【漆】雨の後
__曇り空の午後、神社の境内。
今日は午前中から天気がすぐれない。
風が少し強くなってきた。
お狐様は境内の掃除をしていて、青年は社務所の古い道具の整理を頼まれていた。
「なぁ、これはもう捨ててもいいんじゃないか?割れてるし。」
青年は古びた陶器を手にする。
「だめよ、それは……昔、私が来る前の神様が残していったものなの。古い信奉者が送った信仰の”形”って
そう簡単に捨てちゃだめなの。」
「でも、使えないなら__」
「使えるかどうかじゃなくて、”意味”があるの。あなたは……まだ、この神社のことをわかってないわ。」
言った直後、お狐様は少し言い過ぎたと気づいた。
だが、青年は静かに立ち上がり、陶器を棚に戻した。
「……あぁ、そうだな。
俺は、”神様じゃない”からな。」
「待って、そういうつもりじゃ…」
青年はそれ以上言わず、社務所を出ていった。
お狐様はその背中を追おうとして、けれど足が止まってしまう。
__夕方、雨がぽつりと降り出した
まるで、ふたりの今の気持ちを静かに表すように。
お狐様は神社の鳥居の下、空を見上げながら立っていた。
「……また、私、失敗したのかしら。」
彼女の手には、先程の陶器がある。
先代の神様が信奉者から受け取った、信仰の象徴だった。
時間が立って形は壊れても、それは今も存在し続けていた。
「人間の心って、やっぱり難しいわ……」
その時、背後から静かに足音が近づいた。
「……風邪、ひくぞ。」
お狐様がふり向くと、そこに青年が傘を持って立っていた。
「怒ってる?」
「怒ってない。」
「じゃあ……呆れてる?」
「ちょっとだけ。」
お狐様はしゅんとしながら、小さく頭を下げる
「ごめんなさい……
あなたが”知らない”んじゃなくて、
私が”教えようとしなかった”だけなの。」
青年は傘を差し出しながら、自分も小さく頭をさげて
「……謝るのは俺の方だ。”分かろうと”、…しなかったんだからな。別に……知らないことがあるのは当然だ。
俺もまだまだ”ここ”に馴染んでないしな。」
「それでも、毎日来てくれてる。」
「それでも、君が待っててくれてるから。」
沈黙のあとの、小さな間。
そして__
「じゃあさ。」
青年がぽつりつぶやいて、微笑む
「仲直りの印に、その陶器のこと……今度ちゃんと教えてくれないか?」
お狐様はぱっと顔を上げて、ぱちぱちと尻尾を揺らす。
「ええ、もちろん!」
ふたりは一本の傘に入り、境内へ戻っていった。
雨はやがて小雨になり、雲の切れ間から光が差し込む。
それはまるで、曇ったふたりのこころを照らすような
あたたかくて、心地よい、夕陽の光だった。