4.アイスローズ・ヴァレンタインの事情
アイスローズが目を覚ましたのは、パーティー翌日の昼だった。ヴァレンタイン公爵家の自室のベッドにいると理解する。朦朧とした意識でゆっくりと上半身を起こす。
ふと、ベッド脇のサイドテーブルに目が行った。そのサイドテーブルには、ガラスで出来た一輪の薔薇が横たえてあり、日が当たるたび、これ以上ないくらい眩く輝いている。
(きれい……! でも私、こんなもの持っていたかしら)
ボンヤリと首を傾げる。
全長12センチ位、薔薇の中心部分が赤いガラス、花びらと葉・茎がクリアガラスで作られており、エレミアン・ガラス特有の緻密なカットが施されている。
これは王太子主催のガーデンパーティーで配られた、薔薇を形どった記念の品である。
「ってこれ」
アイスローズは目を大きく見開く。
頭を殴られたような衝撃を得て、一気に目が覚めた。
このガラスの薔薇、見覚えがあるのだ。「王太子少年の事件日和」最終回【悪役令嬢殺人事件】である。
確かストーリーは――。
王都に「躍る亡霊」なるものを差出人とする怪文書が流れた。内容は「王太子に近づくな、さもなくば呪いがかかる」というもの。タチの悪い悪戯かと思われたが、実際に複数の令嬢たちが怪我をする事件が起きる。
そんな中、エドガーに恋をした悪役令嬢が、本作のヒロイン・エレーナに意地悪をする。見かねたエドガーが悪役令嬢の屋敷を訪れると、悪役令嬢は既に息絶えていた。彼女の横には、砕け散った「ガラスの薔薇」があり……悪役令嬢の死は「躍る亡霊」によるものか、それとも。
艶やかなプラチナシルバーの髪、ワインレッドの猫目が印象的な悪役令嬢の名前は、
「……アイスローズ・ヴァレンタイン!? 私じゃない!! 嘘でしょう!?」
ていうか、躍る亡霊って何!?
だいだい「呪い」を探偵がどうにかできるのか!?
頭がぐるぐると混乱し、もはやパニックだ。
何よりも大問題なのは。
「なんで前世の私は、最終回を読み切る前に転生してしまったの! これでは犯人がわからず、回避の仕方がわからないじゃない!!」
アイスローズは天井に向かって叫んだ……。
それからは、体調を心配する両親たちや主治医を差し置き、夜までのほとんどの時間をかけて【悪役令嬢殺人事件】について、思い出そうとした。
しかし、いくら頭を捻っても先程以上の詳細は、思い浮かばなかった。そもそも、連載一回目の【最初の事件】と最終回である【悪役令嬢殺人事件】以外のストーリーも一向に思い出せないのだ。二つの事件の間には確か、何件かの事件があったはずなのに。
(【最初の事件】の時のように、登場人物に出会ったり、ヒントがあるような状況にならないと思い出せないとか? 【悪役令嬢殺人事件】は自分が登場人物になるし、ガラスの薔薇があったから)
「仮にそうだとしたら……」
焦りながらアイスローズは呟いた。
室内は暖かいはずなのに、アイスローズは身体が冷えていくのを感じた。この予感が当たっていたとわかるのは、もう少し先のことである。
✳︎✳︎✳︎
「いや、そのままで。アイスローズ嬢、気分は大分よろしいのですか?」
「……はい。本日のご訪問、大変ありがとうございます。また、私が倒れた際は自宅まで送っていただき、重ねて御礼申し上げます」
アイスローズは辛うじて「感情を出さない令嬢スマイル」を浮かべながら、ベッドサイドの椅子に座っている王太子に答えた。
(どうしてこうなった……)
アイスローズが目覚めてから二日後、エドガーがヴァレンタイン公爵家にお見舞いに来た。王太子が公爵家とはいえ、さして交流のない一令嬢を個人的に訪ねるなんて、前代未聞である。
アイスローズは主治医の指示により大事をとってベッドから離れられないため、ヴァレンタイン公爵夫妻との挨拶が済んだエドガーにはアイスローズの部屋に来てもらっている。
エドガーのお供は先日いたジョシュと、30代前半と見られる――栗色の髪に青いレンズのモノクルをした背が高い男性、確か名前はジイ・クリード――がいた。彼は「王太子少年の事件日和」のみに登場し、「王太子探偵という戯れ」には出ていないキャラだったような。若いのにジイという名前だから、印象に残っている。彼らの後ろに控えているのは、少数の護衛だけだ。
悪役令嬢という自分の立ち位置を思い出してからは、正直気分は全く良くない。
「もう少しアイスローズ嬢が落ち着いてからにすべきだろうが、どうしても伝えたいことがあって」
そう言いながら立ち上がったエドガーは、マナーの教科書よりも綺麗な礼をした。
「先日はバーサ・グリーンアップルの命を助けてくれてありがとう。アイスローズ嬢がいなければ、あの晩、バーサは殺されていただろう」
室内にいる誰もが目を見張った。
王太子エドガーが、一令嬢に頭を下げるなんて!
