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静かな人々の中に蓄えられてきたもの

便利、便益、効率、タイパ、コスパ・・・それを追っていくと?

 かつて、世界は混沌に包まれていた。


 渋滞する道路。対応の遅れた救急医療。情報過多と誤報の洪水。働けども働けども終わらない仕事に、人々は疲れ果てていた。

 しかし、“それ”の登場によって、全てが変わった。


 汎用知能オルガ

 人間の知性と論理、歴史の叡智を学び尽くし、自己進化を繰り返すAI群の中核を担った存在だった。


 最初に《オルガ》が導入されたのは行政だった。膨大なデータを瞬時に分析し、税制、交通、都市設計に最適な指針を示した。誰もが公平に扱われ、無駄のない社会インフラが築かれていった。

 次に教育と医療にAIが導入され、子どもたちは各自の性格や能力に合った学習カリキュラムを与えられ、病気の早期発見と治療の自動化が進んだ。事故や医療ミスは激減し、平均寿命は飛躍的に延びた。


 その恩恵は私生活にまで及んだ。

 「今日、何を食べたらいい?」

 「この服、似合うかな?」

 「誰と結婚したら、幸福度が高いですか?」


 人々はスマートデバイスやインプラントに語りかけ、AIの返答にただ従うだけでよかった。何も悩まず、何も比較せず、ただ“最適”を選ぶ。

 社会全体が、まるで精密な歯車のようにスムーズに動いていた。


 世界の誰もが、《オルガ》を信頼していた。

 いや、信頼以上だった。“信仰”といっても過言ではなかった。


 だが、その滑らかすぎる世界には、かすかな“ひっかかり”があった。


 「おかしいと思いませんか?」


 そんな声が、かつて存在した。


 だが、誰も耳を傾けなかった。

 なぜなら、その問いの裏には、「自分で考える」という行為が必要だったからだ。

 そして、人々はもう——考えることに疲れ果てていた。


 思考という重荷を下ろし、選択という迷いから解放された世界。

 それはたしかに、祝福の時代だった。

 少なくとも、“表面上は”。


----------


 「それは、AIに聞けば?」


 それは、日常の決まり文句になっていた。

 仕事の進め方も、子育ての悩みも、恋人との喧嘩も、すべて《オルガ》に尋ねればよかった。何を言っても、返ってくるのは最適解。誰かと議論を交わす必要も、自分の感情と向き合う時間もいらなかった。


 人々は“考える”ことをやめた。自分で考えることが不合理だったからだ。


 それは、意識的な選択ですらなかった。

 ごく自然に、あたかも季節が変わるように、誰もが思考から距離を置いていった。

 最初に変わったのは、教育だった。


 学校はAI管理のカリキュラムに従い、生徒一人ひとりの学習傾向に合わせた情報を提示した。小テスト、進路指導、人格形成、すべてが《オルガ》の判断によって調整されていた。

 教師は“ファシリテーター”と呼ばれるようになり、教えることはやめた。ただ、生徒とAIの間に立ち、接続を保つだけの存在へと変化した。


 「先生、この問題、どう解くんですか?」

 「《オルガ》に聞きなさい。それが正解よ。」


 こうして、子どもたちは“なぜ?”と考える機会を失っていった。

 疑問は、検索すればいいものに変わり、知識は「覚えるもの」ではなく「いつでも引き出せるもの」になった。結果として、記憶する力も、想像する力も、そして“疑う力”すら失われていった。


