49.婚約破棄殺人事件③
ホワイトガーデンの庭にあるプールサイドで、マージョリーはセルゲイと二人きり、無言で対面していた。アイスローズとのやり取りから一時間が経過していた。
そこへ、ドリューが慌てたように走ってやって来る。肩で息をするドリューを見ながら、マージョリーは片眉を上げた。
「あら? 呼び出したのはセルゲイ様だけでしたけど。私の手紙の書き間違いかしら」
「私が勝手にきたんです。私たちは二人で一つですから。それに、マージョリー様がセルゲイ様に何かするんじゃないかって心配で」
セルゲイの横でドリューは胸を張った。
マージョリーは軽く笑う。約束に呼ばれてない者が来るなんてマナー違反も過ぎるが、そんなドリューの自分の気持ちに忠実なところは羨ましくもあった。
セルゲイは口を開いた。
「こんな時間にこんな場所を指定したのは、何が狙いだ」
「セルゲイ様、そんなに睨まなくても。ただ単に、ドラマティックじゃないかなーと思いまして」
「本当に……食えない女だな。婚約破棄の書類にサインするというのは、嘘ではあるまい」
「書類は間違いなく。なんなら、先に書いて持参してまいりましたわ」
出した書類をセルゲイがつかみそうになったところ、ピラリと上にあげる。セルゲイの射殺すような視線にも動じず、マージョリーは続けた。
「引き換えにお願いがあります。『ブーケトス』をしていただきたいんです」
「「ブーケトス?」」
セルゲイとドリューの声が被る。マージョリーは手を合わせて顔に添えながら、ニッコリと笑う。
「はい、タイミング良くドリューさんもいらしたことですし。私だって振られたばかりですけど、いつかは幸せをつかみたいですわ。さすがに、私がお二人の結婚式に呼ばれることはないでしょうから、今ブーケトスをしてもらい、それを受け取りたいんです。ロケーションも完璧! お裾分けだと思ってどうか」
「二人の結婚式」というワードに、セルゲイとドリューは顔を赤らめ、見つめ合う。
(……あからさまね。結局は浮気をしていたわけなのに)
アイスローズは物陰で天を仰いだ。勿論、アイスローズがこんなところに隠れているのには意味がある。
(風も丁度止んだ。頑張ってマージョリー。私も側にいるから)
マージョリーはアイスローズとアイコンタクトすると、持参していた袋からブーケを取り出してドリューに渡した。そのブーケはウェディング用で、花嫁に相応しいホワイトベースのグリーンブーケだ。
「なんて綺麗……」
ドリューが目を輝かせたため、セルゲイも観念したようだ。プールサイドにドリューが立ち、セルゲイがその腰へ手を添える。距離を空けたマージョリーへ、ドリューが意気揚々とブーケを投げた――
「!?」
かと思えば、意外と重量のあるブーケは振り子のように空中でUターンした。ブーケはそのままドリューに当たり、その身体はセルゲイに直撃。驚いたセルゲイはバランスを崩したうえ何かに足元をすくわれて、背面から勢いよく――……夜のプールへ落下した。
(やった! 完璧! ミステリーの神器、「透明な釣り糸」は万能!!)
コント番組のようなシーンに、アイスローズはガッツポーズする。
上空に釣り糸を張り、そこに錘をつけたブーケが振り子になるよう、釣り糸で吊るした。また、プールサイドに沿って高さ20センチくらいの位置にも、釣り糸をピンと張っていたのだ。こちらは足が引っかかるように。
全てはアイスローズがマージョリーへ持ちかけた計画だ。
マージョリーはプールサイドの濡れない位置から覗き込む。
「ぶばっ、助けてくれ! 僕は泳げないんだ!!」
「知っていますが、足が着く深さですわ。落ち着いて、セル……いや、もうセルゲイ様でしたわね」
哀れなほどジタバタしていたセルゲイは、驚いたように目を開き、プール内ですっくと立ちあがった。水深はウエストほどだ。しぶきをまともに浴びたドリューはびしょ濡れで呆然としている。つけまつげが取れ、片方は頬に張り付いていて。ドレスも台無しだ。
「知っていますわ、セルゲイ様のことは。小さな頃からずっと見ていましたから。今更こんなこと言われても気持ち悪いだけでしょうけど」
マージョリーはしゃがみ込み、外した耳飾りをセルゲイの目の前に置いた。
「この13歳の誕生日にいただいたプレゼントも、半年前から迷って選ばれていたこと、知っていました」
「……」
この二人の関係には、この二人にしかわからないものがあるのだろう。10年の歳月で生まれて、変わっていったものは、何か。
セルゲイは目を逸らす。マージョリーはふっと微笑んだ。その横顔を、プール水面の反射が静かに照らして。
「セル、ずっとお慕いしておりました。素直になれないばかりで、ごめんなさい」
マージョリーは婚約破棄の書類をドリューに渡し、踵を返す。
「っ、だ、だってマージョリーは!!」
セルゲイは混乱したように叫んだ。
「いつも僕より何だって出来て……僕は無様に頑張ることしか出来なくて! マージョリーはセンスだって勉強だって完璧で、本当はスレンダーな女が好みだったけど、スタイルくらいしか弄るところなくて!」
「そうしていつからか、いつも僕を冷ややかに見下ろすようになって! それだからっ、僕は!!」
「私、貴方に生徒会選挙で負けましたよ?」
マージョリーは背中を向けたまま言った。
「あんなに努力されていましたものね。乗せられればどこまでも調子に乗って、夢中になれば一つのことしか見えなくなって。……でも、裏ではいつだって期待に応えようと頑張っている貴方は素敵だった」
セルゲイは息を飲んだ。マージョリーの表情は分からない。
「私は今日、入学式で貴方の『在校生代表の挨拶』を舞台下から見上げること、楽しみにしていたんですよ」
「……あ、」
セルゲイの綺麗にセットされていた髪型はすっかり濡れて、しょんぼりと額に垂れ下がっていた。
「さよなら、セルゲイ様。お幸せに」
マージョリーが振り返ることは、なかった。
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(入学して二日目に倒れるなんて、友だち作れないやつ……そしてお母様にまた怒られる)
アイスローズは絶望していた。
昨日、マージョリーと夜遅くまで屋外にいたことがまずかったか。ちなみに、夜ヴァレンタイン邸を一人抜け出していたことはバレていて、母親・アンナマリアからは三ヵ月間お小遣い停止&私財凍結を言い渡されている。必要なお金はいちいち申告し、アンナマリアから貰わないとならない。
今、アイスローズは王城学園の医務室のベッドにいる。寝転がりながら回想する。
――あの夜、マージョリーはビス家の馬車でヴァレンタイン邸まで送ってくれた。かなり長い時間二人とも沈黙していたが、ふいにマージョリーは笑い出す。




