5.アイスローズ・ヴァレンタインの事情②
気を失っている間、夢を見た。
「薔薇のような瞳ですね」
その言葉に、どれだけ救われたか。アイスローズのプラチナシルバーの髪、特にワインレッドの瞳はコンプレックスだった。他の家系の者になく、いずれもヴァレンタイン家のみに伝わるものだ。今でこそ美しいと讃えられているが、幼い頃は「みんな」と異なる容姿は目立つ。アイスローズは周りの子供たちから好奇の的にされていた。
そんなアイスローズが、10歳で初めて王太子に謁見した日、エドガーはそう声をかけてくれた。エドガーのことだから自分の発言に力があるとわかっていて、公衆の面前であえて歯が浮くようなセリフを言ったのだろう。その日以降、アイスローズが揶揄われることはなくなった。それだけでなく、当時のアイスローズがしていた縦巻きツインテールが、周囲の令嬢間で大流行するまでになったのだ。
それからというもの……アイスローズは血の滲むような努力をした。
社交界デビュー前であり、公爵令嬢といえ王族に会える機会はそうそうない。しかし、この国の慣例から、15歳で王太子に再び会えるパーティーがあると知っていた。
その日、殿下のお心に残るような「完璧な淑女」になりたい。
それが、公爵令嬢アイスローズ・ヴァレンタインの生きる目標だった。
両親に頼みこみ、学業、マナー、ピアノ、舞踊、マグロ解体まで、どんな知識も無駄にならないはずと身につけた。効果があると聞けば、忍耐や苦痛を伴う美容法も試す。それらの成果があって、15歳になる頃には令嬢中の令嬢としてアイスローズの名前は巷に広がっていった。彼女のことを「生まれながらのご令嬢」と言う人もいたが、環境に恵まれた以上にアイスローズは努力をしていたのだ。
(ようやく、そこまでしてようやく、ガーデンパーティーで殿下に名前を覚えてもらうことができたのに)
ガーデンパーティー後しばらくして、アイスローズとエドガーの交流はいくらか増えることになる。しかし、その頃にはもう、彼の視線の先には平民エレーナ・シライシがいた。
アイスローズがどんなに努力しても手に入れられない彼の心を、身分さえ乗り越えて、掴んで。
あんなにもエドガーに愛おしくてたまらないように見つめられているのに、彼の気持ちに気づかないなんて。
言わない。
二人が両思いだと側から見て理解しても、絶対に教えてなんかあげない。
✳︎✳︎✳︎
「……うっ!」
アイスローズは自分のうめき声で目を覚ました。室内はすっかり暗く、夜が更けている。彼女の薄い生地の寝巻きは、嫌な汗で湿っていた。
(そうか、また気を失っていたんだっけ)
アイスローズはため息をついた。
家人の話によれば、エドガーの前で気を失った後、心配した彼は国随一の名医である王城医師の診察を受けられるよう、明日にでも迎えの馬車をよこすと言っていたそうだ。
さっき見た夢は、何だったのか。
アイスローズの「現実の記憶」に、ガーデンパーティー後――つまりこれから起きるだろう【悪役令嬢殺人事件】の「漫画のストーリー」が混ざっている。
一般的に悪役令嬢は容姿、家柄、教養など性格以外は恵まれている設定だが、アイスローズは努力型のチート令嬢なのだ。……今更だけど、マグロ解体の技術いらなくない?
「じゃあ、なくて」
芸人がノリツッコミする様にビシッと手をはらう。暗さに慣れた目で、ベッドサイドに置いてあるガラスの薔薇を見つめた。
この世界のアイスローズは、5年前エドガーにコンプレックスを覆すようなセリフをかけられ恋が始まったのだ。それは確かに、記憶にしっかり刻まれている。しかし、漫画でエドガーはヒロイン・エレーナに夢中になっていた。エレーナもエドガーに恋しているが、お互い気持ちに気付かない展開だ。
(そんなモヤモヤする二人を、毎度近くで見せつけられたら、確かにちょっとイラッとするかもね)
アイスローズが漫画内で悪役令嬢となった理由は、おそらくこれだ。漫画内ではエレーナを睨むくらいで、大した悪事をする間も無く、殺されていたけど。
(とはいえ、前世を思い出した私にとってエドガーは芸能人みたいなもの、この気持ちは「恋心」ではなくなったわ。むしろ、エドガーがエレーナを想う気持ちを知っているから、応援したいところだし)
「私がエドガーを好きにならなければ、未来を変えられる?」
アイスローズの呟きは、静まり返った室内の暗がりに消えていった。
翌日、エドガーは約束通りヴァレンタイン公爵家へ迎えの馬車を寄越した。
9/4 複数誤字報告いただき、ありがとうございます。助かります!