77.告白
アイスローズはエドガーと息を切らしたまま、控え室から抜けて中庭へ出た。
ダンスホールではデビュタントたちが一斉に左回りのワルツを踊っている頃だ。こちらはさすがに辞退させてもらった。
熱く、赤くなっているだろう顔に、外の冷たい空気は気持ちが良かった。
周囲に人の気配はない。星の輝きと王城から漏れる蝋燭の明かりが、ひたすら静かに、辺りを照らしている。
呼吸が落ち着いた頃、アイスローズはここぞとばかり、先程から言いたかったことを連ねた。
「エドガー様、なんて無茶を……! 盛り上がったから良かったものの、どん滑り……いえ、失敗していたら目も当てられませんでしたわ! 急な変更をしていただいたオーケストラの方々にも感謝しないと。そもそも、エドガー様はラテンダンスが踊れたのですか?」
エドガーからラテンダンスの提案を受けた時は、さすがに無理だと思った。
舞踏会の練習はずっとワルツでやっていたし、エドガーとラテンダンスを踊ったことはない。第一、王族はスタンダードなダンスができれば充分なはずで、王太子教育に含まれていないはずだ。エドガーがこんなにも上手いとは思いもしなかった。
「アイスローズの踊りの技術なら、盛り上がらないわけがない」
エドガーはさらりと答えた。
「それに……あれくらい踊れなければ、アンナマリア殿からアイスローズの相手を務める許可が得られないと思った」
「え、お母様?」
アイスローズは目を丸く、ぱちくりさせる。何故ここでアンナマリアの名前が出てくるのか。
「それより、楽しい時間だったな。アイスローズはどうだった?」
エドガーは優しく聞いた。
「! 私は……」
言われて、改めて振り返る。
さっきまでは必死すぎて、自分の心の変遷を追っている余裕などなかったから。
ダンスホールに出た瞬間こそ、不安でいっぱいだった。でも踊り始めて直ぐに、自分を取り戻せた。
何故なら、息遣いがわかるほど側に、そうでない時は視線の先に……いつもエドガーがいて、目が合えば大好きな青緑色で見つめ返してくれて。
初めてピアノで連弾した時と同じように、初めてこのダンスを踊ったとは到底思えなくて。
楽しくなってしょうがなくて。それなのにずっと、胸がいっぱいで苦しくて。泣きたいような気持ちにもなって。
アイスローズは視線を逸らし、小さな声でポツリと言った。
ここで嘘を言う意味はない。
「人生の頂点……と言っても過言ではなかったです」
「それは嬉しいな」
どこまで本気に取ったのかわからないが、エドガーは愉快そうに笑った。
アイスローズはエドガーへ機転を効かしてくれたことの御礼を言い、逆にエドガーから「苦手な赤ワインを遠ざけてくれて助かった」旨の御礼を言われた。何故それを知っていたかは、もう聞かれなかった。
それから二人は、しばらく無言で王城の庭を散策した。
「それで、アイスローズの話とは?」
エドガーは思い出したように聞く。
「話があると言っていただろう」
そういえば、アイスローズは「ダンスが終わったら、改めてエドガーに聞いてもらいたいことがある」と言ったんだった。
(色々ありすぎて、ちょっと忘れていた……)
自分の思考キャパシティの狭さに引く。
「ええとですね……夏にお話した、私がペンネームで投稿した新聞社の挿絵コンテストですが、二次選考も通過したんですよ。次が最終選考です」
「それは凄いな。見てみたい、新聞に載るアイスローズの挿絵」
「仮に万が一掲載されたとしても、恥ずかしいからペンネームは教えませんよ……」
アイスローズはもごもごと言う。
というか、こんな話をしたかったわけじゃない。エドガーにもおそらくバレている。わざと歩調を緩めて、アイスローズのタイミングを待ってくれている。
気がつけば、視界が開けるところに来た。
月明かりにキラキラ光る、池にかかった小さな橋を渡れば……目の前の地面に何千個ものキャンドルが灯されていた。王城をバックに彼方まで広がる、温かな光。
「うわあ……!」
あまりの美しさにアイスローズは声を出す。
キャンドルの一つひとつがエレミアン・ガラスのコップに入れられ、ちらちらと明かりが揺れる。ガラスのコップは火の色をそのまま透かす透明なものから、オレンジ・赤・紫・緑色があり、それぞれのガラスを通じてカラフルな光を放っている。
