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63.黒いダイヤのジャック事件④

「ウォルト!」


 離れの鍵は掛け金式だったので、外からはすんなり開いた。中は物置のようになっていて、ポツンと一人の少年がおもちゃを抱えて座っていた。

 ウォルトはくるくるカールした赤茶髪に灰色の目をしている。いきなりの来訪者に名前を呼ばれ、驚いたようにアイスローズを見つめた。


(良かった……! 思ったより元気そう)


 胸をなでおろしつつ、アイスローズは話しかける。

「迎えに来たわ! お母様とヒューゴお兄様のところへ帰りましょう。私は二人から頼まれてきたの」

 警戒の色を浮かべていたウォルトも、ヒューゴの名前を出すと多少安心したようだ。戸惑いながらも答えてくれた。

「でも、パリスさんは外に危ない犬がいるからって言っていたよ。お姉さんはどうやって来たの?」

「今は大丈夫。犬たちは小屋にいるから安全だわ」

 屈んでアイスローズが手を差し出すと、ウォルトはその小さな手で握り返してくれた。


 ロイロット邸の庭は広大だった。この離れから正門まで徒歩15分はかかるだろう。とりあえず、木々が茂って屋敷から姿が見えなくなる場所までウォルトと走る。ウォルトが息切れすれば、アイスローズは彼を抱えて走る。


「お姉さん、抱っこヘタだね」

「え、嘘!? ごめんね!?」


 実のところ、アイスローズは子供の扱いに慣れていない。見かければとても可愛いと思うし嫌いではないのだが、自分自身は一人っ子だし親戚も歳上ばかり。一番若くて一つ下の従兄弟だ。


(完璧な令嬢を目指していたはずなのに、今更ながら苦手分野を発見したわ……)


 アイスローズは遠い目をする。今後対策を立てないとならない。


「@※×〜っ!! くそったれ、逃さないぞ!!」

「!?」


 背後から突然、聞いたことがないくらいの汚い言葉が響き渡った。野太い声に驚いて振り返れば、庭のかなり後方でサイモンが叫んでいた。


(逃げたことがバレた……!?)


 しかし、サイモンの視線は別方向へ庭を横切りながら走っていくパリスに向けられていた。いつの間か二人も外に出てきたようだ。


 一体何をしたのだろう、サイモンに犬の飼育小屋まで追い詰められるパリス。

 そしてパリスは、あろうことか――飼育小屋の扉を開け放ったのだ。一斉に放たれた10匹ほどの猟犬。「窮鼠猫を噛む」とはよく言ったもの。パリスは高らかに猟犬へ命令する。


「行け!! 余所者に噛みついて動けなくしろ!!」


(! まずいわ!!)


「ウォルト、私の背中に乗って!」

 アイスローズはウォルトをおんぶし必死に走り出す。これは抱っこより安定する気がする。

 ――最も近くにあった塀は、高さ2メートルほどの古びた石造りだった。足場こそないが、幅がそれなりにあって人が上に乗ることができそうだ。


「ごめんね、ウォルト! お願いよ。いい子だから塀の上に乗れる? 私が下から押し上げるから!!」


(猟犬は何匹もいたわ。犬がこちらに気づく前に、ウォルトを安全な場所に!! 早く)


 アイスローズの気迫から緊急性が伝わったのか、ウォルトはこくりと頷いた。

 アイスローズはウォルトを抱え上げて、彼の手をヘリに届かせる。ウォルトも必死だが、アイスローズの持ち上げる高さが足らない。


 やはり気づかれたのだろう、犬の鳴き声がこちらに向いて、凄いスピードで近づいてくる。

「ん、何とか、っあと少し……!」

 アイスローズがつま先だちをすれば、ふいに頭で支えていたウォルトが軽くなる。ウォルトの上半身が塀に乗った。


(やった!!)


 アイスローズはくるりと振り向いた。長い時間ずっと力を入れていたから、腕はもう上がらない。アイスローズが登るのは不可能だ。塀を背に立つ。


 目の前には、二匹の猟犬が跳ねながら一目散に駆けてくる。かなり大きい。息づかいは荒く、歯が光り目は血走っている。よだれが宙を舞う。

 アイスローズの元に来るまで、5秒もないだろう。――ああ、この犬たちも本当は人なんて襲いたくなくて。


(ロイロット・ハウンドという犬種は優しくて賢いと聞いたわ。ただ、飼い主の命令に忠実なだけ)


 アイスローズを噛んだからって処罰されたら嫌だと思う。そもそも、アイスローズがエドガーを傷つけたからこんなことになったのだ。


(――彼の心の痛みに比べたら)


 覚悟して歯を食いしばった時。

 

 人が塀から飛び降りた。

 ウォルトではない。視界に入るはためく制服、この懐かしい金色は。


「アイスローズ!」


 着地したエドガーはしゃがんだまま指先を2本軽く咥え、鳴らすように息を吐いた。



✳︎✳︎✳︎



 途端に、猟犬たちはその場でくるりと回ったかと思えばお座りした。目は先程までと別物みたいに愛らしい。しっぽまで振っている。

 アイスローズが唖然としている間に、犬たちは「お手」「おかわり」をし、エドガーは褒める。時おり、さっきの指笛――しかし、ポーズだけで音は出ていない……を繰り返しながら。


「エドガー様、これは一体……」


 やっとのことで声を紡ぎ出す。


「犬笛だ。本来なら専用の笛があるが、似た音を指笛で出した。この種のロイロット・ハウンドは王室に献上されていて、決まった音に反応するよう躾けられている」


(む……無敵の主人公、万能感が凄い!!)


 アイスローズはヘナヘナと座り込んだ。足の力が抜け、思うように立てない。


 エドガーが犬たちへ「ハウス(小屋に戻れ)」を指示すると、塀の上でウォルトは足をバタバタさせ、はしゃいだように言った。


「すごいね! お兄さん、王子さまみたいだった! お姉さんを、お姫さまをたすけたね!!」


 ウォルトはエドガーが王太子と知らないのだ。曇りなき尊敬のまなこで、自分を塀から降ろすエドガーを見つめる。

 正確に言えば、エドガーは王子様だけどアイスローズは「公爵令嬢」で「お姫様」ではない。だが、それを5歳児に説明するのは野暮だろう。そんなことを考えていると、ウォルトの口からとんでもないセリフが飛び出した。


「ねえ、王子さま! 王子さまはさいごお姫さまと結婚するんだよね? 絵本で読んだ!」

「え! ちょ、ウォルト?」

 慌ててアイスローズが言えば、丁度ウォルトを地面に置いたエドガーと目が合う。


「……そうだなあ」

 ややあってからエドガーは口を開いた。


「このお姫様に振られなければ、ね」


ね、のところでいきなりアイスローズを抱え上げる。これは、まごう事なき「お姫様抱っこ」だ。


「!!?? エドガー様!? 何故!?」

「腰が抜けて立てないんだろう。門までもうそんなにない。ウォルトは歩けるか? ゆっくりでいい。帰るよ」

「うん!!」


(どうしてこうなった……?)


 ウォルトは何を思ったか、歩きながら好きな女の子(パン屋のサラちゃん5歳)についてエドガーに話し始める。満面の笑みを浮かべていて、えくぼが可愛い。


 エドガーは楽しそうに相槌を打っていた。

 しかし、彼の腕の中にいるアイスローズは色々限界だ。エドガーの顔は近いし、背中と膝裏にはエドガーの体温を感じる。真っ赤になっているであろう顔を、両手で覆うしかなかった。

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