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肝を食われた狐

作者: らんた

ここは武州川越。城下町は武蔵野台地の最北端に位置する。舟運しゅううんで栄えた街である。そんな川越の街で最近妙な噂が飛びかった。


 「最近……臨終間際りんじゅうまぎわの人間の横に白狐びゃっこ様が現れて肝を食われるらしい」


 「なのに傷跡がないらしい」


 「肝をつらぬくりいた後……うまそうに食っている白狐びゃっこを見た」


 そんな噂が飛び交っていたのだ。これは江戸時代に伝わる武州の不思議なお話。



白狐のコトは人間の肝が大好きであった。しかし妖狐は生きている人間の肝を喰うことをとがめられてほとけ……大日如来に調伏ちょうぶくされてしまい……以来禁じられた。その替わりに大日如来《《様》》から死んだ人間の肝なら喰うことを許されたのだ。そのためコトはなるべく人間が死んだ直後の新鮮な肝を喰うのが大好物であった。

 コトは稲荷神社でさつまいもの豊作を願う少女の願いを聞いた。ここは川越藩主が十代将軍徳川家治へさつまいもを献上したところ評判がよかったので新田開発した場所である三富さんとみの名産品となったのだ。コトは神通力で少女に伝える。


 ――その願い、かなえてやってもいい


 「えっ!?」


 ――その代わり少々の代償が伴うぞ?


 「あ、はいっ!」


 少女が嬉しそうに稲荷神社から走り去る。

 少女の家の近所に臨終間際りんじゅうまぎわの老人が居た。

 その家に突如人間に近い姿でコトは姿を現す。


 「おまえ……さんは……!」


 「すまない。近所の子がそなたをにえとして要望した。安心するがよい。そなたの肝は死んでから頂くとする」


 その言葉に耐え切れなかったのか老人は息を引き取った。コトは贄が死んだのを見届けると老人の胸を貫き、肝をえぐり出す。そしてうまそうに肝を喰う。


 「なかなかの美味」


 食した後にえぐった箇所に手を当てると死体の傷が一切消えた。そしてコトは瞬時に消えた。

 このありさまを節穴からそっと見ている人間がいた。

 コトが居なくなるとやがて大声を出した。


 「で、出た~!」



妖狐が人間の肝を食うという噂はたちまち瓦版かわらばんを経て一気に川越中の噂になった。それだけではなかった。


 ――人間の肝を食った狐の肝を食うと長寿になるらしい


 コトはそんな噂を聞き流すかのように三富の大地に呪力を放つ。


 ――これでさつまいもの実も大きくなるであろう。


 川越の商人は廻船問屋かいせんとんやを介して江戸へいもや狭山茶を運ぶ。ますます川越は豊かとなり商売繁盛となった。

 コトは夜の川越の街に狐火きつねびを出して人間に警告を発した。それでも人間の噂が止まらなかった。コトは武蔵松山(現・東松山)の稲荷大明神である箭弓やきゅうに仕える妖狐であった。噂は当然箭弓の耳に入ってしまい、東松山の稲荷神社へ出向くと箭弓から「人間に気を付けるのじゃ」という警告を受けた。


 「ところで今日は持ってきたかえ?」


 「こちらに」


 コトが桐の箱を開ける。それは人間の肝を干したものであった。コトは桐箱をうやうやしく箭弓の前に差し出す。


 「これがないと我々の呪力が回復せぬからの」


 「箭弓様、もっともっと人間を狩りましょうぞ?」


 「何度も言うが人間に気を付けるのじゃ。奴らの力をあなどるなかれ」


 「はっ」



コトは肝を喰ったあとは人間にお礼を返していた。そのためか川越の稲荷神社は参拝客が絶えなかった。江戸の王子にある王子稲荷神社に出かけては仲間の妖狐らと共に人間に化けて江戸の街を遊ぶこともしばしばであった。当然肝を喰う時も……。

 よく妖狐らは王子稲荷神社から江戸の街を見下ろし……人間らを冷笑するかのように見つめていた。王子稲荷神社は武蔵野台地の東の果てにあるので江戸の街並みがまるで下界のように妖狐には見えるのだ。

