85. 時を駆ける王女の願い事件
アイスローズは目を見開く。
「……何故、この時間に鐘が?」
騎士の問いに、御者が直ぐ横の時計塔を見たまま答える。
「いや、それ以前にあの時計塔はまだ工事中のはずです。建国250周年記念の時計塔ですから。オープンセレモニーは来月です」
「……もしかして、リドリー・アランデルがいるのかも」
「「!?」」
アイスローズの発言に、ジョシュたちは素早く反応した。
アイスローズは急いで話をする。
エレーナたちとコキア畑に行くことになった経緯を。それから、おじいさん及びその関係者を疑っていることを。
「そういうことでしたか。それなら、私が見てまいります」
おもむろに、騎士が言う。
ジョシュが頷いてーー……から10分は経過した。
「……遅いですね」
眉根を寄せながら、アイスローズは言う。
ジョシュは決意したように懐中時計の鎖をジャケットから外した。
「ジョシュ様?」
ジョシュは懐中時計をアイスローズへ渡した。
「私も様子を見て来ます。ただし、私が10分たっても戻らない場合、アイスローズ嬢は馬車でこの場を離れて、王城へ知らせに向かってください、必ず。念のため、これを置いていきますね」
ジョシュは、馬車の座席の脇をゴソゴソすると、拳銃を取り出し、アイスローズの横へ置いた。
「!」
「あくまでお守りです。本当にまずい場面以外、触れないでくださいね。アイスローズ嬢に銃を握らせたなんてバレたら、エドガー殿下に殺されます」
ジョシュは御者をチラリと見た。言うな、という圧だろう。
「大丈夫です。直ぐに戻って来ますから」
そう言って明るく笑うジョシュ。
既に周囲は暗くなって来た。
ジョシュは馬車から降りて、騎士が向かった方へ歩いて行く。風が激しくなり、ジョシュの縛ったオレンジ色の長髪が、不穏なまでに揺れていた。
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「……5分以上は経過したわ」
誰もいない馬車内で、アイスローズは呟いた。外は嵐のように風が強くなっている。
「あの、貴方も中に入りませんか? こんな気候じゃ辛いでしょう」
堪らず、アイスローズは外にいる御者に話しかけた。御者は周囲を注意深く様子を見ていたが、アイスローズに目をやると言った。
「私は馬を見ないといけませんから。御者にとって、馬は命よりも大切です」
アイスローズはポスン、と背もたれに寄り掛かった。
「それはそうですね……変なこと言って悪かったわ……」
若い御者は、気にしていないと首を振った。
(それにしても、これは明らかに異常事態だわ。ジョシュがエドガーの指示をほっぽり出すことはありえない)
ジョシュは、エドガーがアイスローズをヴァレンタイン邸へ送り届けるように指示したと言っていた。
(どうする、どうすればいい?)
ジョシュの身に何かあったら、エドガーは自分を絶対に許さないだろう。勿論そうなれば、アイスローズも。
隣には黒く冷たく光る拳銃が。
アイスローズはコキュ、と喉を鳴らした。
(イーサンは、銃の命中率は剣より低いと言っていた。私のような素人なら、尚更)
汗で湿った手を握りつぶし、扉を開けた。
馬車から滑るように降りる。
「アイスローズ嬢?」
御者は気遣わしげに言った。
「馬車で待機するよう、ジョシュ様から指示がありました。不安なお気持ちは察しますが、どうかお戻りください」
「貴方、お名前は?」
アイスローズの唐突な問いに、御者は面食らったように目を見開いた。
「……ネディです」
アイスローズは彼を見て微笑んだ。といっても、制帽と鼻まで巻いたマフラーのせいで、顔がよく見えなかったけど。
「ネディさん、恐れ入りますが、貴方は王城に知らせに行って欲しいの。二人が戻ってこないことを」
「でしたら、アイスローズ嬢もご一緒に」
アイスローズは目力強く言った。
「馬車を外して一人馬にまたがれば、その分速く進むことができるでしょう。私は大丈夫よ、余計なことはしないと約束します。念のため、銃だって持っている。建物の影に隠れて、絶対に動かないから」
アイスローズは拳銃をかざすように見せた。
「しかし」
「私は、足手まといにはなりたくない。戦える技術もない。けど……もしも、ジョシュ様たちが、一刻も早い助けが必要な状況になっていたら耐えられないから」
ワインレッドの目で必死に訴えかける。
「アイスローズ嬢……」
御者は何かを言いかけたが、しかし、直ぐに顔をアイスローズの背後の王城学園へ向けた。
彼はアイスローズを庇うように、彼女を手で制した。アイスローズが振り返れば、人影がこちらへ向かって歩いて来ていた。




