終わった。

正確には、「終わらされた」のだ。


最終的に三国は共同で、“無所属戦闘部隊の排除”という名目で限定的作戦を展開。

明確な敵軍を設定しないまま、特定地域の封鎖・非武装化を実施した。


スス国は公式声明を出した。


「我が国は、戦闘を望まず、秩序の回復に尽力した」


誰も信じなかった。

だが誰も、明確な証拠を出せなかった。


戦争は、なかったことにされた。


戦場から引き上げたボース国の兵士たちは、沈黙していた。


レオンは防具を外し、銃を手放し、故郷の草原を見つめていた。

焼けた畑に、わずかに新芽が顔を出していた。


「俺たちは、何を守ったんだろうな」


誰かが言った。

レオンは答えなかった。ただ、その芽に手を伸ばした。


オビス王国では、メイリスが高台の修道院に戻っていた。

書きかけの外交書簡を前に、彼女は深く息を吐く。


「対話は、終わったのではない。

終わるものなら、始める意味もない」


外では、子どもたちが石畳にチョークで絵を描いている。

それは、旗でも銃でもなく、手をつないだ四つの動物の絵だった。


カプラ共和国の劇場では、新作の初演が行われた。

題名は《風の声と灰の歌》。


フィナーレの場面で、詩人がひとことだけつぶやく。


「この戦争で、誰が勝ったのかは分からない。

だが確かに、誰かが変わったことだけは、知っている」


観客の拍手は静かだった。

心を叩くのではなく、胸の奥に沈む何かを抱えるような拍手だった。


アリアはその様子をロッジの窓から見つめ、ワインを傾けた。


「まあ……悪くない終わり方、かしらね」


そして、スス国。


中央庁舎の片隅、資料室の鍵のかかった引き出しに、一通の書簡が保管されている。

差出人は不明。日付もない。


「数字にできぬ痛みが、世界を動かす時がある。

そしてその痛みこそ、未来への鍵になることもある」


分析官シイ・カは、今も在任している。

だが以前のように無表情ではなくなった。

報告書の余白に、よく詩の一節を残すようになった。


その詩を、誰が読むわけでもない。

だが、紙は確かに、何かを受け止めている。


戦後の世界は、かつてのようには戻らなかった。

ボース国の市場には羊の織物とカプラの陶器が並び、

カプラ共和国ではスス国の製鉄技術が静かに導入され始め、

オビス王国の学校には、**「合理性と共感」**を教える新たな教科が生まれた。


それは、混ざり合うことでしか生まれ得なかった世界だった。


誰もが、問いを残したまま、次の日を生きていく。


スス国は変わるのか。

三国は、過ちを繰り返さないのか。

人は、何を選ぶべきなのか。


ただ一つ言えることがある。

家畜は文明を与えたが、選ぶのはいつだって人間だった。


そして人間は、選び続けなければならない。


風の道には、また新たな足跡が刻まれていた。

おとぎ話のようなそうでないような。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