6.王城にて
「やっぱり、予想通りだったわね」
アイスローズは王城医師に礼をし、診察室から出ると呟いた。
アイスローズは王城に着くなり国随一の医師の診察を受けたが、結局異常はなかった。身体の線が細いから、よく食べよく運動するようアドバイスされたが、一応深窓の令嬢だから想定内だ。
「『王太子少年の事件日和』『王太子探偵という戯れ』のことを語ると頭痛が起きる説」はどうやら確定らしい。
「お疲れ様」
「っ!」
診察室からの廊下を曲がると、何故か多忙のはずのエドガーが待ち構えていた。壁に背を預けたポーズが様になっている。アイスローズが叫ばなかったのは、長年の令嬢教育の成果でしかない。お馴染みの従者ジョシュも同行していて、挨拶してくれた。
「食事と運動習慣の改善が必要と聞いた」
当然のようにアイスローズの隣を歩きだしたエドガーが言う。
「食事については王城の管理栄養士とヴァレンタイン家の料理人を繋ごう。栄養士の紹介も兼ねて、この後アフタヌーンティーを用意したので是非一緒に。運動は……よければ見せたいところがある」
(何で淑女の診察結果(センシティブ情報)が筒抜けなのか……)
アイスローズは心の中でちょっと引く。
アイスローズのキャラ設定がわかったところで、まだ未来に何が起きるのか掴みかねている。正直なところ、血の通っているエドガーに会えたことは嬉しいし、エドガーのことは前世では「ファン」として、今世では「恋心」として大好きだった。
しかし、今は違う。
アイスローズは「王太子少年の事件日和」「王太子探偵という戯れ」内で、エドガーがどう呼ばれていたのかよく知っている。
――「無敵の主人公」の他にもう一つ、「王都の死神」。
推理漫画だから仕方がないのだが、エドガーがどこかに出向くたび事件が起きる。エドガー本人とヒロイン、身近な主要キャラ以外は、被害者にも加害者にもなりうるのだ。
(つまり、事件に関わりたくなければ、エドガーに関わらないのが鉄則!!)
かつてのファンとして、エドガー王太子の今後のご活躍と発展は遠くから見守ろう。
何なら、エレーナとの恋愛成就もお祈りさせていただきます。だから。
「それには及びませんわ」
アイスローズは令嬢スキルをMAXで使い、声色に気をつけてゆっくりと答える。
「エドガー殿下。こちらで診察させていただいただけで、私などには身に余ります。お誘いは大変嬉しいのですが、日程を改めて、こちらから連絡させていただきます」
よし、上手い感じに距離感アピールよ。
必殺「こちらから連絡します」=「二度と連絡しない」社交辞令作戦。この世界での時間が【悪役令嬢殺人事件】に至る前に、エドガーとの関係を断てばよい。
「遠慮は無用。アイスローズは私の恩人だからね。先日話した願い事も考えといて」
(つ、通じない!)
エドガーは柔らかい笑顔を見せたが、少し目を細めた。なんだろう、アイスローズの反応を観察しているかのようだ。
「い、いえ。遠慮ではなく」
「そう?」
エドガーは立ち止まり、アイスローズの目を見つめた。やはりエドガーに見つめられると、思考まで読まれている気がして心がざわつくのだ。アイスローズが思わず視線を逸らすと、エドガーが口を開いた。
「着いたよ」
「え?」
周囲を見渡すと、いつのまにか室内の廊下から中庭に来ていた。広がる視界、優しい日差しと木々、頬を撫でる爽やかな5月の風が気持ちが良い。中庭? 否。この人々は。
「ここは?」
「王城の騎士団訓練場です。エドガー殿下や私も定期的に切磋琢磨しています。殿下はすでに役職ある騎士も相手にされているんですよ。それでも息一つあげないんですから、エドガー殿下はエラ呼吸もしてるんですね、きっと」
「女性も少ないがいるよ。やる気や技術のあるものは所属や身分に関係なく招き入れているんだ。あ、ちょうどいい。今日来ている」
ジョシュを華麗にスルーしたエドガーが示したのは、柔らかい日差しの下にいる……女の子だった。
(――あれは、剣術なのだろうか)
