【拾弐】狐と狸
──初夏の光がふわりと差し込む午前中。
境内に、なんだか妙な気配が漂っていた。
風に混じる土と葉っぱの匂い。
そして──かさっ、かさっと控えめな足音。
「おーい、勝手に入っちゃだめだぞ……」
青年が声をかけると、石段の脇から、
ぽん、と小さな影が跳ね出た。
「……たぬき?」
小さな、ふわふわの子狸だった。
丸い目をくるくるさせながら、木の根元で何やらつついている。
「ちょっと、ちょっとちょっとちょっと!」
──高めの声が響く。
お狐様が、本殿から走ってきた。
「この気配……まさかと思ったら! やっぱり! たぬき!」
「おい、落ち着けって。」
「化かし合いよ! わたしたちの間には古くからの──!」
「おいおい、子狸だぞ。ただの。」
お狐様はぷるぷると肩を震わせながら、青年の後ろに隠れるようにして言った。
「あなた、知らないでしょ? 狸って、なにかっていうとしれっと騙してくるのよ……!
変化術でお地蔵さんになってたり、お供えを盗んだり……!」
青年はため息をつきつつ、子狸の方を見た。
「なあ……こいつ、お地蔵さんに化けてるのか?」
子狸は「ふくっ」と鼻を鳴らして、笹の葉をくわえた。
「……かわいいだけじゃん。」
「かわいい“顔”してても、裏があるのよ。狐の勘がそう言ってる。」
そのとき、子狸がふいに青年の足元へと寄ってきて、
くいくいと彼のズボンの裾を引っ張った。
「……あ。」
「なにしたの!?」
「……団子、食べたいって。」
「ほら! ほらね!? 狸のくせに団子なんて! 食い物目当て!」
「……お前もじゃないか。」
「……ぐっ。」
青年は苦笑して、懐から小さな甘い団子を取り出し、
子狸に一つだけ手渡した。
子狸はにこりともしないまま、こくんと頭を下げて、
もぐもぐと静かに食べはじめた。
──それを見ていたお狐様が、やや不満そうに言う。
「……まあ、いいわ。今日は“神様の寛容さ”を見せてあげる。」
「言ってることと態度が一致してないぞ。」
「ただし! 木に登ったり、神具にいたずらしたら問答無用で追い出すからね!」
「……お前、もしかして“ちょっとだけ”可愛いって思ってるだろ。」
「べ、別に!? ……少し毛並みが整ってるとは思ったけど、それだけ!」
──そうして子狸は、ひととき神社で過ごしたあと、
満足したように身を丸め、太陽の下でうとうとと眠ってしまった。
お狐様は遠巻きに見守りながら、ぽつりと呟いた。
「狸って、気がつくと“隣”にいて、
なんとなく置いていけなくなるのよね……困った存在。」
「……それ、“君も”だろ。」
「なっ……わたしはもっとこう、“高貴な神様”として──」
「団子で落ちる神様が何を言うか。」
ふたりは、眠る狸の隣で笑い合った。
──狐と狸。神と動物。
本来は少し距離のある存在たち。
でも、この神社ではきっと、そうした“古い関係”も、
夏の風のように緩やかにほどけていくのだった。




