50.イーサン・ベゼルの事情
「最初、『ざまあ』なんて何のことかと思ったけど、『ざまあみろ』だったのね。公爵令嬢ほどの方が、そんな言葉どこで覚えたの?」
「……ご想像にお任せしますわ」
マージョリーの言葉に、アイスローズは苦笑いした。さすがに「前世の記憶です」なんて言えない。
それから、マージョリーは最大の敬意を払い、御礼を言ってくれた。
「自分でも驚くほど、気持ちが落ち着いているの。アイスローズ嬢が来なかった時のことを思えば、ゾッとするわ。セルゲイにあんなこと言ったけど……一つのことしか見えていなかったのは、私こそね」
彼女の血色が戻った、強張りが取れたような表情を見て、アイスローズも安堵する。
「それで、貴女はいつ婚約するの?」
「え?」
「エドガー殿下とよ。アイスローズ嬢はエドガー殿下が好きなのでしょう?」
いきなり言い出したマージョリーにアイスローズは固まった。マージョリーはいたって真剣だ。
「入学式の舞台裏で、アイスローズ嬢はずっとエドガー殿下を目で追っていたもの。正直、バレバレだったわよ……?」
(っ、まずいわ! 舞台裏は薄暗かったし、初めて見た「制服姿の生エドガー」に浮かれていた。令嬢中の令嬢と言われた私のスキル、どこへ行ってた)
冷や汗をかくアイスローズにマージョリーは続ける。
「まあ、エドガー殿下もアイスローズ嬢ばかりを見ていたから、時間の問題かしら――」
「それは違います」
アイスローズはキッパリと言った。
「……どうしてそう思うの? 殿下は貴女をとても大切にしているように見えたけど」
マージョリーは困惑したようだ。
誤魔化せる、とも思った。
だけど、どういうわけか口をついたのは本音だ。もしかしたら、マージョリーと同じように、誰かに気持ちを聞いてほしかったのかも知れない。
「エドガー様には大切にされています、自分でも分かります、凄く」
アイスローズは俯いたままで答える。
正直かなり良くしてもらっているし、仲良くなれたとも思う。
『アイスローズはいつも私の、「考え」の真ん中にいるんだ』
いつかのエドガーのセリフを思い出す。だけどそれは、彼が恩や情に厚いだけで――恋じゃない。
「自分に自信がないわけじゃないです。私はそれだけ努力してきました。ただ、」
漫画の物語が終わったら、今ほどエドガーの役に立てる機会もなくなる。そうしたらきっと、エドガーとの繋がりもなくなるだろう。
アイスローズは目をぎゅっと閉じ、喉に詰まっていた言葉をようやく吐き出した。
「エドガー様のヒロインが、私じゃないというだけです」
マージョリーは何か言いたげにしたが、口をつぐんだ。それからごく柔らかく、アイスローズの手を握った。
「話してくれてありがとう。だけどアイスローズ嬢、」
『泣きそうな顔してる』
(こればかりはしょうがないのよ、マージョリー様)
医務室の天井がボヤけていく。
アイスローズは目に手の甲を当て、熱っぽい眠りの中に落ちていった。
✳︎✳︎✳︎
「あ、エドガー殿下、こんなところにいたんですか。探しましたよ」
ジョシュは、下校時間になってもエドガーが校門に現れないため、校内に入れてもらっていた。今日は夕方から公務があり、真っ直ぐ帰らねばならない。
エドガーは医務室の前で一人立っていた。
「医務室に用ですか? なんで扉の前にいて中に入らないんですか?」
「アイスローズが体調不良で運ばれた。だが、私が見舞ったところで気を遣わせるかもしれないな、と」
「それは悩ましいですね。私はエドガー殿下が大好きですが、だからこそ話をする時は毎回、気の利いた一言が言えるよう気が張りますし」
「ジョシュから気の利いた一言を聞いた記憶はそんなにないが、さりげない告白ありがとう?」
エドガーは顎に手を当て考える。
――アイスローズの体調不良は、まさかまたあの「降霊術」に関係あるのだろうか? これから事件は起きる? ――あるいは、既に。だとしたら、多少無礼でも首を突っ込むべきだ。本当の風邪だったらそれはそれで……心配だけども。
