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その三

 帰邸後、ラファエルは着替えを手伝うキリルに尋ねた。


「どう思う?」

「モニカ嬢ですか?」

「いや、ルイズとそれを取り巻く環境についてだ」

「まず、モニカ嬢は嘘をついてらっしゃいますね。きっと、転んだのもわざとですよ。あざといなぁ」

「そんなことより、どうしたらルイズを助けられると思う?」

「あれはなかなか厄介ですねぇ。父親の伯爵は愚鈍、母親は腫れ物に触るような扱いでしょうか。完全にモニカ嬢の天下です」

「おまえ、言うなぁ」


 キリルはヘヘヘッと黄金色の目を三日月にした。ラファエルはこのふてぶてしさを気に入っている。


「とりあえず、骨董品の勉強でもしてみては?」

「あの父親のガラクタ集めか?」

「ゴミともいいます」

「ひどい言いようだな? そうだ、王城のガラクタ倉庫に奴の好きそうな物がたくさんある。これをネタに通うことにしよう」

「ラファエル様」

「なんだ?」

「とうとう、恋に落ちましたね」


 というわけで、ラファエルはヴァルダイ伯爵のもとへ足繁く通うようになった。伯爵のうんざりするほど長い収集品への愛を聞き、カビ臭い置物や壁掛け、偽物っぽい絵画に囲まれて日々を過ごした。この苦行もルイズを手に入れるためと思えば、なんてことはない。しかし、肝心のルイズはあの日を最後に姿を現さなかった。


 モニカ嬢が手を回したのは明らかで、ラファエルは彼女の安否を心配した。日が経つにつれ、急く気持ちは抑えられなくなり、愚かな伯爵に苛立(いらだ)ってもくる。くだらない古物にかまけている暇があるなら、どうして哀れなルイズに目を向けられないのだろう?

 我慢できなくなったラファエルはとうとう口火を切ってしまった。


「ヴァルダイ卿、ルイズ嬢の境遇についてどの程度ご存知ですか?」

「は? ルイズ!?」


 古物の話に夢中だった伯爵は素っ頓狂な声を出した。まさか、その名がラファエルの口から出るとは思ってもみなかったのだろう。驚いてから、決まり悪そうな顔になり、たどたどしく話し始めた。


「どこから、もれたのか……お恥ずかしい話で……過ちでできてしまった子です。みなし子になったので引き取ったはいいが、モニカが反発しましてね……」

「そりゃ、そうでしょう」


「そのうえ、わざとじゃないんだろうが、モニカに大ケガをさせてしまったんですよ。それで、ここに置いておくのが厳しくなりました。妻も外でできた子だから、当然よくは思っていません。亡くなったあの子の母親には面倒を見ると約束していましたし、下女として置いてやるということで折り合いをつけたのです」


「糞桶を担がされているのはご存知ですか?」

「えっ!? 糞桶!?」


 伯爵は把握してなかったようだ。ラファエルはこの間抜けぶりに憤怒した。


「私はルイズ嬢が糞桶を担いでいる姿を二度も見ました。同じ屋敷にいて、どうして気づかないのですか? 血のつながった実の娘でしょうが。愚かにもほどがある」

「わたしが通らぬ時を見計らっていたのかもしれません……本当にお恥ずかしい限りで……すぐに確認させ、もし事実ならやめさせます」


 汗をダラダラ流し、口ひげを震わせる伯爵にラファエルは軽蔑の目を向けた。ここまで言っても、この男にとって大切なのは世間体なのだ。反吐が出る。上目でラファエルの顔色をうかがうところなど、下衆の極みだ。


「あのぅ……閣下……モニカとの縁談は進めても構わないでしょうか? あの子は閣下にぞっこんなのです」

「貴公の()とは結婚したいと思っている。その条件として、ルイズを安全かつ清潔な環境で生活させてほしい」

「もっ、もちろんですとも! 父親のわたしが至らないために、あの子には辛い思いをさせてしまいました」


 ラファエルの乱暴な口調に対して下手(したて)に出るのは、王族の親戚という魅力的なステイタスが目の前にぶら下がっているからである。ラファエルは怒りを通り越して呆れてしまった。


