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死神補佐官の憂鬱

作者: 緒川 文太郎

 僕は配属二年目の死神補佐官である。上司である死神に同行し、任務遂行時から日常生活まで、様々な補助をするのが主な仕事だ。

 この度、前任の死神の退任に伴い、新しく後任の死神が赴任して来たのだが、これがなかなかの曲者であった。同行する事僅か数日、僕は既にめげそうになっていた。傲岸不遜、傍若無人、凡そ彼には規律等というものは通用しない。そして、本日もこれから任務に同行しなければならないのだ。

 予想通り、後任の死神は未だ午睡中である。僕は彼を叩き起こす所から始め、大急ぎで彼の身支度を整え、本日の任務の内容までを説明し終えた。

「良いですか?呉々も 死神の規律に違反する様な事は慎んで下さいよ。」

「はいはい。」

何とも間の抜けた彼の返事に、僕は一抹の不安を覚えつつ、本日の任務へと出発した。


 本日の任務は、不治の病で余命幾許も無い女性の魂を回収する事だ。当然、病院の集中治療室辺りに到着するものと思っていたが、何故か眼下には、夕闇に紛れて琵琶湖大橋が横たわっている。

「あの……到着地を間違えちゃいましたかね。」

入力した緯度と経度に誤りは無い筈だが、不安になって隣の死神に訊ねてみる。

「……いや、間違ってはいない。良く見てごらん、ビンゴだよ。」

じっと目を凝らして見詰めていると、自転車歩行者専用道路を此方へと向かって進む女性の姿が在った。病院から抜け出して来た様で、草臥れた寝巻きに足元はスリッパのままである。そして、女性が向かう先には一人の少年が居た。

 少年は、投身自殺でもしに来たのであろうか、琵琶湖大橋の欄干に腰掛けたまま、暫く湖面を眺め続けている。

「ねぇ、貴方。命が要らないの?」

身を投げる覚悟を決めるかの様に、先程から湖面を見据えていた少年は、女性の声に驚いて振り返った。そして、女性は少年の元へと近付くと、そっとその蒼白い手を伸ばして言った。

「要らないのなら、私に頂戴……。私、子供が居るの。未だ死ぬ訳には行かないのよ。」

少年は得体の知れない恐怖に襲われ、咄嗟に欄干の上に立ち上がると、震える足取りで後退りを始めた。

「さぁ、行こうか。さっさと片付けて、酒でも呑むとしよう。」

「え?今?今ですか?」

慌てる僕の事等お構い無しに、死神は颯爽と琵琶湖大橋の上に降り立った。


 突然の空からの来訪者に、女性も少年もその動きを止めてしまった。

「えぇ……と、其方のお嬢さんは生きたい、其方のボクチャンは死にたいって事で合っているかな?」

想定外の事態に言葉も出ない二人に、懐から取り出した手帳を捲りながら、死神は更に言葉を続ける。

「ボクチャンの寿命は……残り六十年位だから、これをお嬢さんに全て移して……。お、良いねぇ!お嬢さんの子供が成人して就職、結婚、孫の誕生……。上手く行けば、曾孫の誕生まで見られるねぇ。」

「待って下さい!寿命を移すってどういう事ですか?今回の任務の対象は、其方の女性で……。」

突拍子も無い事を言う死神に、僕は思わず声を荒らげていた。

「回収する魂の数に変わりは無い。我々の任務なんて、お役所仕事の様なものだ。魂の数さえ合えば、何も問題は無いよ。それに、死神の規律にも、寿命を移してはいけないという決まりは無いだろう。」

僕等の会話から、どうやら自身は死ぬ運命であると、少年は気付いてしまった様だ。血の気が引いた顔面からは汗が滴り落ち、その両脚はガクガクと震えていた。

「ま、待ってくれ!僕は未だ決心が……。」

「人間の命はとても貴重なものだ。一時でもそれを棄てようとしたのだから、ボクチャンにそれを保持する資格は無いよ。」

死神は少年を一瞥すると、パチンとその指を一度だけ鳴らした。

「あ……!」

短い叫び声と共に、少年の身体は琵琶湖大橋の欄干から宙を舞い、直ぐ下の湖面に吸い込まれて行った。


 任務完了と共に、一目散に帰路に就く死神を追いながら、僕は居ても立っても居られなくなり声を掛けた。

「幾ら何でも、先程の行動は越権行為ですよ!貴方は……貴方には、死神としての自覚は有りますか?」

「自覚が有るから、少年に死を与えたのだよ。命を大切にしない者からそれを奪い、命を大切にする者にそれを与える。凄く合理的じゃないかい?」

いつの間にか、死神は懐からスキットルを取り出し、既に酒を呑み始めている。

「あぁっ、また酒なんか呑んで……!」

僕が取り上げようとするも、軽い身のこなしでそれを躱すと、死神は琵琶湖大橋を後にする女性を眺めながら言った。

「これはね、真に命を渇望し、それを手に入れた彼女の為の祝杯なのだよ。……六十年後に彼女の魂を回収する時、君にもこの言葉の意味が解ると思うよ。」

 白み始めた東の空からの一筋の光が、偶然にも死神のスキットルに反射して、僕は眩しさに思わず目を細めた。この時の僕には未だ、何も見えていなかったのだと思う。死神の祝杯の意味も、命の在り方さえも、真に理解するには至っていなかったのだ。

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