 コトは狐の姿で川越に帰るのは危険なので人間の姿で王子稲荷神社の傍にある河岸かしから舟に乗って川越に帰る。たった三刻さんこく程度で江戸から川越に着くのでそのほうが楽でもあった。もちろん江戸に行くときもだ。そんなある時……王子から帰るときに仲間の妖狐からとんでもないことを聞いた。


 「飢饉が来るぞ。人間の肝をいっぱい喰えるな」



 天明てんめいの大飢饉は東北の穀倉地帯を中心に襲った。東北だけでなく関東にも飢餓が襲う。コトは人間を喰える事はうれしいのだが、餌となる人間が減少しては困るので大地に呪術を放つ。幸いさつまいもは冷害の時にも強い。だが人間は恐怖におびえた。死ぬ間際に妖狐が着て肝を喰うと。もっともコトは肝から得る妖力が無いと長生きできない。あと三百年は生きられるので、若いうちに妖力が尽きて死にたくなかった。

 やがて飢饉は収まり江戸も小江戸川越も落ち着きを取り戻した。文政六年、コトは白狐の姿のまま雪の日に出る。白狐にとって雪の日は雪から呪力を得られる特別な日なのだ。しかし、この機会を街の人は見逃すはずが無かった。木刀を持って隠れる町の衆。コトは安心しきっていた。雪とじゃれあっていた。その時……。


 「今だ!!」


 周りから木刀で次々殴られるコト。そして自分が今までしてきたことを人間に去れる時がやってきた。狐の悲鳴が木霊こだまする。コトはこのとき最後の呪文を唱えた。


 「やったぜ!これが狐の肝だ。三人で山分けだ!」


 三人は狐の肝を喰った。三人の力がみなぎる。三人の体に異変が起きたのはすぐだった。うめき苦しみ倒れる。それだけでなかった。川越中で狐火が出るようになった。


 ――仲間を殺すとはいい度胸だ


 毎日のようにおどろおどろしい声と狐火が出た。川越中で大混乱となり、その後……川越の町人は雪塚稲荷神社を作り怨霊おんりょうを沈めたという。すると狐火は出なくなったという。


<おしまい>


元伝承・解説


川越南町の通りに一匹の白狐が迷い出た。これを見た若年の数名が白狐を追い回し打ち殺し、白狐の肉を食したところたちまち熱病にかかった。さらに毎夜大きな火の玉が街に現れるようになった。川越町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、白狐の皮と骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した。昭和五五年(一九八〇年)に雪塚稲荷神社から石版が発掘され石板には「文政六年二月一二日御霊昇天」と刻まれたことから史実ということが分かった。現在では川越妖怪ツアー(ナイトツアー)で訪れることが出来るが、普段は観光客でにぎわう大通りの横にひっそりと横道があるので雪塚稲荷神社へは観光客もめったに来ない。このため知る人ぞ知る川越妖怪伝説となっている。この伝説と王子稲荷伝説を繋げた。王子稲荷神社は関八州の稲荷の大社としてだけでなく荒川流域が広かった頃は岸に鎮座した神社であるので川越と王子を結んでいた場所でもある。そして王子という場は江戸の入り口の街でもある。したがってこの作品は史実を元に出来上がった伝奇ファンタジー作品として仕上げることが出来ただけでなく武蔵野台地の広さを伝えることまで出来た。

 それだけでなくこの白狐は箭弓に仕える狐神なので箭弓稲荷神社まで舞台を広げることまで出来た。なお箭弓は「やきゅう」と読む事から現在では高校球児やプロ野球選手が願をかけることで全国的に知られる神社として有名である。

 狐はなんで肝を食うのかというとダキニ天の伝承に基づく。そう狐神というのは仏教ではダキニ天になるのです。箭弓稲荷神社は神仏混合の信仰の場であるからそのような設定になった。ただし肝を食われるまではその人間を守護し、肝を食べられた人間は極楽浄土に赴くとも言われている。狐神が神であり妖怪である姿はここから来ている。

 なお最後に……「川越いも」の発祥の地は川越市ではなく三富の東所沢である。

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