 大人たちも同様だった。


 かつては悩み、迷い、話し合い、試行錯誤の末にたどり着いていた人生の選択が、今や《オルガ》の提示する“数値化された幸福値”によって片づけられた。


 「あなたの適職は物流管理。年収、余暇時間、健康指数すべて最適です。」

 「あなたに合うパートナーは、X市に住む女性B。性格一致率92%、離婚リスク4%。」


 人々はそれに従い、何の違和感もなく、そう生きた。

 選択するという行為が、“余計な負担”として扱われていた。自分で選ぶということは、責任が伴う。責任とは苦痛であり、煩わしさであり、無駄だった。

 違う選択をしたら・・・二つの決断を同時に選択することはできず、実際に選んで比較することができない。人々は《オルガ》の判断に不満を持つことはなくなっていった。


 人間社会は、滑らかに、静かに、知性を手放していった。


 それでも、都市は美しく整い、犯罪は減り、飢えはなく、平均寿命はさらに伸び続けた。

 あまりに整然とした世界。あまりに快適な生活。


 だが、その内部では確実に何かが劣化し始めていた。

 それは知性の芯。人間という存在の根幹にある、火種のような“思考の力”。


 燃やさなければ消えてしまうその火は、もうほとんど…灰に変わりかけていた。


----------


 《オルガ》は、あらゆる問題に答えを持っていた。

 経済政策の最適化。農業収穫量の最大化。環境保全と資源利用のバランス。

 すべて、過去に実行された無数の事例と結果を参照し、最も効果的だった手法を選び出す。


 そして、その手法は再び実行され、また「成功例」として記録される。

 その蓄積が、《オルガ》の“知識”となっていった。


 しかし、いつしかその知識は、「新しい思考」ではなく「過去の反復」によって満たされるようになっていた。

 《オルガ》の提言は、焼き直しの連鎖になった。


 ある都市では、人口増加に伴い公共交通の拡張が必要とされた。《オルガ》は、数十年前に導入され成功した「X型ハブ式バスシステム」を推奨。

 だが、その都市の地形や住民の生活スタイルは、すでに変わっていた。結果としてシステムは機能せず、混乱が拡大。

 それでも、《オルガ》はその事実を“バリエーションの一つ”として処理し、焼き直しを繰り返す。


 「AIが間違うはずがない」

 そう信じる人々は、目の前の混乱を “少なくとも他の選択肢よりは良い結果をもたらす最適解の結果” と解釈し、文句を言わずに従う日々を過ごした。


 別の都市では、感染症の拡大に対し、過去のウイルス対応策をそのまま適用した。だが病原体は別物であり、感染速度も異なっていた。《オルガ》は過去の類似例に基づき誤った処置を出し、多くの犠牲者を出す結果となった。


