71.呪いのヴァンパイア・ガーネット⑤
「これはなんだい? ウサギ」
蝋燭の灯りがまたたく中、目の覚めるような赤い髪、紺色の瞳を有する背の高い青年ーーモルガナイト王国第六王子、キラン・ポードレッタイトは聞いた。その手には従者から渡された新聞がある。
ここはモルガナイト王国王城地下のとある部屋、地下水道を利用してキランが作り上げたラボラトリーだ。地下湖へ流れる水音がこだまする。この部屋を知るものは、キランとこの「ウサギ」と呼ばれる40代くらいの従者のみである。ここは「怪盗キツネ」のアジトだった。
「エレミア王国で出された昨日の朝刊です。怪盗キツネへの挑発が一面を飾っていまして、私にも何が何やら。キラン坊っちゃまがお探しの、『モルガナイトの星屑』には関係がないように思えますが……いかがされますか?」
ウサギは、左右にピンと伸びた口髭がトレードマークだ。佇まいは上品で極めて小柄、柔和な顔立ちをしている。しかし、その細い目からは時たま鋭さも感じさせた。彼はキランが赤ん坊の頃からの従者兼「御庭番」であり、キランは全面的にウサギを信用しているのだ。
ちなみに、ウサギというのはコードネームであるが……どちらかと言えば、見た目は「うなぎ」に近くない? とウサギ本人は思っている。
キランが「怪盗キツネ」であると知っているのは、モルガナイト王国の中では彼だけだ。
怪盗キツネの目的は、モルガナイトの星と呼ばれる巨大ダイヤモンドを盗んだとされる元メイド、クレマチス・ターナー(25歳)の行方を追い、真相を明らかにすること。モルガナイトの星は分割されて各国へ売却されており、それらは「モルガナイトの星屑」と呼ばれて取引されている。キランは該当すると思われる宝石一つひとつを探り、クレマチスの行方を探っているのだ。
地下室の打ちっぱなしの壁には、あらゆる地域の地図が貼られており、×印が付けられている。書かれた矢印は、今までの調べで判明しているクレマチスの動きを表す。
机のそこら中には、乱雑に実験器具が並んでいた。催眠ガス、煙幕を貼るための火薬玉、指紋を残さないために使う薬品、などを研究する。いずれもキランが独自に開発しているのだ。
「確かに、僕には全く関係がなさそうだね。ただ1つ……気になるのは、この新聞がエレミア王国のものであることさ」
キランは紺色の瞳を光らせ、新聞記事を指で弾いた。
エレミア王国と言えば、あの風変わりなアイスローズ・ヴァレンタイン公爵令嬢がいる国だ。
更にウサギが調べたところ、怪盗キツネへの挑発文を出したウェンズディ・トレゲニスは、アイスローズおよびエレミア王国王太子エドガーと同じ学園に通っていることがわかった。
「ーーもし、この挑発が全く『不要なもの』であれば、エドガー王子が止めてると思うんだよね。『あの』エドガー王子が、自国の令嬢の、しかも同級生の不祥事につながることを、指を咥えて放っておくわけがない」
しかも、キランはかつて、アイスローズに自分が「怪盗キツネ」であることを告げている。あの令嬢は只者じゃない。彼女が一枚噛んでいる可能性も否定できない。
「今の時点で、訂正記事が出ていないと言うことは、この『トレゲニス家の戦線布告』には、表に出ている以上に何らかの意味があるんだと、僕は思うんだ」
「キラン坊っちゃま、まさか」
ウサギは息をのむように言った。
キランはピュウっ、と短く口笛を吹いた。
「面白いね。やってみようか。何より、久しぶりにエドガー王子に絡みたくなっちゃった」
「ええ、そんな理由……」
「それに丁度、エドガー王子に『知らせたいこと』もあるからさ。久しぶりにアイスローズ嬢にも会いたいな。わあ、なんかワクワクして来ちゃった」
軽いセリフに反して不敵に笑うキランに、ウサギは「しょうがないなあ」とでも言うように肩をすくめた。
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アイスローズがトレゲニス邸に出向いてからの二週間は、怒涛だった。
