55.セレスティン・ウィンザーノットの事情
エドガーが別途ヴァレンタイン邸に送ったという誕生日プレゼントは、「ガラスの靴」だった。
ガラスの靴と言っても、靴自体は履きやすいシルバーのダンスシューズだ。靴全体(ヒール・ストラップを含む)にラメがついていて、前部分に向かってグラデーションになるよう、エレミアン・ガラスのラインストーンが散りばめられている。甲には虹色の輝きを放つ、最高技術のカットが施されたクリアガラスの花飾りが付いていた。
(こんなに綺麗な靴、今まで見たことがないわ)
何度目だろうか。アイスローズは自室でこのダンスシューズを箱から出しては眺め、しまい、また出しては眺めるを繰り返していた。
アイスローズは16歳になった今年から社交界デビューをする。シーズンは10月からスタートだ。
(その時にこの靴を履いてエドガーとダンスすることが出来たなら、まさに人生の絶頂ね。もう思い残すことはないと言っていいくらい……)
窓際にドライフラワーとして飾ってある花束に目をやる。こちらも誕生日にエドガーからもらったものだ。この花束は早々に鉛筆デッサンにもして、額縁に入れて飾っている。水彩画は完成間近だし、油彩画も下書き済みだ。
ちなみに、誕生日プレゼントとしてヴィダルからはお菓子を(マカロン)、エレーナから薔薇のビーズ刺繍をしたペンケースと自家製ポプリのサシェを貰っている。泣きそうにありがたい。
エドガーも同じくこの秋に社交界へ出る。そしたら彼は、今以上に沢山のご令嬢たちに囲まれるだろう。
「王太子探偵という戯れ」の漫画では、エドガーは夜会や舞踏会での社交を「王太子としての仕事」と完全に割り切っていた。エレーナは平民だから社交界に参加しない。エドガーは夜な夜な蓄積したストレスを、事件を解決したり、日中学園でエレーナと接することで癒していたのである。
(エレーナには敵わないけど、せめて令嬢の中では1番近い存在でありたいわ)
アイスローズは目を細める。
エドガーの想いを知っているアイスローズが盾になれば、他の令嬢からのアピールによるエドガーのストレスを、多少は減らせるかもしれない。
そのためには、その他大勢の令嬢を牽制できるほどの「キングオブ令嬢」であらねばならない。……令嬢なのにキングって。自分に自分で突っ込む。
『殿下のお心に残るような「完璧な淑女」になりたい』
それが10歳からの公爵令嬢アイスローズ・ヴァレンタインの生きる目標だった。
学業、マナー、ピアノ、舞踊、マグロ解体まで、どんな知識も無駄にならないはずと身につけた。忍耐や苦痛を伴う美容法も試してみた。……今も。
結果として、そのことは無駄にならなそうだ。10歳の自分の思いを昇華させるためにも、この社交シーズンは絶対に失敗出来ない。
アンナマリアの言葉を思い出す。
『舞踏会は戦場よ。ダンスホールはそこにいる人だけのもの、外野は何もできないわ。生き馬の目を抜く世界よ』
(出来る限りのことはして、その日を迎えたい。エドガーの隣にいられる時間は有限だから)
アイスローズは気合いを入れた。
エドガーのことを思う度、胸の中で主張してくる名状しがたい感情からは――目を逸らした。
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ヴァレンタイン邸の客間には、料理人が腕によりをかけたアフタヌーンティーが並んでいた。三段に連なった皿には、新緑の季節をイメージしたスイーツが盛り沢山だ。今が旬であるさくらんぼのケーキや、甘夏のジューシーゼリー&ふわふわムースなど。透明なエレミアン・ガラスで出来たティーポット・カップのセットはアイスローズのお気に入りでもある。
モルガナイト王国のセレスティン・ウィンザーノット公爵令嬢は、アイスローズの一つ上の17歳だ。去年社交界デビュー済みである。目の前にいる彼女は、アイスブルーの瞳をしていて、その檸檬色の髪にパールを散りばめ、青いリボンで飾られた白ドレスがよく似合っていた。セレスティンはモルガナイト王国社交界のファッションリーダーでもある。
アイスローズは社交界デビューの経験談を聞くべく、王城学園二年に短期編入していたセレスティンをヴァレンタイン邸に招いたのだ。アイスローズとセレスティンの接点は、「王太子少年の事件日和」【容疑者・王太子少年の再考】の事件があった、去年のモルガナイト王国でのキラン第六王子の舞踏会以来だ。
「お久しぶりです! セレスティン嬢。前々からお約束していたのにお招きできずにいて、遅くなってしまい申し訳ありません――!?」
彼女を部屋に招き入れたアイスローズは目を見開く。セレスティンは部屋に入るなり身体の前で手を組み、頭を深く下げたからだ。
「昨年の舞踏会事務局での件は申し訳なかったわ。どうかしていたの。この通り、どうか許してほしい」
セレスティンの長いまつ毛で囲まれた美しい目には涙が浮かんでいた。
「あ、頭を上げてください。それについては、謝罪を手紙でいただいてますから。もう全く気にしていませんわ」
アイスローズは慌てて言う。セレスティンは目をぎゅっと閉じながら続けた。
「あの夜のカドリールで貴女のステップを見て、自分がいかに浅はかか、わかったの。令嬢なら令嬢らしく、令嬢スキルで勝負すべきだったのよ」
「セレスティン嬢……」
「白状すると、あの社交シーズンではアイスローズ嬢の他に5人ほど、舞踏会事務局でのパートナー手配を邪魔してしまったわ」
「5人も!?」
アイスローズは仰天する。
(それは思ったより、悪役令嬢……!)
ちょっと引いているアイスローズを見て、セレスティンは必死に補足した。
「で、でも! キラン王子の舞踏会の後、関係各所を駆け回ってウィンザーノット邸で夜会やら舞踏会を開いて、アイスローズ嬢以外全員、あのシーズン中にビジュアル・性格・家柄ともに選りすぐりの男性との縁談をまとめたわ!」
「それはそれで凄いですね!?」
アイスローズは漫画の記憶からキラン・ポードレッタイト第六王子に結婚の意思がないことを知っている。だとしたら、キラン王子狙いで参加したご令嬢たちにとっては、結果的に良かったのかもしれない。
「私がすべきことは、他の令嬢の足を引っ張ることではなく、自分自身を高めることだった。もう二度としない。誓うわ」
「それは良かったです……っ!?」
再びアイスローズはギョッとする。セレスティンはアイスローズを見ながら、片手でピースサインをして右目を指で挟むよう顔に当てていたからだ。
「……えっと、それは?」
「これは誓いのポーズよ」
「誓いのポーズ?」
アイスローズは繰り返した。セレスティンは説明する。
「モルガナイト王国の貴族は、各家に『誓いのポーズ』を持っているの。そのポーズをして誓ったことは、家名にかけて誓っていることになる。決して破られることはないわ」
「そういえば聞いたことがあります……! だけど、そんなイケイケな……いや失礼、可愛らしいポーズとは思わなかったです」
セレスティンはどこまでも本気の目をしている。こうなれば、真摯に答える必要があるだろう。アイスローズも真剣な表情に切り替え、ゆっくりと口を開く。
「しかと受け止めましたわ」
セレスティンはようやくホッとしたように、微笑んだ。




