【弐拾壱】梅雨の気配
ぽつ、ぽつ──
軒先を叩く雨音は、朝から絶えることなく続いていた。
強くもなく、弱くもなく。
けれど確かに、空はどこまでも濡れていた。
「……梅雨の気配だね。」
縁側に座るお狐様が、湯呑みに口をつけながらつぶやく。
巫女服の袖は今日はたくし上げられ、髪は軽く結い上げられている。
「湿気で尻尾がまとまらない……。」
「俺の髪も、もうどうにもならん。」
青年は、湿気で寝癖が膨らんだ髪を帽子でごまかしつつ、
火鉢の横でぼんやりと座っていた。
「晴れた日が続いてたのに、急に来るんだよな、こういう季節って。」
「うん。でも、嫌いじゃない。
この季節の雨はね、“次の命”を運んでくるの。」
彼女の目が、軒下の紫陽花に向けられる。
花はまだ咲ききっていないけれど、
水をたっぷりと吸い上げ、葉の緑がどこまでも瑞々しく光っていた。
──境内には、誰の足音もなかった。
雨が人を遠ざけ、音を奪い、空気をすべて“静けさ”に変えていた。
「……こうしてると、不思議だな。」
「何が?」
「たったふたりしかいないのに、寂しくない。」
お狐様は少しだけ目を細めて、笑った。
「あなたが来るようになってから、
この神社、静けさが“寂しさ”じゃなくなったのよ。」
「……そうか。」
外では、葉からこぼれた雨粒が石畳に跳ね、
その音だけが時を告げていた。
「この雨が終わったら、きっと紫陽花が咲くね。」
「咲いたら、君の尻尾に飾ってやるよ。」
「やめなさい。神様に失礼よ。」
「じゃあ、参道に並べて飾るか。」
「……それは、悪くないかも。」
──雨の日は、いつもより言葉が少ない。
でもそれで十分だった。
雨音が間を埋めて、沈黙が心をやさしく包んでくれる。
そうしてふたりは、
しとしとと降り続く雨の下、同じ音を聴きながら、
ただ穏やかに時を重ねていった。
それが、梅雨の始まりの静かな一日だった。




