【肆壱弐】君のいない日
__蝉の鳴き声が騒がしい朝。
今日も青年は何時もの神社へと向かって歩いていた。
町を抜け、外れに出て、山の小道を登る。
「……あれ、いないのか。」
青年は、鳥居をくぐってすぐに気づいた。
いつもなら本殿の前で掃除をしていたり、
縁側に座って手を振っていたり──
どこかしらに“いつもの神様”がいるはずなのに、
今日はどこにもその姿がない。
「……まあ、そんな日もあるか。」
そう言いながら、青年は日課に取りかかる。
境内の掃き掃除、水場の掃除、供物の整理。
そして、いつもどおり賽銭を入れ、
手を合わせた。
──ぱん、ぱん。
ふたりでやるのがいつもの流れになっていたから、
ひとりで音を立てるのが、なんだか少しだけ大きく感じる。
昼になっても帰ってこない。
お狐様がいないだけで、神社は不思議と静かすぎた。
セミの声や風鈴の音も、どこか間延びして聞こえる。
「……なにやってんだか。」
縁側に座ってぼんやりしていると、
いつの間にか日が傾き始めていた。
──そのとき。
「ただいまー……」
鳥居の方から、聞き慣れた声がした。
「……どこ行ってたんだよ。」
「ごめんね、ちょっと山の方に祈願と巡視。
最近、このあたりで“道に迷う人”が増えてるみたいだから。」
「そうか……神様っぽいことも、ちゃんとしてるんだな。」
「なによそれ、失礼ね?」
お狐様は、ほんのり汗をかいて、ちょっとだけ息を弾ませていた。
それを見て、青年はなぜかほっとする。
「……君がいないと、神社の音まで静かに思えた。」
「え?」
「風鈴も蝉も、全部ちょっとだけ寂しそうだった。」
お狐様はしばらく黙って、それから静かに笑った。
「……君がそう思ってくれたなら、
今日のわたしの祈願は、もう十分叶ったわ。」
「へ?」
「“君の中に、わたしがちゃんといる”ってことだから。」
青年は照れくさそうに視線をそらして、
「おかえり」とだけ呟いた。
お狐様はうれしそうに頷いて、
いつものように縁側のとなりに腰を下ろす。
「夕方の風、気持ちいいね。」
「そうだな……。ちゃんと、…帰ってきてよかった。」
青年は静かに呟いた、青年の顔色を隠すように夕焼けが辺りを赤く染め上げる…。
夏の空に、ひとすじの雲がのびていた。




