62.黒いダイヤのジャック事件③
翌日9時、アイスローズはローマン・ラグーンに来ていた。同じ学年の200人ほども一緒だ。
外観だけでも見に来る価値があると思うほど、ローマン・ラグーンは圧巻だった。城のような、要塞に見える建物だ。塔が複雑に入り組んで、金色やターコイズブルーの玉ねぎ型の屋根が特徴的である。外にあるプールには精巧に作られた海賊船があり、中は水着のまま利用できるレストランになっているらしい。
アイスローズの描いたシナリオはこうだ。
アンナマリアやヴァレンタイン家の使用人には遠足に行くと見せかけるため、一度ローマン・ラグーンへ向かう。そこから早々にラグーンを抜け出し、変装しながらロイロット邸へ駆けつける。朝の点呼さえ受ければ、ラグーン内では自由行動・自由解散だから、学園にはバレないはずだ。
ロイロット家は「王太子探偵という戯れ」で、しごく一般的で真っ当な一族だった。パリスの賭け事については、少しばかりは「紳士の嗜み」と容認していた。しかし、まさか「いかさまトランプ」にまで手を出そうとしていることなど、夢にも思っていないだろう。当然ウォルトのことも知らない。
よって、ロイロット邸にアイスローズが潜入しさえ出来れば、パリス以外の誰かにウォルトを連れ出すところを見られても、むやみに攻撃されることはない。家人たちはまず、事情を聞いてくるだろう。
みんなはしゃいでいるのか、点呼に思いの外時間がかかった。偶然エレーナに会ったので聞いてみたところ、彼女はエドガーの姿を見ておらず今日も休みだと思う、と。
(エドガー……)
学業と公務を両立させる多忙なエドガーにとって、【水着回】とか以前に、一生徒としてローマン・ラグーンは楽しい青春の思い出になったに違いない。
アイスローズの胸は押しつぶされそうになる。
(だけど、今はなにより事件のこと)
これで事件までぐちゃぐちゃになってしまったら、一生エドガーに向ける顔がない。
ようやく点呼が終わる。アイスローズはお手洗いへ行くと見せかけて、急いで出口へ向かった。肩にかけているプールバックには、水着ではなく変装道具やらをぎっしり詰めてきたから重く、結構しんどい。
「アイスローズ嬢」
「! イーサン!」
突如、目の前がジャケットの紺色になったかと思えば、正面からぶつかってしまったのはイーサンだ。
イーサンは不審そうな顔でアイスローズの顔に浮かんだ汗を見回すと、反対の方向を指差した。
「女子更衣室はこっちじゃないですよ。あと、ペマ嬢とベアトリスさんが探してました」
ペマとベアトリスは同じクラスで出来た友だちだ。しかし、今のアイスローズには時間がない。
(親切に声をかけてくれたイーサンには悪いけど……!)
「イーサン!! 緊急事態なの!! 行かなければならないところがあるわ。お願い、クラスの人たちには言わないでいて!!」
アイスローズはイーサンに掴みかからんばかりの勢いで言った。
そして、そのままイーサンの脇をすり抜けた――つもりだった。
予想外につよく腕を掴まれる。
直ぐ斜め上にイーサンの顔があった。丸く見開かれたワインレッドの瞳を群青の瞳が近くで捉え、アイスローズは驚きのあまり息が出来ない。
「……大丈夫?」
彼の声は真剣で、瞳は深い海のようで。
一瞬、吸い込まれるかと思うほどに。
「! 大丈夫、ありがとう!」
しばしの間の後、アイスローズのきっぱりと言い切ったセリフを聞き、ようやくイーサンは手を離してくれた。他のことを考えている時間はない。アイスローズはそのままローマン・ラグーンに背を向ける。
イーサンがいつまでもこちらを見ていたことに、気づく余裕はなかった。
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肩で息をするアイスローズは、額の汗をハンカチで拭った。カツラの下が蒸し暑い。
(な、なんとか間に合った……)
アイスローズは無事変装をし、ロイロット邸の客間まで辿り着いていた。実は10分ほど遅刻をしていたが、謝罪してパリスは許してくれた。
「これからは時間厳守で頼むよ、私の紹介する仕事は締切に厳しいんだ」
アイスローズはティーカップをテーブルに戻し、緊張した面持ちでパリスを見つめた。勿論、これも演技だ。
「ローズ、今日ここに来ることを誰かに言った?」
「いいえ、来るまでに使った辻馬車くらいです」
(嘘は言っていないわ……とはいえ、実は辻馬車を貸し切って正門より少し離れた場所で待機してもらっている。【瀕死の王太子事件】での失敗は繰り返さない)
アイスローズが二時間たって戻らなかった場合、騎士団へ連絡してほしい旨を伝えている。この場合、騎士団にはローズ(アイスローズ)の捜索という大義名分が立つ。
「早速、画材も幾つかお持ちしましたから、今から何でも描けますよ」
カバンの口をがばりと開き、中身を見せるアイスローズ。パリスは感心したように自分の顎を触った。
「……よろしい。実は少しばかり事情が変わって急ぐんだ。君に仕事を依頼をするのは、この私だ。あるトランプを作ってほし――」
パリスが続けようとしたところ、廊下からドタドタとした足音と大きな声が響いてきた。何やら、執事と客人である男性が揉めている。
「困ります、お客様!! 今パリス様は来客中で」
「いいんですよ。私とパリス坊ちゃんは仲良しなんだから」
大きな声とともにノックもなく扉を開いたのは、やたら派手な縞柄のスーツで全身を固めた男――この見た目は、賭博場の用心棒・サイモンだ。
(漫画のイラストのまんま……!)
「お久しぶりです、パリスお坊ちゃん。最近、賭博場に顔を見せてくれないから寂しくて来ちゃったよ」
すごい顔をしている執事と目を見開くアイスローズを気にも留めず、ズカズカと無遠慮に部屋に入り、パリスの肩を背後から抱く。
「おや、見たことがないお嬢さんですね。恐ろしく姿勢と顔のつくりが綺麗だ。もしや、新しいこれかな?」
サイモンはアイスローズを見ながら、小指を立てた。恋人という意味らしい。
話しぶりはフレンドリーだが、眼光の鋭さは隠せていない。サイモンはアイスローズにとっても得体の知れない人物だ。
「……やあ、サイモン。驚いたなあ。今週末会いに行くと言っただろう」
パリスはいつの間にか凄い汗をかきながら、やっとの思いという感じで言葉を発した。それから肩に乗ったサイモンの腕を退かせる。
「忘れていたらいけませんからね、なんせ『貸したもの』がありますから。リマインドってやつですよ」
サイモンは蛇のような目を光らせた。
(貸したもの、とは賭博場での借金のことね)
アイスローズは眉を顰める。
ロイロット家の執事もいるからか、パリスはアイスローズに「ちょっと席を外してくる」と断りを入れた。さすがにここでは話せず、そのままサイモンと別室へ行くようだ。
(これは……願ってもないチャンス!)
元々は、お手洗いに行くふりをしてウォルトを連れ出す、という計画だった。しかし今、客間には誰もいない。アイスローズは誰にも見られることなく、そっと部屋を抜け出して「離れ」へ向かった。
次回、エドガー登場。
9/5 複数誤字報告いただき、ありがとうございます。助かります!