「!」
エドガーたちが気配に振り向くと、茶髪を坊主頭にした背の高い生徒がいた。かなり端正な顔立ちをしており、瞳の色は群青。
「……君はイーサン・ベゼルと言ったか。ベゼル辺境伯子息の」
「エドガー殿下、知っていてくれたんですか」
イーサンは少しだけ目を見開いた。
「アイスローズ・ヴァレンタイン嬢に今日配布されたプリントを持ってきたんです。隣の席ですから」
手にした複数のプリントをかざす。それから、思い出したように付け足した。
「そういえば、アイスローズ嬢は入試学年二位の才女でしたね。そして一位がエドガー殿下……」
「――ちなみに、両名とも実力だったと信じていいんですよね?」
一旦区切った後に、いきなりの不躾なセリフ。一瞬、場の空気が変わるが、エドガーは顔色そのままにゆっくりと聞いた。
「それはどういう意味だ」
「ヴァレンタイン公爵家は、国内有数の有力貴族です。やろうと思えばなんだってできるのでは? まして、あなた方王室なんて、国内一の権力者ですから」
ここで、我慢しきれなかったようにジョシュが吹き出す。
「まさか! 王室が学園にそれだけの力を持っていたら、入試順位なんかじゃなくてクラス分けの時に使っていますよ、ね? エドガー殿下」
笑い続けるジョシュに、エドガーは半目になった。目の前のやり取りに、イーサンは多少拍子抜けしたようだ。
「イーサン、随分はっきりと言うんだな」
エドガーはため息をついた。
対し、イーサンは警戒心を含ませたままの声で返す。
「悪気はありません。辺境暮らしが長く、はっきりものを言わないと、領地を狙う奴らに付け込まれて酷い目にあってきましたから。同年代の人と関わることもなかったので、このような性格に」
「自覚があるのか……。ベゼル辺境伯には大変世話になっている。今度また食事でもしたい。イーサンもどうだ? 私は同年代だから、慣れるのに良いだろう」
エドガーのセリフに、イーサンは大きく目を見張った。この性格のせいで嫌われることならあれど、誘われることなんて。
エドガーは続けた。
「アイスローズは勇気のある女性だ。そんな不正などしない。いつだって自分の未来は、自分で切り開いて来た人だよ」
(え、……)
アイスローズは扉にかけていた手を止めた。実は、エドガーとイーサンの会話は、医務室の中まで聞こえていた。外に出て行くタイミングを失っていただけだ。
「――だから、彼女がやりたいことは応援すると決めている」
アイスローズは目を見開く。
イーサンはクールに微笑むエドガーを見た。
「……あ、俺」
「イーサン様の一人称は『俺』なんですね、別に心底どうでもいいですけど」
「ジョシュも大概ストレートだったな。というか、急いで帰るんじゃなかったのか」
「わあ、そうでした!! アイスローズ嬢には、後でお見舞いを送りましょう!」
バタバタと去って行く足音たち。
ドアの内側でアイスローズは座り込んでいた。顔に熱を感じる。
(応援されている、私)
アイスローズはエドガーの言葉選びのセンスが好きだ。もらった言葉を思い出すだけで、温かい気持ちになる。
気持ちを抱えたまま、生きていられるだけで幸せだった。はずだけど。いつの間にか、気持ちは大きく育ちすぎて。
『アイスローズは、勇気のある女性だ。いつだって自分の未来は、自分で切り開いて来た人だよ』
(――無理なのに。エドガーにはハッピーエンドを迎えてほしいのに)
(この世界は「王太子探偵という戯れ」で、ヒロインは素敵すぎるエレーナで)
(二人がくっつけば幸せになることは必至で。だから……読者もそうあるべきだと思ってきたのに)
いつか、この気持ちは抑えられなくなる。
アイスローズは予感を無理に、押し込んだ。
2/26 誤字報告ありがとうございます! 助かります。




