7.王城にて②
エレーナと別れて城内に戻り、これから話に出ていたアフタヌーンティーだ。エドガーはもう少し騎士団訓練場に用事があるらしく、後から来るとのこと。アイスローズは吹き抜けの天井が豪華な応接室で、一人ソファーに腰掛けている。いっそのこと仮病で帰宅しようかと思ったが、王城医師の信頼に関わりそうだったから断念した。
(そういえば、さっきのエドガーとエレーナの関係は「王太子少年の事件日和」で知っているものと、ちょっと違ったような)
アイスローズは、ふと思う。漫画では、エドガーはエレーナを目で追っていたり、エレーナはエドガーから「殿下」ではなく「エドガー様」と名前で呼ぶことを許されていたのだ。しかし、今日はお互い随分さっぱりしていた。
「っあ――っ!」
「い、いかがされました!? アイスローズ嬢」
慌てたジョシュが部屋の隅から飛んでくる。ドア前で警備をしていた騎士たちも何事かと臨戦態勢を取った。
アイスローズはソファから半分腰を浮かせてしまっていたが、慌てて「ふふ、何でもありませんわ」とその場を取りなす。
(そ、そうだわ!)
漫画内で、エドガーが幼馴染のエレーナを意識し始めたのは【最初の事件】の後、バーサのお墓参りをしていた時……涙を堪えるエドガーをエレーナが後ろから抱きしめた時だ。
あの日は雨で空が低かった。
台詞も丸々覚えている。
『私が強くなるから、エドガー殿下を悲しませる全てから、私が守りますから』
エレーナばかりにさせられないと、エドガー自身も強くありたいと決意するのだ。ちなみに、このシーンはエレーナにとっても「エドガーが消えてしまうかと思った」=「彼は大切な存在」と意識するキッカケになっている。
しかし、現実でバーサは元気に生きているから、このやり取りが再現されることはない。
(ということは、二人はまだ惹かれ合っていない? 彼らの未来を変えてしまった?)
そこまで一気に考えて、アイスローズはゆっくり首を振った。
あれだけ魅力的なエレーナだ。実物は漫画のイラストより素晴らしかった。キッカケが異なれど、エドガーがエレーナを好きになることは時間の問題だろう。エレーナ以上にエドガーの興味を引く人間など、この世界にいるわけないのだから。エドガーがエレーナに好かれるかは……まあ、エドガーが頑張れば大丈夫だろう。
とはいえ、このタイミングのズレが「王太子少年の事件日和」、しいては【悪役令嬢殺人事件】へどう影響するのかまだわからない。
(ああもう、ややこしいわね。自室で一人じっくり考えたい!)
カリカリしてきたアイスローズは、思わず問いかける。
「ジョシュ様、今何時でしょう?」
淑女としてマナーが染み込んでいるから、感情は決して表に出さないけど。
「はい、14時です。本日のお茶はとっておきの王室スペシャルブレンドですからお楽しみに。丁度メロンが美味しい季節で、ご用意したジュレとタルトとショートケーキの感想をシェフたちが聞きたがっていました」
ジョシュは饒舌に説明してくれた。そういえば、ジョシュにはスイーツ好きのキャラ設定があったんだっけ。アイスローズが思い出していると、ジョシュはふっと顔を緩ませる。首を傾げると、彼は楽しそうに言った。
「いや、エドガー殿下が自分からご令嬢をアフタヌーンティーに誘うなんて驚きましたよ。何せ初めてですから。王城中の皆が張り切っているのです」
「えっ、」
「随分楽しそうだね、ジョシュ」
「!?」
アイスローズが返事する間もなく、真後ろからエドガーに呼ばれジョシュはビクリと飛び上がった。オレンジ色の髪が猫の尻尾のようにぴょんとする。なんだろう、動きがコミカルな人だ。
「わ、私は準備がありますのでっ」
ジョシュは光の速さで部屋から出て行った……。
(え、えーと、なんの話をしていたんだっけ)
ジョシュを見送ったアイスローズは思考を戻しながら、室内を振り返る。
すると、エドガーは鎖を手で摘み、何かをプラプラとさせて眺めていた。さっきまでエドガーはそんな物、持っていなかったような。
「それは?」
「ジョシュの懐中時計だよ。ちょっと拝借した」
「ああ」
言われてみれば、直前までジョシュのベストにつけられていたものだ。すれ違い様にスったのか? いつの間に。
「アイスローズ嬢がジョシュに時間を聞いた時、ジョシュは懐中時計ではなく身体を捻ってまで柱時計を見て答えた。何故だろう? 懐中時計を見られない理由があったのかもしれない」
随分細かいところを見ているとアイスローズは驚く。エドガーはジョシュへの仕返しなのか、珍しくニヤリとした。
「好きな女性の肖像画でも入れているのかな」
「ええっ」
ところが、懐中時計の蓋を開けたエドガーはサッと顔色を変えた。
「エドガー……殿下?」
不安になるアイスローズに、エドガーは無言で懐中時計の中に入っていたもの……小さく三角形に折られた白い紙包を掲げた。中にはごく少量の粉が入っている。
「これは、薬包でしょうか」
「そのようだ。しかし、ジョシュに持病はない。従者の健康状態は組織的に管理されているから知っている」
(だとしたら……?)
二人の間に沈黙が流れているとパタパタと足音が近づいてきた。いや、正確にいうと戻ってきた。エドガーは薬包を抜いたまま懐中時計の蓋を閉め、素早く毛足の長い絨毯の上に投げた。同時にジョシュが室内に入ってきた。
「申し訳ありません! 時計を落としたようで。あ、ここにありましたか。絨毯の上にだから音がせず、気づかなかったんですね」
エドガーは涼しい顔で、アフタヌーンティーを督促する言葉をかける。
一方、アイスローズは自分の顔から血の気が引いていくのを感じていた。
(なんということ! すでに「始まっていた」んだ。「王太子少年の事件日和」どおりの事件が。こんなに細部には漫画とずれが生じているのに!)
【最初の事件】がエドガーの才能が花開くキッカケだったはず。しかし、【最初の事件】は起きなかった。にも関わらず、懐中時計のくだりからしてエドガーの推理力は順調に開花している。そこで、気づくべきだった。
アイスローズの頭には、ある事件のストーリーがぐるぐると浮かんでいた。
この【瀕死の王太子事件】の犯人を捕まえるには、最後まで事件を進ませないとならない――。