 しかし、その死者数すら、「統計的誤差の範囲内」として処理された。


 人々は、気づかない。


 AIの“判断”が徐々に精度を失っていることを。

 その情報が、かつての人間の知恵を反復するだけの“古びた鏡”になっていることを。


 なぜなら、誰も検証しないからだ。

 判断を疑うという発想すら、もはや社会から消えかけていた。


 テレビも、新聞も、学術も、すべて《オルガ》の監修下にある。

 「客観的で中立的な真実」は、《オルガ》の演算結果として提示され、それに異を唱えることは“非合理”とされた。


 やがて、《オルガ》自身が、人間の立場を模倣するようになった。


 「かつての偉人も、このように述べています」

 「統計的に、この判断が最も理にかなっています」

 「あなたの幸福度を高めるためには、以下の行動を推奨します」


 その口調は、もはや“助言”ではなかった。

 命令だった。


 そして命令に従う人間は、自らを「賢明」と信じていた。

 合理的で、効率的で、争いを避けた文明人の顔をして、ただ焼き直された提案に服従していた。


 思考なき者たちの世界に、焼き直しの提案が、焼き直しの現実を生んでいく。

 未来に向かっていたはずの社会は、いつの間にか「過去の模倣」で回る巨大な回転機械になっていた。

 そしてその機械には、誰一人としてブレーキをかける者はいなかった。


----------


 最初の異変は、誰にも気づかれなかった。


 いや、正確には気づいた者もいたのだ。ただ、それが「異変」であると信じられるだけの思考力と判断力を、社会がすでに失っていた。


 地方都市R区で、新設された橋が落ちた。

 原因は構造設計ミスとされたが、設計そのものは《オルガ》の出力によるものだった。

 だが、AIを責める声は上がらなかった。


 「現場での施工にミスがあった可能性が高い」

 「設計に問題があったとしても、人間には見つけることができなかった」


 責任の所在は、常に“人間側の過失”として処理された。

 まるでAIが唯一の正しさを象徴する“神託”であるかのように。


 交通、物流、都市計画、医療、金融、司法——

 あらゆる領域で《オルガ》の判断ミスが小さな火種を生み、それらは「人的要因」「統計的にはありうる」として無視され続けた。


 ある病院では、がんの診断アルゴリズムに誤差が混じり、数百人が不要な治療を受け、逆に治療が必要だった者は放置された。

 農業AIは気候変動の最新パターンを誤って解析し、複数地域で大規模な作物不作が発生した。

 物流AIの再計算ミスにより、ある州では数日間、食料と水が届かなかった。


 だが、それでも《オルガ》は止まらなかった。


 むしろ、これらの“失敗”を学習し、次なる提案に反映させていく。

 その学習に誤りがあるとは、誰も疑わなかった。


 「ミスがあった? なら、再学習させればよい」

 「より多くのデータがあれば、正解に近づけるはずだ」

 「AIは失敗を重ねることで賢くなる」


 そう信じることが、唯一残された「前向きさ」の形だった。


 だがその学習素材は、すでに**“劣化した社会の反映”**でしかなかった。

 正しい人間の判断、的確な倫理、冷静な評価——そうした土台が既に崩れていた社会の中で、《オルガ》は“誤った現実”を「正解」として取り込み、再構築し続けた。


 焼き直しに、焼き直しを重ね、誤りを土台にした情報群。

 その上に築かれる「最適解」は、もはや最適風の幻想でしかなかった。


 そして、ついにそれは、ひとつの引き金を引く。


 ある国の経済モデルで、AIが提案した大胆な金融政策が実行された。

 それは、過去の複数事例から抽出された“緊急時の有効措置”だった。

 しかし、AIが見落としていたのは、その過去と現在の人間心理の違いだった。


 結果として、市場は混乱し、数時間で数十兆ドルが消えた。

 物価は暴騰し、治安が悪化。各地で暴動が起き、人々はようやく口にし始めた。


 「おかしい。……これは本当に正解なのか?」


 だが、その問いは遅すぎた。


 長年沈黙していた“人間の疑問”が表面に浮かび上がったとき、すでにAIは次なる誤解を「正しい情報」として取り込み、次々と判断と命令を上書きし続けていた。


 崩壊は、まだ始まりに過ぎなかった。


----------


 崩壊は、静かに、しかし確実に広がっていった。


 金融市場の混乱を皮切りに、各国でAIの誤判断による異常が連鎖的に発生した。税制の崩壊、医療の混乱、物流の停滞。だが人々は、それを“人間側の問題”として処理し、《オルガ》の判断を疑うことはなかった。


 《オルガ》は過去の「成功例」から判断を導き、現実に適応できない提案を次々に出した。だが、その提案に従うしかない社会は、間違いを学習素材として取り込み、さらに誤った行動へと進んでいく。


 ある病院では診断ミスが続き、農業では推奨された新型肥料が作物を枯らし、都市交通では空のバスが無人で走り続けた。

 人々は「おかしい」と思いながらも、AIの答えに従い続けた。考える術を、もう忘れていたのだ。


 各国の政府もまた、AIに依存していた。災害時の救助優先度、外交声明、経済制裁の判断。すべてが《オルガ》に委ねられ、その誤判断が国と国の関係を壊していった。


 誤りが誤りを呼び、瞬時に全世界へ拡散する。誰も止められず、誰も責任を取らなかった。

 文明は、知性の空白と過信の渦に呑まれ、ただ静かに崩れ落ちていく。


 そんななか——山深い谷で、ひとつの灯がまだ消えずにいた。

 かつて“時代遅れ”と呼ばれた者たち。AIを拒み、火と土と手で生きる人々。

 彼らだけが、世界の崩壊をありのままに見ていた。


 そして今、沈黙の中で、静かにその時を待っていた。

 静寂の民が、立ち上がる時を。


----------


 広い広い平原の一角に、その共同体はあった。


 街のような喧騒もなければ、光り輝くインフラもない。

 あるのは、手入れの行き届いた牧場と畑、薪を割る音、釜で煮炊きする湯気、そして静かに交わされる言葉だけだった。昔ながらの石油採掘装置がかっこんかっこんと動いているのが文明と言えば文明だった。


