【弐拾肆】静けし刻
__青年が山を下りたあと、
神社の中には再び、静けさが満ちていた。
ぽつ、ぽつ──
石畳に落ちる雨の音は変わらず続いていて、
薄暗い空はそのまま、夜へとにじむように色を変えていく。
お狐様は、ひとりで縁側に腰を下ろしていた。
白い湯気を立てる鉄瓶が、ことことと音を立てる。
静かな音。
誰かといるときには埋もれてしまう音。
「……静かね。」
ぽつりとこぼした声さえも、雨に包まれて消えていく。
ふと、彼女は隣を見た。
そこには、もう誰もいない。
さっきまで青年が座っていた場所。
そこには、彼が置いていった手ぬぐいがくしゃりと丸まっていた。
「……忘れていったわよ。」
拾い上げて、その布の温もりにそっと触れる。
(また明日も来るわよね?)
自分に問いかけるように、目を細めた。
お狐様は立ち上がると、灯籠に火を灯し、
境内を一巡するように歩く。
小さな神社の片隅には、濡れた紫陽花が鈍く光を返していた。
「こういう雨の日の境内も、
嫌いじゃないけど──」
ふと立ち止まって、鳥居の下を見上げた。
空は灰色、風は冷たく、
けれど遠く、山のむこうには夕焼けのような薄明かりがにじんでいた。
「……ちょっとだけ、寂しいわね。」
ほんの少しだけ、本当に少しだけ。
胸の奥がきゅっとなる。
神様としての威厳や強さをふと抜け落ちて、
ただの「ここで誰かを待つ存在」になる時間。
雨音は変わらず、境内に降り続ける。
それでも──
「……また、明日ね。」
誰にでもなく、誰かにでもあるように、
お狐様はそっと笑った。
灯籠の光がゆらゆらと揺れて、
雨の神社はしっとりと夜に沈んでいった。




