【捌】打ち水
__太陽が降り注ぐ、暑い春の朝。
「…今日も暑いわねぇ…。」
額に汗をかきながら、
お狐様は井戸から水を汲んできて、石畳みに向かって
柄杓で水を撒いていた。
「…おはよう。朝から打ち水か?」
石の階段から誰かが静かに上がってくる音がする。
お狐様が耳をぴんと立てて、声に振り返ると、
いつものように暑そうな格好をした青年が立っていた。
「これはもう春じゃないわ。初夏よ!初夏!」
お狐様はバシャッと境内脇に打ち水をする。
暑さからの苛立ちなのか、打ち水の勢いが強い
「まぁ、最近の暑さは異常だな。でも君の格好は涼しそうだけど?」
すでに夏用の軽めの巫女服に着替えているお狐様に気がつくと、自分も腕まくりをして、打ち水を手伝う。
「…私の尻尾や耳のふわふわは、夏の暑さには向かないのよ。」
額の汗を拭いながら、黙々と打ち水をする。
時より目線を青年に向けながら、一度手を止めて
「…ねぇ。少し休憩しない?」
「まだ始めたばかりなのに?」
「いいじゃない。麦茶冷やしてのよ、飲むでしょ?」
「…遠慮なくいただきます。」
お狐様は尻尾に弧を描きながら、青年の隣を歩く。
青年もお狐様の横顔をみて、少し嬉しそうな顔をする。
風が吹くたびに、汗を書いた体を通り抜けて、気持ちがいい。
ふたりは神社の縁側に座り、風鈴が鳴らす風の音を聞きながら、ふたりで麦茶を楽しんだ。
「…んはぁ…生き返るわ…」
「…君、神様だろ。」
「こういうのに、神様も人間もないのよ。」
お狐様は一気に麦茶を飲み干すと、力が抜けたように
青年の肩に頭が横たわる。狐の耳と尻尾もだらりと下がって
「こう暑い日に飲む麦茶は、どうして、こうも美味いんだろうな。」
青年は一言ぽつりとつぶやく。
「…ふたりが今日もここにいるから…。かしらね。」
お狐様はそれだけ答えると目を閉じて
青年はすぐ横で風に吹かれるお狐様を見ながら
自分もゆっくり目を閉じて一言だけ。
「…そうかもな。」
ふたりは暑い春の日の風に、寄り添いながらそっと吹かれ。時より強い風が吹いて、お狐様の橙の長い髪を揺らすした。
朝はすっかり終わりを迎えて、お昼間へと姿を変える
今日もまた暑くなりそうだ。
ふたりは目を閉じたまま、午後をどう過ごすか、
頭の中で同じ事を考えていた
青年はなんだか幸せそうな顔をしていて
お狐様の尻尾も、いつにもまして弧を描いた。