8.王城にて③
王城から帰宅した夜、アイスローズはヴァレンタイン公爵家の自室で一人ノートに向かって唸っていた。これから起きようとしている事件を思い出した。
間違いなく、【瀕死の王太子事件】である。
✳︎✳︎✳︎
漫画内でのストーリーは――。
エドガーはオリバー・シライシの協力により、ジョシュが持っていた包みの中身が毒薬と知る。毒薬の産地はブラッケンストール子爵領と特定。オリバーは「あのジョシュがブラッケンストールと繋がり、エドガー殿下を殺そうとした?」と驚く。
エドガーは、ヴィダル・ハリスがジョシュの「実の弟」であることを知っており、ジョシュはヴィダルを人質に取られ、エドガーを毒殺するように脅されているのでは、と推理。オリバーは直ぐにブラッケンストール子爵を捕らえるべきと考えるが、子爵家の人間を捕らえるのは簡単ではない。現場を押さえて法的手段をとる必要がある。
エドガーは言う。「おそらくジョシュはヴィダルを切り捨てる」
実際ジョシュは、自分がやらなければ他の従者が同じ目にあうのみと考え、ブラッケンストール子爵の脅しに乗ったフリをしていた。自分であれば、エドガーを危険にさらすことはない。むしろブラッケンストール子爵に協力することで、彼から物証を掴もうとしていたのだ。ヴィダルは血の繋がった弟であるが、騎士見習いにも関わらず、易々誘拐された時点で言語道断であると考えた。
しかし、ジョシュに課せられた毒殺の期日より前に、何故かオリバーがエドガーに斬りかかったのだ。エドガーは面会謝絶の瀕死となる。王城では密かにオリバーの娘エレーナが行方不明であると噂が流れ、オリバーはエレーナを失ったことで錯乱したのではと憶測された。
ジョシュはブラッケンストール子爵にオリバーも脅されていたと理解、エレーナは人質にされたのだろうと考える。
ジョシュはブラッケンストール子爵に会いに行く。エドガーが瀕死では守るものも失うものもない。何もない。自分は用済みであり、ヴィダル共々ブラッケンストール子爵に消されることは承知で、相打ちする覚悟だった。
ブラッケンストール子爵はジョシュの来訪を証拠隠滅に好都合と迎い入れ、冥土の土産にと事のあらましを全て話した。そして、ブラッケンストール子爵はジョシュに切りかかる。
✳︎✳︎✳︎
「そこへ、瀕死だと思われていたエドガーとオリバーが乗り込み、ジョシュは二人が謀っていたことに気付くのよね」
オリバーがエドガーを斬りつけたというのは「お芝居」である。もちろんエレーナも無事。ジョシュを動かしブラッケンストール子爵から自白を引き出すため、エドガーが仕掛けたのだ。
展開を一気に手書きし、アイスローズはノートを見直した。
(惚れ惚れする達筆だわ、じゃなくて!)
アイスローズは両腕を組み、目を閉じて天を仰いだ。
エドガーたちは、並行して秘密裏にヴィダルを探していた。それでも監禁場所は特定できず、事件の最後に捕らえられたブラッケンストール子爵から聞き出すことになる。
しかし、あろうことか救出の直前、ヴィダルは騎士見習いながら人質になった自責の念に耐えかねており、自ら腹を切っていたのだ。ジョシュは虫の息のヴィダルを泣きじゃくりながら抱え、そんな二人をエドガーが切なそうに見ているシーンで漫画は終わる。近くで咲いているらしい、ラベンダー畑の香りが虚しくただようのが印象的だった。
このままでは、現実でもきっとヴィダルは死ぬだろう。ジョシュがどれだけ悲しむか。
(……そんなジョシュを見て、エドガーがどう思うか)
アイスローズの眼前に、昼間のエドガーとジョシュの息の合った掛け合いが浮かんだ。
【悪役令嬢殺人事件】以外、自分に直接関係のない事件など関わらないでいることも出来るのかもしれない。大体、現場に居合わせもしないアイスローズが、この【瀕死の王太子事件】に何が出来る?
窓に目をやれば、外は日が落ちていてアイスローズの姿がガラスに映った。
『薔薇のような瞳ですね』
……いつぞやのエドガーのセリフは、当時の彼の表情から声、服装、空気感まで、はっきりとアイスローズの心に刻まれている。エドガーはあの時のことを覚えているのだろうか。
――恋ではないが、恩がある。
アイスローズは手を組み、額を寄せた。らしくなく舌打ちまでする。
「事件の結末まで知っていても、何の役にも立たないわね。せめてもっと早く、事件を思い出せていたら良かったのに」
「そもそも、可哀想にヴィダルはどこに監禁されていた?」
気がつけば、ノートの余白にエドガーのイラストを描いていた。前世で漫画を模写していた手癖は今世でも有効なようだ。いわゆる「漫画絵」なのだが、今世では限りなく実写絵に近くなる。
(今世はニ次元ばりの美男美女ばかりだからね。それに町並みも絵になるものばかり……って!?)
もしかして、これでヴィダルの監禁場所を特定できるのでは?
事件解決のためにエドガーやオリバーの動きはそのままにして、もしアイスローズにヴィダルを救うことができたら。ヴィダルを、あと一歩先に救うことが可能ならば。
湧き上がってきた可能性に、アイスローズは動悸が速くなるのを感じた。
(私は悪役だけど……悪役令嬢だけど、変えられるかもしれない。未来を)
11/23 誤字報告ありがとうございます! 助かります。
9/3 複数誤字報告いただき、ありがとうございます。助かります!