【伍】小さな命
――寒さは無くなり、花が咲き誇るようになった
ある日のこと。
花も少しずつ葉っぱへと変わっていく中、山の中にある神社の屋根の上。燈の髪をなびかせながら、お狐様は里の様子を眺めていた。
「…あっ。こいのぼり。」
暑くなったばかりの空の下で、昔ながらの黒鯉が元気よく泳いでいるのをお狐様は見つけた。山の中にあるここでも、小さいながらそれはよく見えて
「去年は無かったから、今年あのお家に男の子が生まれたのね。…なんだかいいな。」
いつも見ていた里の変化。姿は見えなくてもわかる小さな命に少しだけ胸の周りが暖かい。
「あの人も昔は、アレを見てはしゃいだりしてたのかな。」
不思議と青年の事を考えてしまう。思えば彼は毎日会いに来た。彼似合うたび、考えるたびに、
なぜか尻尾は弧を描く。それはとても恥ずかしくて
誰もいないのに尻尾で口元を覆ってしまう。
「別に、なんとも思ってない…ただ、いないと少し寂しいと思うだけなんだから。」
まだ来ていない青年を意識してムキになる。
顔を赤らめながら登ったはしごの方へ歩く…。
「きゃ!?」
足が滑って後ろ向きに体勢を崩してしまう。
後に迫る空気を感じながら屋根から地面へと吸い込まれる。何かに掴まろうと手足を動かすが
それは無常にも空を掴んで。
「落ちちゃう…たすけ…」
___ダタッ
何かが力強く駆け出して、お狐様が落ちる場所で捕まえる。お狐様も落ちないようにそれに捕まって
「…っ…あぶないだろ、かみさま。」
息を切らしながら体を抱えている。涙ぐんだ目を開けると、そこに居たのはいつものだらしない姿とは違う、決死の姿の青年だった
「…あなた、どうして…」
お狐様は、抱えられたまま青年を見つめる。
いつもは、ぴんと立っている耳も今回ばかりは、
すっかり垂れ下がって
「…”神様”らしいことするからだ。」
険しい表情は和らぎ何時もの青年の顔へと戻る。
めんどうくさそうな顔は心なしか、安心したように
少し笑みを含んで。
「…バカじゃない。あなたまで怪我するところよ…」
その優しい顔になんだか無性に安心する。
目を細めた。きっと、お日様が眩しいせい。
たくさん、たくさん、眩しくて、何度も、何度も、涙が溢れる。
尻尾も耳も垂れ下がり子犬のようにわんわん泣いた
「まったく…」
青年はそうとだけ言うと、泣き止むまで抱きかかえたまま。落ち着いたのを見るとそっと石畳に下ろして
「…別に、私一人でもなんとかできたのよ!…でも、ありがとう。」
青年と境内の石段に座り、泣きはらして赤い顔とぴんととがった耳をしながらも、尻尾は何度も弧を描く。
腕に抱かれた時に、屋根の上で見た、同じ命を近くで感じて。怖いはずなのに不思議と安心してしまう
「次また落ち出来ても、何度でも捕まえてやるさ。」
青年は少しかっこつけて、はにかみながらそう笑う。
「…バカ。」
そんな青年の背中を小恥ずかしさから小突いて
尻尾で顔を隠しながらそっぽを向くけれど
その顔はどこか嬉しそうで。