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
この言葉は彼女のために作られたのか。軽やかな身のこなしは剣舞にも見えるが、誰よりも速く正確に剣を突く。
黒髪の煌めくロングヘア、紫色の瞳を輝かせた「王太子少年の事件日和」「王太子探偵という戯れ」のヒロイン、エレーナだった。
エレーナ・シライシ。エドガーやアイスローズと同い年で、漫画内における絶対的ヒロインである。つやのある前髪がぱっちりしたアメジストの瞳を引き立たせ、清楚な見た目ながら全国大会レベルの剣客だ。平民ながら王都で有名な器量よし、大らかで優しく料理上手、情に厚くて勤勉な性格だ。さらには、ドレスや紳士淑女やらの世界観に反して何故か存在する【水着回】で、抜群のスタイルを披露している。
「エドガー殿下!」
こちらに気づいたエレーナが剣を納め、花を散らしたような笑顔で駆けてきた。キラキラサラサラの髪って、それだけでアクセサリーだと思う。
「紹介しよう、アイスローズ・ヴァレンタイン嬢だ。先日話したティアラ・カーライル事件の功労者だよ」
「お噂はエドガー殿下から予々お伺いしております、アイスローズ様。エレーナ・シライシと申します。元より、今回の事件だけでなく、ご令嬢中のご令嬢と名高いアイスローズ様にお目にかかれて、大変光栄です」
(こ……声すら可愛い! しかもほんのりめちゃくちゃ良い香りがする!!)
何とか令嬢としての挨拶を返すアイスローズに、エレーナはキレのある一礼をしてくれた。属性盛りすぎなエレーナだが、生成色の素朴な訓練着が彼女の素材の良さを引き立てている。
続けてエドガーはエレーナのバックグラウンドを教えてくれたが、漫画で読んだのでアイスローズにはもはや必要ない。
エレーナの父、オリバー・シライシは武道に優れ、平民ながら騎士団に勤めて一部隊を任されるまでになっている。エドガーからの信頼も厚く、後にエドガーの城下での探偵活動の手助けをするのだ。エレーナも幼少期から父に才能を見込まれ、騎士団訓練場に通っていた。そこでエドガーと出会っていて、いわゆる幼なじみヒロインになる。
なんなら、エドガーやエレーナが両思いなのに素直になれず、互いに嫉妬したりするストーリーも知っている。
「……そういうことで。エレーナが相手ならアイスローズ嬢も通いやすいだろう。これから頼む」
「はい?」
唐突に名前を出され、アイスローズは現実に返る。
「お任せください。女性や子供向けの剣術指南の経験もございます。アイスローズ様のお相手ができるなんて、嬉しいです」
状況をつかめていないアイスローズに、エレーナは一生懸命「プラン」を説明してくれた。要は、アイスローズの体力づくりを騎士団訓練場でする、そのためにエレーナが稽古を定期的につけてくれる、という話だった。
(さ、最悪でしょ! そんなことになったらエドガーとの接点が今以上に増えちゃう!)
アイスローズは慌てて両手を振る。
「いやいやいやいや、お忙しいエレーナさんの時間を私のような軟弱者にかけるなど、国益に反します――」
「そういえばエレーナ、騎士団訓練場で気になる噂があるって言っていなかった?」
唐突にエドガーが口を挟んだ。
「え? ええ、ヴィダル・ハリス様のことでしょうか。とても真面目な騎士見習いだったのですが、ある日突然失踪してしまったのです。彼と親しかった者に聞いても、悩んでいた様子や思い当たることはないと。寮の部屋もそのままで」
「そんなやつは放って置けばいいんですよ。どうせ訓練がキツくて逃げたんでしょう。殿下に名前をお聞かせするのも恥ずかしい」
ジョシュが強く吐き捨てる。
エレーナはある程度納得したようだが、なんだろう。
(んん?)
アイスローズは何故か焦燥感に駆られた。
「ヴィダル・ハリス……ヴィダル・ハリス?」
プリプリしたままのジョシュに目をやりながら、アイスローズは呟いてみる。
(――この名前どこかで)
この時のアイスローズは、エドガーから静かな視線を向けられていることに気づいていなかった。