87.時を駆ける王女の願い事件③
「なっ……! 確かにさっき飛び降りさせてーー」
リドリーは目を見開いた。まるで、起きていることが信じられないかのように。
ジョシュは、素早くリドリーを拘束しながら言った。
「飛び降りたふりをして資材を下に落とし、自分は真下の階のガラスのない窓へ頭から飛び込んだんだ。いつか、エドガー殿下とふざけてそんな実験をしていたことが役立ちました」
(そういえば、そんなトリックがあった……!)
アイスローズが【呪いのヴァンパイア・ガーネット】で使用するか迷ったやつだ。
「騎士もさすがでした。時計塔が工事中だったことが幸いし、上手いこと高さがあって柔らかい足場を選び、飛び降りています。応急処置して裏に寝かせています。骨は折れていますが、命に別状はなく」
ジョシュは御者に報告するように言った。御者は頷いてから、リドリーを見た。
「……貴方がこんなことをした目的は、私と言ったな。王族への復讐か」
御者は言うなり、目深に被っていた帽子と、その下に巻いていたマフラーを外した。溢れる髪から光を放ちながら、目の前に現れたのは。
「っ、エドガー!?」
大きな声が出た。状況を理解できていないのは、アイスローズも同じだ。
(どうして?)
いないと思ったエドガーが隣にいて、殺されたと思ったジョシュがリドリーを拘束している。
「王太子の姿では、かえって君を危険に巻き込むと思ったから変装していた。結果的にあまり意味がなかったが」
エドガーはアイスローズに言った。それからリドリーに向き直る。
「事の起こりは、王城学園の学食へ材料を卸している地区の火事だった」
「あれも、貴方が仕組んだことなんだろう? 私を狙ったが、王城学園は警備がかたいからな。学食経由で王城学園へ爆弾を持ち込もうとした策が、誤爆した」
学食が休業になった理由の火事について、言っているのだ。
「……」
「答えないのなら、私が言おう。リドリー・アランデル、貴方はフロール王女の末裔だ。つまり、かつての王族の末裔でもある。それが私への恨みに繋がった?」
エドガーは滑らかに言った。
「なんだ、そこまでわかっているのか」
リドリーもアイスローズと同じく、状況把握に時間がかかったようだが、やがて全てを理解したように言った。
ふっと口元を緩めると、いきなり怒鳴り散らした。
「そうさ、かつて『醜聞』によって王族を追われたフロール王女は、そこにいる僕のジジイの高祖母だ!! あの時、エレミア国王はフロールを見捨てた! 醜聞なんてどうせくだらない平民が勝手にやったことなんだろうーーあるいは罠だ! それでも……エレミア王国はそのまま放置し、彼女の名誉と約束されていた未来を踏み躙り、修道院送りにした! 本当は、彼女が帝国に寝返ることを恐れていたんじゃないのか!?」
リドリーはエドガーに飛びかかる。しかし、後ろ手にジョシュが拘束しているものだから、リドリーの身体が微動したに過ぎなかった。
「だから……のうのうと今を生きている王族どもが許せなかったのさ! すっかり、彼女のことなど忘れ去っている、お前らがな!!」
リドリーの荒い呼吸が響く。
「……罠か。しかし、それがフロール王女のために仕組まれていたとしたら?」
「なに?」
エドガーの言葉にリドリーは片眉を上げた。
「当時のベリル帝国は既に『末期状態』だった。他国からの侵攻、諸民族の台頭が続き、さらには後継者の育成にも失敗していた。皇帝は当時70歳近かったが、苦言を呈した側近や、自分の意に反した子供たちを処罰し、辺境の地へ遠ざけたと聞いている。あのままでは、いずれにせよ持たなかっただろう。なるべくしてなった、歴史の新陳代謝だ」
「考えてみてくれ。ベリル帝国はエレミア王国より明らかに大国だった。いくら帝国に体力が残っていないからと言って、ベリル帝国から来た縁談をエレミア王国が簡単に断れるだろうか?」
「それはっーー」
「誰かが、フロール王女をはめた。間違いない。しかし、それは……彼女の名誉やサナリ・シライシを踏み台にしてまでも、フロール王女を守るためだったら?」
(サナリ・シライシをエドガーは知っている?)