 帰邸後、ラファエルは間者としても優秀な従者キリルの報告を受けた。


「下水道は屋敷の裏手を通っています。正面側にある二カ所の便所から糞桶を一日二回運んでいるのです。正面玄関につながる馬蹄型階段の下に通用口がありまして、そこから外壁に沿って歩き、裏手の下水道に流しているようです。時間は夕刻から変更し、深夜の十二時と正午に運んでいます」


 なるほど、キリルは優秀だ。赤い頬はまだ幼いのに、そこらにいる大人の百倍は役に立つ。キリルは麦穂色の髪と目をキラキラさせて、この捜査を楽しんでいた。


「問題はあの伯爵が言ったとおり即座にルイズの環境改善をしてくれているか、だ」

「しないと思いますよ」


 キリルは即答した。積み重ねられた経験や理屈の上に成り立った予想ではないのはわかっている。だが、ラファエルはこの子供の直感を信用していた。


「迅速に動けるんなら、とうに助けてますよ。長い間、劣悪な環境下に置かれているということは、変える気がないんです。どうせ動けば、奥方とモニカ嬢になにか言われるんでしょ。それが嫌で放置している」

「……となるとやはり、実力行使しかないな」

「やるんですね、とうとう!」

「まずは彼女とお友達になってから……」

「ガクッ」


 主に対して失礼極まりないことに、キリルは大げさにガッカリしてみせた。なにをガッカリされたのかラファエルもよくわかっていない。恋愛経験がないため、どのように動くべきか正直わからないのだった。


「だって、まず彼女と相思相愛にならなければ、なにも始まらんだろう」

「そりゃそうですけど……」

「彼女が糞桶を担ぐ時間は正午だったか。その時間に合わせて、伯爵邸を訪れる」


 それから早速、ラファエルは行動に移した。ラファエルは門衛に話をつけ、来訪時間を少し遅らせて告げてもらうようにした。そして正午より前に馬蹄型階段の所まで来ると、ルイズを待った。


 久しぶりに彼女の姿を見た時は、どれだけ心躍ったことか。やはり、伯爵は哀れな娘を過酷な労働から解放していなかったのだ。ラファエルはうわずった声で彼女に話しかけ、助けたい旨を伝えた。

 しかし、銀色の髪や目が恐ろしいのか、それとも王の弟という地位に引け目を感じているのか……ルイズはラファエルと目すら合わせてくれず、さっさと背を向けてしまった。

 初めての失恋のダメージはすさまじいものだ。ラファエルは伯爵を訪ねる名目だったことも忘れて、そのまま帰りたくなった。食欲もなくなり無気力になり、その日は一日ボーとして過ごした。


 それでも懲りずにラファエルは伯爵邸を訪ねた。二日目は無視しようとする彼女から天秤棒を奪って、下水道の所まで行くのに成功した。だが、桶を空にし得意げに振り返ったラファエルは狼狽することになる。ルイズは身を震わせ、ポロポロと涙をこぼしていたのだ。


「すまない……私は……その……」


 ルイズは軽くなった天秤棒をラファエルから奪い取ると、プイッと顔をそらし行ってしまった。



「嫌われたものだな……」


 自邸に戻ったラファエルはキリルにこぼした。いくら、恋焦がれても彼女のほうはまったく振り向いてくれない。恋がこんなにつらいものだとは……。

 傷心のラファエルに対し、キリルは涼しい顔をしている。


「なにをおっしゃっているのです? まだ三度しか声をかけてないじゃないですか?」

「嫌がられているのにこれ以上しつこくしてもなぁ」

「では、あきらめるので?」

「あきらめきれないから、つらいんだよ」


 しかし、四度目は会うことができなかった。モニカサイドが察して時間を変えさせたか。ルイズ本人の意思で避けているのか。そろそろ、伯爵の収集品を見せていただくという口実にも無理が出てきた。ガラクタの紹介も全部終わり、今度は閣下のコレクションを見せてくださいという話になる。帰り際、モニカ嬢に引き留められることも多く、それもラファエルにとって苦痛だった。