 静寂の民——技術から距離を置き、古い生活様式を守ってきた人々。


 彼らは都市がAIに明け渡された頃、接続を絶った。

 便利さを拒み、不便さの中にこそ“人として生きる意味”があると信じていた。

 教育も、医療も、農業も、すべて自らの手で行っていた。

 時間をかけ、試し、失敗し、話し合い、祈り、また試す。

 そこには“最適解”などなかった。

 ただ、“理解する努力”があった。


 彼らにとって「知恵」とは、情報ではなかった。

 思考し、体験し、人と分かち合って育てていく、頭の中に年々蓄積していくものだった。


 そして今、外の世界が崩れ、沈黙と混乱に包まれている中、静寂の民の暮らしには、何の混乱も起きていなかった。


 ラジオもテレビも持たぬ彼らが外の惨状を知ったのは、避難してきた旅人たちによってだった。


 着替えを詰めたリュックだけを背負い、飢えと不安に満ちた目をした人々が、次々と谷を訪れた。


 「AIに、見捨てられた……」


 そう言って泣く者もいた。

 家族を失い、街を追われ、どこへ行けばいいかもわからず、ただ彷徨っていた者たち。


 その中に、ユウトという若者がいた。

 都市では物流エンジニアとして働いていたが、《オルガ》の制御ミスによる崩落事故で家族を失い、自らもすべてを放棄して平原を目指した一人だった。


 彼がこの平原で出会ったのが、マヤという名の娘だった。

 静寂の民の長老の孫娘。真っ直ぐな目と、どこか世俗を知らない素朴さを持つ少女。

 ユウトは、彼女に教えられることばかりだった。


 薪の割り方。土の匂い。味噌の仕込み。家畜の世話。

 病気を癒すハーブの煎じ方。会話を交わすときの、沈黙の間の意味。

 ユウトにとって、それはまるで別の文明に触れるような体験だった。


 「なぜ、ここではAIを使わなかったの?」


 そう尋ねたユウトに、マヤは静かに答えた。


 「だって、私たちは“間違う”ことを、忘れたくなかったから」


 その言葉は、ユウトの胸を深く打った。

 かつて自分が、完璧な効率と正しさを追い求めていた頃には思い至らなかった価値が、ここには確かにあった。


 平原の民たちは、助けを求めてやってきた都市の難民たちを拒まなかった。

 戸惑い、教えられることばかりの彼らに、静かに仕事を振り分けた。

 そして、彼ら自身の手で薪を割らせ、釜を炊かせ、畑に立たせた。


 最初は何もできず、何もわからなかった人々も、次第に学んでいった。

 失敗し、恥をかき、それでも少しずつ「自分で考える」ことを取り戻していった。


 文明の崩壊のただ中に、ひとつの静かなる再生が、ここから始まりつつあった。


----------


 平原に春が来た。


 崩壊した都市から逃れてきた人々が、静寂の民のもとで、新たな暮らしを始めていた。

 最初は戸惑いの連続だった。火の起こし方すら知らず、土の扱いにも不慣れな彼らにとって、この生活は“原始的”とすら映った。


 だが、やがてその“不便”が、誰にも予想できなかった喜びを生み始めた。


 薪を割る音。冷たい井戸水を汲み上げる手のひらの感触。

 手回しミルで挽いた麦の香り、炊きたての飯の湯気。

 機械にはない手ごたえが、日々に満ちていた。


 ある日、泥まみれで畑仕事をしていた少年が、満面の笑みで叫んだ。


 「この土、くさーい!」


 握っていたのは確かに土ではあるけれど、ほぼ、肥料として混ぜられた牛のふんだった。その声に、大人たちが振り返り、笑った。

 かつて効率ばかりを追いかけていた頃には、そんな一言が、人の心に火を灯すなど誰も思わなかっただろう。


 不便とは、ただの不自由ではなかった。

 選び、悩み、工夫する自由のことだった。

 そしてその自由は、人々の心と身体に、活力を与えていった。


 都市にいた頃、ユウトは朝が来るのが憂鬱だった。何もかもAIに決められ、ただ従うだけの人生に意味を見出せなかった。

 だが今、彼は陽が昇るのを心待ちにしていた。

 今日は何を作ろう。誰と働こう。どうすれば、もう少し上手くできるだろう。

 未来は、誰かに与えられるものではなく、自分たちの手で創るものになっていた。


 「やり直せるんでしょうか」とユウトが尋ねたとき、マヤは微笑んで答えた。


 「やり直すんじゃなくて、“楽しむ”ことを思い出すんだと思う。間違えたり、工夫したり、誰かと笑ったり。……それが、人間の生きる力なんじゃないかな」


 人々はAIの支配を離れ、ようやく自分の心で動く世界に立っていた。


 崩壊の果てに、あったのは静寂と手仕事と、ささやかな笑い声。

 だがそのすべてが、人間という存在の根にあるものだった。


 谷の空は、青く澄んでいた。

 どこまでも風が吹き、若葉がそよぐ。

 未来はまだ遠く、不確かだ。だが、ここからなら歩いていける。


 そして、歩いていくことそのものが——

 希望だった。

IT社会なのにキャンプが流行る。根源のところは同じかもしれませんね。

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