アイスローズは息をのんだ。
「どうすれば、フロール王女を守りきれる? そこで当時の国王たちが考えたのが、『醜聞』による修道院送りだ。やがて来たるベリル帝国の革命を何らかの方法で知り、フロール王女を帝国へ嫁がせまいとしたのではないか?」
(だから……だから、サラちゃんは。サラちゃんの中にあるフロール王女の記憶は、ラブレターなんて書いていないと言った)
エドガーは続けた。
「これは、愛による婚約破棄だ。『醜聞』なんかじゃない、親が子を思う家族の愛だ」
「貴方は、家に伝わっていたフロール王女の『照合印』から自分の生まれを知ったのか? あるいは、自分に王族の面影があることから確信した」
「モルガナイト王国で売られたフロール王女の印から、貴方に辿り着くのは難しくなかった。それから王都の、貴方の一人暮らしの家を割り出したが……まさか出向いたその日に爆破されるとは、思わなかった。おかげでジョシュが火傷することになった」
「あ! あの、新聞に載った王都の空き家の火事は……」
リドリーの拠点だったのか。そして火事は偶然じゃなく、証拠隠滅のため?
アイスローズの言葉にエドガーは頷いた。
「かつてフロール王女が送り込まれたベゼル領の修道院は、今はもうない。しかし、そこにいた修道女から、別の修道女へと引き継がれていた『もの』があった」
「……なんだと?」
リドリーは、それは知らない情報だとばかりに、顔をあげた。
「一世紀半にわたり修道女から修道女へ引き継がれたそれの……現在の持ち主は、今船見修道院の院長になっている。もし、然るべき人が訪ねてくれば、渡すようにと託されていた。東方の国の特殊な紙で出来ていて、王女の『照合印』が押されていた」
エドガーは胸ポケットから、折り畳まれた紙を取り出した。あの独特な風情は、前世でいうところのーー和紙だ。
エドガーは読み上げた。
それは、フロール王女が子孫に宛てた手紙。
フロール王女はーーわたくしは、ベリル帝国の革命が落ち着いた10年後、修道院から密かにある家の養女にとられた。その後、縁あって晩婚し、子供を設けて幸せに暮らしている。言われのない醜聞で王室を追われたことは、最初こそ混乱した。しかし、修道院にいる10年で考え続けた結果、記憶の断片から、自分の幸せを考えられての「苦肉の策」だったと悟った。そして、国王からそれを告げられなかったのは、自分があまりに幼かったからとも理解した。
サナリ・シライシは、流浪の剣客だった。怪我をしているところを助けてから親しくなり、御礼に「この紙」をもらった。彼は手負いの身体だったが、この恩にはなんらかの形で報いる、といつも言っていた。だから、醜聞のラブレターに名前を貸してくれたのだと思う。
千代に朽ちないという「この紙」に、自分の願いを託す。
王族としての責任を果たせなかったことは大変無念だが、いつもエレミア王国の繁栄を祈っている。今はただ、この平穏な生活とささやかな幸せを守っていきたい。だから子孫にはどうか、自分のルーツと「醜聞」の秘密を探らないでいて欲しい。もし、なんらかの方法で辿り着いたとしても、そっと胸にしまっていて欲しい。
そして、サナリ・シライシへの感謝を忘れず、エレミア王国国民の幸せを……祈っていてほしい。
(レイン先生の想像とはちょっと違っていたけど……東方の紙により、フロール王女の手紙は残されていた)
「どういうことだ…」
リドリーは驚愕したように、目を彷徨わせた。エドガーは畳み掛けた。
「彼女は誰へも、復讐なんて望んでいなかったんだ」
そして、手紙をリドリーの目の前に差し出す。綺麗な筆跡で書かれ、確かにフロール王女の照合印らしきものがある。リドリーはそれを舐めるように見つめていた。
しかし、やがて言った。
「もう、遅い」
言葉を返す間もなく、直ぐ近くにある建物が爆発した。
最終回まで、あと2回。
4/7 誤字報告ありがとうございます。助かります。