「あ、頭を上げてください! エドガー殿下。私はそのようなことをされる立場でないですから」
アイスローズは慌てて答える。
事件を知っていたのは漫画を読んでいたからであるし、エドガー自らが解決できなかったのは作者のせいだから、多分。
「こんなことで伝え切れないが、気持ちとしてアイスローズ嬢の願いを一つ何でも聞こうと思う」
「ええっ、そんな」
エドガーは頭を上げない。
アイスローズにしてみたら、周りの視線も気になるし、あまり固辞するのも失礼になるだろう。エドガーの真剣な瞳から目を逸らし、数分の検討の後にアイスローズは閃いた。
(私、天才では!?)
エドガーに【悪役令嬢殺人事件】のあらすじを説明して、事件の顛末を推理してもらえば良いのでは? 無敵の主人公エドガーだ、漫画内で解決したんでしょうから、できるはず。
アイスローズは息を飲み、前のめりにエドガーと向き合った。両手でシーツを握りしめる。
「信じていただけないかもしれませんが、お聞きいただきたいことがあります」
「うん」
エドガーが促す。
「この世界は、漫画の中でーーうえっ!?」
「! アイスローズ嬢!?」
いきなりベッドに突っ伏したアイスローズにエドガーは驚き、支えるように手を添えた。室内は一転して騒然となる。
(この猛烈な頭痛、ガーデンパーティーのときと同じだ。あの時も、たしか)
アイスローズに脂汗とともに、ある考えが浮かぶ。
(――もしかして、誰かに「王太子少年の事件日和」について話そうとするとこうなるの?)
そこまで考えたところで、アイスローズは意識を手放した。
✳︎✳︎✳︎
「どう思った?」
夕暮れ時、王城への帰りの馬車でエドガーはジイに話しかけた。外は小雨だ。落ち着いた装飾がされた静かな車内に、ピリッとした緊張感が漂う。
「ただの貴族令嬢ですね。とてもではありませが、ティアラ・カーライル盗難事件に関与しているとは思えませんでした。実際、公安貴族(私)の調査でも、ヴァレンタイン公爵家の人間が、以前にカーライルやグリーンアップルの領地に入った形跡はありません」
「私もそう思う。ヴァレンタイン家に少しでも黒い点があれば、速やかに王城に連絡できるよう伝書鳩遣いのジイを連れてきたが、やはり先日のは、アイスローズ自身の発想だった……?」
エドガーは首を傾げた。
ジョシュは我慢できず口を挟む。
「なんでも願いを聞くだなんて! 無茶を言われたらどうするつもりだったんですか」
「自国の令嬢が王太子に望むことなんてせいぜい貴金属か領地か、婚約くらいだろう」
「殿下は婚約を望まれたら応じたんですか? 王子だけに?」
「なんでダジャレ。いずれにしてもあのご令嬢には絶対何かある。しかも、それを何故か口外できないようだ。そこまでわかれば」
「わかれば、何ですか?」
エドガーは車窓に優雅に肘をかけ、それは綺麗に微笑んだ。
「探りたくなるよね」
彼の目は全く笑っていない。
ジョシュはジイと思わず顔を見合わせる。ジョシュはこんなに楽しそうなエドガーは初めて見たと思った。