前世で言うところのイルミネーションのようだ。2人は束の間、心地よく揺れるそれらに見惚れた。
「きれいですね、……この国は本当に」
いつの間にか、心からの声が口からこぼれ落ちた。
「いつか、この世界を物語にしてみたいです。挿絵付きで」
「物語に? ジャンルはなんだ?」
エドガーは聞いた。
「……ミステリーですかね」
「不吉な上に難しそうだな……」
「登場人物はまるまる、みんなそのまま出てきます。ジョシュ様もエレーナさんもいますわ」
「面白い発想だな。だったら是非、作中でエレミア王国をより良い国にして欲しい」
「はい。私の知っている知識やら……持っている全てを使って、出てくる人々を幸せにしたい。そのように尽力します」
アイスローズは力強く言い、ゆっくりと顔を上げた。アイスローズがエドガーの前で、これほどまでに緊張したことはなかったと思う。
「そして……その中でもし、エドガー様が恋をするなら、」
「その相手は、私がいい」
アイスローズが真っ直ぐに見つめたエドガーは、見たことがない位目を大きく見開いた。
今世で、最初で最後になるだろう告白。
アイスローズ一世一代の告白。
(言った。言えた、ーー頑張った)
これなら令嬢としての醜聞にもならないだろう。ギリギリセーフの小賢しい選択。
こんな時にも冷静にツッコミをする自分に笑えてくる。
エドガーは答えようもないだろう。
少しだけ目が潤んだ。微妙にちょっと逃げ腰だった。けれど、伝えることができた。
今夜を一生の思い出にして、この想いを終わりにする。とっくの昔から覚悟をしてきた。泣いたりなんかしない。
今更、脚がガクガク震えていることに気づく。エドガーにも確実に見えているだろう。スカートの丈が長かったら隠せたのに。
こんな時のために女性のスカートは長く作られているのかしらなんて、検討はずれなことを考えたりして。
ジャリ……とエドガーの足元から土を踏む音がした。それまでに、アイスローズが次のセリフを用意するには十分な時間が経過した。
(大丈夫。私には全てを隠せる『令嬢の仮面』がある)
アイスローズは切り替えるように瞬きし、にっこりと微笑んだ。
「まあ、これはファンタジーの話ですから。そもそもエドガー様は王城学園にいる間は婚約されないと言っていましたね」
「……アイスローズ」
「さあ、ダンスホールに戻りましょう。皆がエドガー様を待っているはずです。あ、キラン王子とのダンスの約束もありますし」
「アイスローズ!」
エドガーは背を向けようとするアイスローズの手を掴んだ。今までになく、強い口調をする。
アイスローズは反射的に、彼を見上げた。エドガーは何とも言えない、怒っているような、寂しさをたたえているかのような顔でアイスローズを見ていた。
「……私が、王城学園にいる間婚約しないと言ったのは」
力の入りすぎていた手を、はっと気付いたように離すエドガー。夜の闇にも負けない金髪の下に、青緑色の瞳が揺れていた。涼しげな色に反して、熱く。
エドガーは滅多にない詰まったような声で言った。
「王城学園は身分を問われない特別な空間だ。それは他にない、かけがえのない時間だ。しかし私の婚約者となれば、その決まりは破られるかもしれない。いくら規制したとしてもマスコミに追われ、最悪命すら狙われるかもしれない。今以上に周りに誰かが張り付いて監視され……やりたいことも出来なくなるだろう。例えば、アイスローズにしたら、新聞社で挿絵を書くことも……あらゆる事件と呼べる出来事に介入することも、出来なくなるかもしれない」
目を見張るアイスローズ。
エドガーは目を伏せ、それから再びアイスローズを真っ直ぐに見据えた。
「私は、アイスローズがやりたいことは応援すると決めているから」
アイスローズの頭の中に、いつかの医務室で聞いたエドガーのセリフが蘇った。
『だから、彼女がやりたいことは応援すると決めている』
(……あ)
「アイスローズ、私はーー」
ワインレッドの瞳と青緑色の瞳が確かに、交差した。
明日投稿はお休みします。
次回の投稿は3/25(月)になります。




