私がバッドエンドを好きな理由
私はバッドエンドが好きです。
というより、その物語のラストとして説得力があったり自然であったりすれば、バッドエンドとかハッピーエンドとかの区別はしていません。
後から考えて『ああ……、あれはバッドエンドだったんだな』と思うだけです。
中にはトラウマになってしまって一週間ぐらい心が病んでしまった作品もありますが、それも強烈に印象に残っていますし、★をつけるならそんな力のある作品は絶対に5です。
バッドエンドが好きというよりは、ハッピーエンドでもバッドエンドでも差別はしないというだけですが、ではなぜ、自分がバッドエンドでもその物語を好きになれるのか、考えてみました。
よく『ハッピーエンドじゃないとだめ』という声を聞くように思いますが、なぜ私はバッドエンドOKなのか?
1、社会経験が足りてない
社会経験が豊富な方は、『リアルが嫌なことだらけなのに、創作の中でまで嫌な気持ちになりたくない』とよくおっしゃいます。
私にはこの気持ちがわかりません。
たぶん、リアルで嫌なことをあまり経験してないからなのではないか? と考えてみました。
私は独身で、他人とほとんど触れ合わない仕事をしており、そして中身はまだ子供です。
だから強烈な刺激に飢えており、いいやつが死んでしまうようなバッドエンドにも刺激があれば面白みを感じ、創作の中でしかまず出会えないおかしなキャラでも好きになることができる……。
ひねくれものなので『お涙頂戴』は嫌いですが、悲しい物語を美しいと感じて読めてしまいます。涙は、美しい。バカ笑いは、美しくはない、と感じてしまいます。
ハッピーエンドも好きではありますが、幸せになってバカ笑いしてる人たちの姿を『感動しろ』みたいに見せられると、反抗的になって『勝手に幸せになってろや』と突っぱねてしまいます。
これは自分の社会経験の不足から来るものなのではないだろうか。
自分はつまり、人間として未熟なのではないだろうか。
だから多くの人と違って、バッドエンドを楽しんでしまうことができる、いわば犯罪者予備軍なのではないだろうか!?
ち……、違うよっ!(涙)
2、優しい人間じゃない
私はサイコパスに憧れがあります。
『羊たち野沈黙』に登場するハンニバル・レクター博士とか、えぇと……えぇと……(←出てこない)『笑ゥせぇるすまん』に登場する喪黒福造さんとか!(サイコパス…かなぁ)、世俗な感情に行動を左右されず、あくまで知性的に、他人が皆嫌がっても、己の道を往くような、そんなキャラクターに対する憧れが、あります。
彼らサイコパスは『優しい人間』でしょうか?
私はこれを『そうだ! 彼らはとても優しいぞ!』と思ってしまうのです。(友達にはなりたくないけど)
一人の人間に対しては優しくないけど、世界に対してはとても優しい、平等な人間だと思うのです。
私はネットでもリアルでもよく『優しそうなひと』とよく言われますが、自分ではそれに対して反発を覚えるほどに、彼らの言うような『優しい人間』ではないと思っています。
道路でねこが百匹轢かれて苦しんでいたら、自分の気に入ったねこ一匹だけを拾って帰るようなやつです。後は人任せ……。
自分に出来ることは一匹だけ救うことで、それしか出来ない自分を責めます。責めてもどうにもならないのに。
サイコパスならきっと、一匹も拾わずに、笑いながら素通りすることでしょう。
一匹だけを拾って、連れて帰ってかわいがるような、つまりはそんな差別などすることなく、平等に、すべてのねこを見捨てることでしょう。
それは優しさだと思うのです。
私のは偽善です。
私は優しい人間などではないのです。
だからサイコパスのような優しさに憧れます。
そういうところがバッドエンド好きに繋がっているのかなと思います。
3、悲しいものは美しいと思う
太陽に美しさはありません。
太陽が照らす世界が美しいのです。
そこで繰り広げられる人間ドラマも美しかったりします。
ただ、みんなが最初から最後までバカ笑いしているようなドラマを私は美しいとは思えません。
その裏に悲しみや涙があるから、それだからこそ美しいのだと思います。
その美しい涙のままに終わりを迎えるバッドエンド、私は美しいと思います。
4、問題提起として価値を感じる
ハッピーエンドとは何かが解決して終わるものだと定義するなら、バッドエンドは何かの問題を提起して終わるもののように思います。
『人間にはこんな醜い部分がある』
『社会はこんなふうに人間を疎外している』
『さて、あなたはどうする?』
そんなふうな問題をラストからまるで目の前で起こっていることのように感じさせられるバッドエンド、私は価値があると思います。
5、マゾである
これは間違いないです。
嫌な物を見せられて喜ぶようなところがあります。変態です。
6、単に刺激に飢えている
リアルがなんにもなくてつまらないから、単に刺激に飢えているから、ホラーやバッドエンドの物語を私は好みます。
優しくて綺麗なお母さんの頭部がいきなり散弾銃で吹っ飛ばされるような場面を見て『おおーっ! エグい!』とか喜びます。
リアルで震災に苦しんでいる方々が現在多くいらっしゃると知っていても、刺激のあるものが見たいから、創作とリアルは違うから、とそれを想起させるような映画でも平気で観れたりします。観ないのは非サイコパス的な偽善だと思いま……
結局社会経験の足りてない子供かよ!