はじめに新聞記事になったのは、トレゲニス家が全ての事業を打ち切り、撤退するということ。グレーゾーンな取引なども公表し、違約金などで多くの財産を失うことになるが、それでも彼らの決意は変わらない、と。
また、マンディは弁護士アーデン・ステープルトンとの顧問契約を切った。遺言書書き換えについてウェンズディは事実を知り、書き換えの事実を公表されて困るのはアーデン氏だけになった。結果、アーデンの脅迫は無意味になり、漫画のようにヘレネ・トレゲニスがアーデンを殺すことはないだろう。
懸念していたウェンズディによる「キツネ」への宣誓布告は、意外にも世間から支持を得た。キツネの捕獲はモルガナイト王国の悲願でもあり、トレゲニス家の家宝を囮にする勇気が讃えられたのだ。また、マスコミからの注目は、悪どい事業を清算しようとするトレゲニス家を危険から守ることにもなった。
そしてーーその一週間後。
ヴァンパイア・ガーネットが仕舞われた金庫の「鍵」が盗まれた。
『怪盗キツネ、白昼堂々の犯行!! ヴァンパイア・ガーネットは盗まれたも同然か』
「キラン……」
新聞の一面記事を見て、ヴァレンタイン邸の自室にいたアイスローズは呟く。
「怪盗キツネ」がこの「トレゲニス家の挑発」に乗ってくるかは分からなかった。クレマチス・ターナーに関係ない、しかもガーネットなんて明らかにキランの守備範囲外だ。
「王太子探偵という戯れ」における彼のキャラクターから、マスコミに煽られたからという理由だけで、キランが動いたとは思っていない。
怪盗という名前こそついているが、キランは愉快犯でもパフォーマーでもない。彼の手口は意外にも控えめ、盗まれた者たちは何が起きたかも分からないような、キツネにつままれたような気持ちになるのだ。
記事によれば、「金庫の鍵」が盗まれた経緯はシンプルだった。マンディが外出をしている極めてわずかな時間に、スられたというのだ。
マンディの胸ポケットには革のキーケースだけが残され、中には犯行声明……というか、トレゲニス家の挑発に対する返事だろう、「のってあげるよ。怪盗キツネ」と書かれたメッセージカードが挟まれていた。
ウェンズディの話にあったとおり、ヴァンパイア・ガーネットが仕舞われている金庫の鍵は一つしかない。また、このトレゲニス邸の金庫を開けられる鍵職人は、もうこの世にいないとされている。
ーーつまり、金庫の鍵が盗まれたということは、ヴァンパイア・ガーネットが盗まれたことと実質同じようなもの。
「金庫自体は、マスコミや派遣された騎士によってトレゲニス邸で24時間見張られていた……だからこそ、キツネは金庫破りするのではなく、鍵に狙いをつけた?」
今回、キツネにとっての目的は、トレゲニス家の挑発に一矢報いることで、ヴァンパイア・ガーネットそのものを盗む必要はなかったから。
(漫画では、キツネは盗んだ「そのもの」に対して関心はなく、いつもそこから情報が得られたら「速やかに」持ち主へ返却していた。だから、近日中にまた「金庫の鍵」が戻された記事が出る、はずだけど)
次にアイスローズがキランに会えるのは、おそらく社交界デビュー時だろう。舞踏会に名誉ゲストとして来ると聞いている。
アイスローズは焦れたように、椅子から立ち上がった。
(その時にキランへきちんと事情を説明し、事件に巻き込んだことの深謝をしなければ)
事前にワケを記した手紙を送ることも考えた。しかし、王族への手紙は十中八九……公爵令嬢からであろうとも……検閲が入る。まさか、アイスローズからの手紙によって、キランの正体を漏らすわけにいかなかった。
こんな時ばかりは、気軽な連絡手段のないこの世界を不便に思う。
そんな昼下がり、キランからヴァレンタイン邸に一通の手紙が届いた。
明日投稿はお休みします。
次回の投稿は3/18(月)になります。




