70.呪いのヴァンパイア・ガーネット④
(朝刊に間に合ったのね。まあ、スクープになるようなネタだもの)
アイスローズが考えていた案は二つ。
一つは、ウェンズディに偽りの「自殺未遂」を起こさせること。ウェンズディの亡き骸をマンディに見せて遺書を発見させ、「彼女の望む通り、話をしておけば良かった」と後悔させる。その後、実は生きていたと明かすシナリオだ。いつだったか「王太子探偵という戯れ」でエドガーがジョシュと「飛び降りたように見せかけ、実はしていないトリック」について話していたことがあった。
とはいえ、身体能力が求められるため、ウェンズディが再現し、事故にでもなったら取り返しがつかない。
しかも、マンディはかつて大学で医学を学んでいたから、生半可な細工では騙せないだろう。
二つ目は、ヴァンパイア・ガーネットをこの家から無くすこと。その原因がウェンズディにあると分かれば、さすがのマンディも彼女と話をするだろう。そして思い付いたのが、「怪盗キツネ」を利用することだった。
「どういうつもりだ!? こんなことをして、イロモノ令嬢にでもなるつもりか!? 今後学園でーー……社交界でこれから自分がどういう扱いをされるのか、わかっているのか!!」
マンディは声を荒げる。
「さあ……どんな扱いされるか楽しみね」
そんな兄を横目で見ながら、他人事のように答えるウェンズディ。
(そう、この案のリスクは、ウェンズディの令嬢生命に、傷がつきかねないことだけど)
マンディはウェンズディの肩を強く掴み、自分の正面へ向かせた。しかし、彼女は兄をキッと睨む。
「だけどそんなの、よくよく理解した上でやってるわよ!! だってそれくらいやらないと、兄さんには効果がないでしょう!?」
「何だって?」
マンディはウェンズディの気迫に面食らったようだ。
「マンディ兄さんが、……兄さんが一人で抱え込むから!」
ぎゅっ、と喉を鳴らすマンディ。
「私は……ヴァンパイア・ガーネットなんていらない、私は社交界での名誉も、財産もいらない!! 王城学園にだって行かなくてもいい!!」
「なっ」
ようやくアイスローズの存在に気づいたマンディは何かを言いたげにこちらを見るが、ウェンズディは立ち上がりかけたアイスローズの手を掴み、再び座らせる。
「いいの、アイスローズ嬢はここにいて頂戴。一緒にいてほしい」
舌打ちするマンディ。
「馬鹿な、お前は何も分かっていない! この世界で生きていくのに王城学園の学歴がどれだけものをいうか」
ウェンズディは譲らない。
「じゃあ、何故マンディ兄さんは王城学園大学を辞めたの? 父さんの仕事を手伝うからって、医者になる夢を諦めたじゃない! あれは本当は……父さんが許さなかったの? 兄さんが本当の子じゃないから」
部屋の入り口から何かが床に落ちた音がした。
「ウェンズディ、あなたーー」
震える声の主は、ヘレネ・トレゲニス……二人の母親だ。
マンディは虚をつかれたような顔をする。ウェンズディは掠れた声で続けた。
「私が何も気づいていないとでも思った? ヴァンパイア・ガーネットなんか、この家にあるから、兄さんはおかしくなっちゃったの? いつ、どこで私が、私を除け者にしてまで『私の心』を守ってと頼んだ?」
「……」
「私は、母さんと兄さんが笑顔でいてくれれば、それだけでよかったのに」
ウェンズディは俯いた。
「こうして長くマンディ兄さんと話をするのも、何年ぶりか。前にいつ話したかなんて、思い出すこともできないわ」
マンディは何も言わず、動かなかった。ウェンズディは自嘲したように笑いながら、最後の勇気を持って絞り出す。
「伝わっていなかった? 私だって兄さんと一緒に頑張りたいと思ってるって。隠される方が辛いことだってあるの。そもそも、どちらが辛いかなんて私が決める。私はただ、マンディ兄さんに昔みたいにーー」
室内は、壁がすべての音を吸収していると錯覚するほど、静かになった。
どれだけ時間が経っただろう。
項垂れていたウェンズディは、迷子のように頼りなくアイスローズを見た。黒い瞳は湖面のように潤んでいて、今にも溢れ出しそうで。
アイスローズは立ち上がり、深く頭を下げていた。
「マンディ様、どうかウェンズディと話をしていただけませんか? ウェンズディは、それほどまでに……マンディ様を心配しています」
マンディは目を見開いた。
(昨日初めて会った私なんぞの言葉なんて、マンディにしたら邪魔以外、何にもならないわよね。だけど、それでも)
アイスローズは必死に目を瞑り、ひたすらに頭を下げた。
やがて、頭上から声がした。
「……貴女のピアノとウェンズディの歌を聞いた」
「え、」
ここで言う「貴女」とは、文脈からアイスローズのことだろう。マンディはアイスローズに話しかけている。顔を上げれば、ウェンズディと同じ黒い瞳が、アイスローズを見返した。
「あの歌には続きがあるんだ。昨日、数年ぶりに思い出した」
確か、一番はこうだった。
故郷は、父母がいて
幼い幸せな日々を過ごしたところ
今はもう名残もなき、
遠く、遠く、心が向かうところ
私はそこで生き、そこへ眠りたかった――
マンディは二番を口ずさんでくれた。声量はなかったが、低く、綺麗な声だった。
故郷は、妹がいて
幸せな輝く日々を過ごしたところ
今はもう話せない、
遥か、遥か、声を向ける天国
私は一目だけでも、あの子に会いたかったーー
「まさか、ウェンズディがこんな……『怪盗キツネ』なんかに手を出すほど、これほどまでに思い詰めているなんて、想像もしなかったんだ」
マンディは力無く言い、一番近くの椅子によろよろと座り込んだ。ヘレネは呆然と立ち尽くしている。ウェンズディは涙ながらに兄を見た。
「マンディ兄さん、20歳のあの日から兄さんに何があったのか、私に全部話してくれる?」
マンディは静かに、頷いた。