 陰でルイズを虐げているのだと思ったら、いくら自分に優しい美人でも仲良くはできない。苛烈な性格を覆い隠しているのはもちろんのこと、強欲、虚栄心、自己愛といった醜い感情がしゃべっている時に見え隠れするのだ。ラファエルがこれまで女性を避けていたのは、外見や地位目的ですり寄ってこられるのが嫌だったからである。モニカはまさしくそういうタイプであった。


 ラファエルはこれを最後にしようと、ルイズがあの道を通る深夜に伯爵邸へ忍び込むことにした。見つかれば、おおごとである。決死の覚悟で臨んだ。


「キリルよ、覚悟はいいか?」

「主のためなら、火の中、水の中。お任せください」


 キリルには頭が上がらない。恋愛に関しては先輩であり、ラファエルが少年のようになってしまう。キリルは目立つ黄金色の髪をフードで隠し、夜空と同じ色のローブに短剣を帯刀した。ラファエルも同じく黒づくめの装いだ。忍び込むには夜気に溶け込まねばならない。まるで泥棒だが……いや泥棒なのかもしれない。


 衛兵の目を盗み、外壁をよじ登り、体を低くして庭園を駆け抜ける。馬蹄型階段の裏側に回り、身をひそめた。

 ラファエルは意識しないと呼吸を忘れるぐらい集中していた。身体が震えるのは武者震いではなくて怖いからだ。大それたことをしているからではない。純粋に振られるのが怖いのであった。懐中時計と心拍がコツコツと時を刻む。午前0時まであと……


 ルイズが出入りする扉はカーブする階段の影に隠れている。ラファエルとキリルがいるのはその扉のすぐ近くだった。暗がりにいるので扉を開けて即座に気づかれることはないだろう。とはいえ、こんな深夜に待ち伏せされていたら誰だって驚く。やはり失敗だったかとラファエルは今さらながら不安になってきた。

 その不安を裂いたのは小さな悲鳴だった。


「あっ、ラファエル様!」


 ラファエルはキリルが止めるのも聞かず、走り出していた。声が聞こえたのは城の裏手。下水道のほうだ。

 たどり着くやいなや、ラファエルは抜刀した。ルイズが三人の男に囲まれていたからである。すでにルイズは扉から出て糞桶をかついで歩いていたのだ。男たちはこの時間にルイズが来るのを知っていたのだろう。悪さをしようと待ち構えていたと思われる。


「不届者めら!! 下がれ!!」


 男たちは丸腰だったので飛びのいた。屋敷で働く下男たちか。顔の下半分をスカーフで覆い、深くフードをかぶっていても、雰囲気でラファエルが高貴な者だとわかったのだろう。男たちは恐れおののいた。ラファエルは彼らを剣で脅し、下水道の前に一列で立たせた。


「お、お待ちくだせぇ。あっしどもはモニカお嬢様に命じられて……」


 全部言い終えるまえにラファエルは彼らを下に突き落とした。か弱い女性を襲うような輩は肥溜めがお似合いだ。それにしても、退治したところでスッキリはしない。まだ、黒幕は健在だ。キリルが急かしてきた。


「ラファエル様、ヤバいです。音を聞いて人が来るかもしれません。さっさと引き上げましょう」

「いや、このままでは去れぬ」


 ラファエルは少し離れた所で震えているルイズを見やった。彼女を置いて逃げることなんてできない。このあと、どんなひどい目に合わされるか。

 

「共に逃げよう。さあ、わたしの背におぶさって」


 拒否されれば、それまでだった。だから、背中に温かさを感じた時、ラファエルは気抜けしそうになってしまった。彼女はすんなり言うことを聞いてくれたのである。

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