【拾肆】雨上がり
─ とある初夏の、雨上がり ─
雨は朝方まで降っていた。
境内の石畳には、まだ水たまりが残り、
葉の上には雫がきらきらと揺れている。
空はようやく明るくなりはじめ、
風に混じる匂いもどこか甘い。
濡れた土と、新芽と、雨のあとにしか出会えない匂い。
縁側に座って、青年は湯呑みを手にしていた。
「……やっと、晴れたな。」
その隣、お狐様は足を抱えて丸くなっていた。
濡れるのが嫌で、今日は外に一歩も出ていなかったらしい。
「君、そんなに雨苦手か?」
「…わたしの尻尾、雨の日に濡れると“もふもふ”にならないのよ。」
「それは……神様としては致命的だな。」
「そうでしょう?」
彼女は、空を見上げて言った。
「でも、雨上がりって好き。
空が澄んでて、なんだか“世界がいちど洗われた”みたいな感じがする。」
「俺は逆に、掃除が増えて大変なんだけどな。」
「ふふ、それは人間の苦労よ。
神様は“空気の気持ち”だけ感じていればいいの。」
そう言って、彼女は縁側から足を降ろし、裸足のまま土に降りた。
「おい、濡れてるぞ。」
「うん。でも今日は、いいの。」
お狐様はゆっくりと鳥居のほうに歩いていき、
雨上がりの陽に照らされた苔の道を、静かに踏みしめた。
「濡れても、晴れれば乾く。
失敗しても、また明日がある。
ね、そういうのが“生きてる”ってことなんじゃない?」
青年は立ち上がって、彼女の後ろ姿を見つめる。
「……君は、時々…すごく神様っぽいな。」
「でしょ?」
振り返った彼女の尻尾から、ぽとりと雫が落ちた。
──その日、ふたりは境内に出て、
雨に洗われた石灯籠を拭いたり、草を整えたり、
黙々と働いたあと、並んで冷たい水を飲んだ。
青年は立ち上がって濡れた境内を一周見てから
すっかり晴れた空を見てつぶやく
「明日は…晴れるといいな。」
「…どうしたの、急に?」
「君が働かないからさ。」
「今日は不調なだけよ。尻尾がもふもふじゃないからっ。」
「ぷっ…そうかもな。」
お狐様は頬をぷくりと膨らませて笑う青年の背中を軽く小突く。
ふたりは隣同士で、同じ大きな空を見上げる。
ふたりの間に、雨上がりの風が抜けて
少しだけ、心の中まで、澄んでいくような──
そんな静かな午後だった。




