51.イーサン・ベゼルの事情②
「色々とありがとうございました、イーサン様」
「別に。あとイーサンで構いません」
(なんて言うか、独特な人?)
数日前と今日、アイスローズはイーサン・ベゼルに二度助けられた。同じクラスで隣の席になるイーサンは、王都では珍しい坊主頭だ。元々の整った顔に凛々しい印象が足され、切長の目によく似合っている。「王太子探偵という戯れ」のメインキャラではないようだが、アイスローズの貴族知識にはベゼル辺境伯の子息とある。
一度目は、数日前に体調不良でいなかった授業分のプリントを医務室に持ってきてもらったこと。二度目は、今日クラスで急遽「春の募金活動」がありアイスローズの手持ちがなかったことから(アンナマリアの罰による)、イーサンが貸してくれたのだ。
授業が終わったばかりで二人は教室にいる。アイスローズは言った。
「最初は『借用書を書いて』とか言われたので、驚きましたわ」
「どんなに小さな金額でも、貸し借りは書類に残すことが辺境でのやり方ですから。王都でも一般的かと思ったんですよ。少額を馬鹿にするものは、少額に泣くことになります。それに、何より」
「?」
「『ずっと一緒にいたい人』にほど、きちんとしないとならない」
アイスローズは目を見開いた。
(あ、一般的に、という意味ね。一瞬ドキリとしたわ。裏表なく思ったことを素直に言うタイプの人だった)
「それも、辺境でのやり方ですか?」
「いや、個人の見解です」
聞きさえすれば、律儀に返してくれるイーサン。アイスローズは面白くなる。
「いつか、イーサンの地元に行ってみたいわ。ベゼル辺境伯のお話も聞いてみたいですし」
「……気球が有名です。渓谷があって地層が好露出しているのがよく見れますから」
「わあ、確かに聞いたことあるわ! それはとても素敵ね!」
(お嫁に行ったパトラにも是非見せたい! 旦那さんのクレオも確か、考古学とか地学の研究者だったわね)
ワクワクして両手を合わせるアイスローズ。
「……君はちょっと殿下に似ているな」
イーサンは呟いた。想像を巡らせているアイスローズには聞こえていないほど、小さく。
ふと、アイスローズの視界にイーサンの机の上にある「生徒会議事録」が入った。
「イーサンは生徒会に入ったんですか?」
「ああ、あの婚約破棄以来、学園に来なくなっていたセルゲイ・カーファックスは転校したそうです。代わりに、マージョリー様が生徒会副会長から会長になって、一人欠員になりました。だから、次の選挙まで新入生から充てがうことに」
(ああ、そうなったのね……)
ドリューはそのまま王城学園に残っているが、結局セルゲイとドリューが婚約したという話は聞かない。こうしてこの事件は、その他大勢にしてみたら風化していくのだろう。
「それで、イーサンが名乗り出たんですね」
「違います。学年一位のエドガー殿下は、公務があるから部活動に入らないでしょう。学年二位の誰かさんは、入学オリエンテーションの時点で美術部への入部届を出していたらしく、学年三位の俺に押し付けられました」
「え、なんか申し訳ありません……」
なお、エレーナは無事園芸部に、ヴィダルは国内旅行部に入部届を出している。
「ええと、何か私にお手伝い出来ることがあれば」
「はい、今まさに」
「早」
「おかしなことに気づいたんですよ。昼休み、生徒会顧問の教師にハンコを貰いに行ったんです。しかし、彼は今日来ていないと言われました。でも、偶然通りかかった職員専用玄関には、彼の『外履があって』『上履きはなかった』んです。これってどういうことでしょう?」
(……え、ちょっと待って。この話、どこかで聞いたような)
「さらに、昨日最後に教師を目撃した生徒によれば、彼は生徒会室に飾られていた学園に伝わるという『古文書』を書き写していたそうです」
アイスローズは嫌な予感を否定するよう、目を閉じて額を抱えながら聞いた。
「ちょっと待って、イーサン。もしかしてその教師って……」
「歴史教師、レイン・ルーキャッスル先生です」
「っ、やっぱり――!!」
アイスローズは勢いよく立ち上がった。
この事件は【歴史教師失踪事件】として「王太子探偵という戯れ」に連載されていたが、その要素からファンの間では別名で呼ばれていた。【王城学園謎解き事件】と。
【王城学園謎解き事件】とは――。
歴史教師レイン・ルーキャッスルは定年間近で独身の、とても真面目な教師だった。無断欠勤したことなど40年近くない。そんな彼が、ある日忽然と消えた。
レインの外靴は校内の下駄箱に残され、逆に上履きが見つからない。生徒会室に彼のカバンも残されていた。つまり、彼は王城学園内で行方不明になったことになる。
生徒会室には、嘘か誠か、王城学園に伝わるという「古文書」が飾られている。レインは失踪日前にこの古文書を手帳に写しているところを目撃されていた。
漫画内では、エドガーは騎士団経由でこの話を聞きつけ、レインを捜索する。王城学園が彼の捜索を騎士団に依頼したためである。
(……ということは、今は本来のストーリーより早い段階にあるのね。だけど、そもそもこの事件は「急いで動く必要もない」わけで)
「アイスローズ嬢?」
眉を顰め、訝しむイーサン。アイスローズは慌てて座り直す。
「あ、いえ。ただ、私たちがそんなこと気にしなくても、学園側がなんとかするんじゃないかしら。教師が消えたなんて、私たち学生がどうにか出来る範疇じゃないかな! と」
アイスローズはさも軽い話のように言うが、イーサンは白けた目でアイスローズを見た。
「お手伝い出来ることあればって、言いましたよね? セルゲイ様のせいで遅れていた承認があって、後ろの工程が詰まっているんです。一日でも早く欲しいんですよ」
(うっ、)
「アイスローズ嬢は学年二位なんですよね? 俺より賢いんですよね? 違うなんて言わせませんよ。俺は! あなたを!! 信じています!!!」
アイスローズはイーサンに借りがある。
責めるような視線と謎のプレッシャーを浴びたアイスローズは、大人しく彼について行くほかなかった……。




