48.婚約破棄殺人事件②
エドガーは学生カバンから花束を取り出し、アイスローズに差し出した。いつから花束が学生カバンに入っていたのか謎すぎるが、少したりとも花はしなびていない。
渡された花束は、片手に抱えられるほどのサイズで、ピンクや薄オレンジ色のパステルカラーの花々・散りばめられたグリーンの葉が繊細で瑞々しく、それはもうアイスローズの好みど真ん中だった。可憐な作りをしていて、明らかに入学式の贈呈用とは別物に見える。
「でも、どうして」
花束を見つめながら聞く。
いくらエドガーが無敵の主人公でも、今日この会話の流れを予期して仕込んでいたとは思えない。
「誕生日おめでとう、アイスローズ」
アイスローズは勢いよく顔を上げた。エドガーは青緑色の瞳でアイスローズを捉え、ふわっと顔を緩ませる。
「こんな平穏な日がいつまでも続けばいいな」
「アイスローズの16歳が、幸せいっぱいでありますように」
「あ、ありがとうございます! エドガー様!!」
思いもしなかった。
何なら、数ヶ月前までは【悪役令嬢殺人事件】の先の、今日の誕生日を過ごすことも夢のまた夢で。それもエドガーのおかげで実現して、さらに大好きな人直々に祝ってもらえるなんて。
(これは本当に……、嬉しい……)
運命なんて、別に信じていないけど、仮にもあったのだとしたら――「王太子探偵という戯れ」の記憶がある自分の運命に、感謝したい。
エドガーが大切にしている「平穏な日々」と「国民の幸せ」を守ること。それが微力ながら出来るのが、アイスローズなのだから。
誕生日プレゼントはもう一つあり、そちらはさすがにかさばるからヴァレンタイン家に送付したと言う。エドガーは「気に入ればいいんだが」と言っていたが、エドガーが選んでくれたものならなんだって嬉しい。
アイスローズは幸せな気持ちを噛みしめるよう、花束をそっと抱きしめた。
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その日の夜。
昼間から一転し、辺りには生ぬるい風が吹いている。チラチラとランタンが灯るホワイトガーデンの庭には、人影があった。その人は何やら銀色に光るものを石垣の隙間に埋めていて。
アイスローズは背後からゆっくりと話しかけた。
「そんなことをしたら……危ないですよ」
びくりと動いたその人……――マージョリー・ビスは振り返った。彼女の手元では鋭利なナイフが刃を手前にして、壁面に刺さっている。直ぐに目を細めたマージョリーにアイスローズは努めて明るく言った。
「そういうのじゃなくて、一緒に『ざまあ』、しませんか?」
アイスローズが思い出した【婚約破棄殺人事件】のストーリーとは。
子爵令嬢マージョリー・ビスは、子爵子息セルゲイ・カーファックスに入学式で婚約破棄をされた。セルゲイは、新入生ドリュー・オスポタミアと良い仲にあった。
しかし、マージョリーは婚約破棄宣言を軽くあしらい、大勢の前でセルゲイに恥をかかせる。腹を立てたセルゲイは「ホワイトガーデン」という結婚式場で、呼び出したマージョリーを刺す、というものだ。
だけど、漫画でエドガーが暴いた真相は違う。マージョリーを殺したのは「マージョリー本人」だった。
彼女はナイフを突き立てた壁に自ら向かい、その胸に刃を刺した。結果、その後現場に呼び出されており、マージョリーからナイフを引き抜こうとしたセルゲイに殺人容疑がかかったのだ。
しかし、マージョリーの自室には遺書が残されていて(漫画では、予定外の風のせいでベッドの下へ入り込み、発見が遅れた)、マージョリーはセルゲイを犯人に仕立て上げ、絞首刑にすることが目的だったわけじゃない。貴族同士の婚約とはいえ、マージョリーの家はこの婚約破棄によって不利益を得ない立場だった。
マージョリーはそうまでして、セルゲイに「自分の記憶」を残したかった。
彼女をそこまで追い詰めた、理由は。
「マージョリー様は……セルゲイ様に想いがあるのではないですか?」
アイスローズのセリフに、マージョリーはゆっくりと瞬きをした。風に乱れた髪を耳にかけながら、凛とした目線をこちらへ寄越す。
「……何を言うの、アイスローズ嬢。昼間そんなのじゃないって言ったじゃない」
「では、何故――……婚約破棄された今も、その耳飾りをされているのですか?」
「!」
マージョリーが手をやった金細工の耳飾りは、セルゲイからの最初で最後の贈り物だった。ダメ押しにと、アイスローズは鞄から出した二冊のノートをかざす。
「しかも、マージョリー様はテストのたび、セルゲイ様用のノートをわざわざ用意してましたよね? 分かりやすく解説を添えて作り直してまで。あたかも自分用のノートを渡すフリをしながら」
「っ、なんで、アイスローズ嬢がそれを持って!?」
マージョリーの好きなノートのブランドは、漫画で知っていた。
(センスの良いマージョリーの持ち物はおしゃれなデザインが多く、印象に残っていたから)
アイスローズが手にしている二冊はマージョリーのものではなく「新品二冊」。中身はただの白紙だ。冷静になったマージョリーも、カマをかけられたことに気付いたのだろう、いきなり肩から力を抜いた。
マージョリーの長年の想いに赤の他人のアイスローズが踏み込むこと。これにはさすがに抵抗があった。かといって、何もせずにはいられない。代わりにせめて、他の誰にも……心から信頼しているエドガーにも、マージョリーの気持ちは漏らせなかった。
「あーあ、誰にもバレていないと思ったんだけどな。アイスローズ嬢には最初からお見通しだったのね」
頭の上で手を組み、伸びをするマージョリー。
「入学式ではありがとうね。私が泣きそうになったからでしょう? 気づいて庇ってくれたのを分かっていたわ」
アイスローズは大したことないと首を振る。
「昼間セルゲイに色々言われたけど、今思えばあの場でもっと言い返してやればよかった。ものすごく後悔してる」
マージョリーは自虐的に笑った。
「隠してばかりで伝えなかったから? 一度だって伝えようとしなかったから、こんなにこじらせちゃったのかしら、私」
「マージョリー様」
「そうよ。私はどうしようもなく頭が硬くって、なんなら身体も男みたいに硬くって」
「だからっ! っ、硬いから――」
「マージョリー様!」
アイスローズが「無理して口にしなくて良い」と手を伸ばす前に。
マージョリーは顔をぐしゃりと歪め、両手で覆った。
「あんなに邪険にされても、貴方への気持ちも硬くこびりついて――……捨てられなかったのよって!!」
彼女は震えながらしゃがみ込み、おそらく数年ぶりとなる……涙を流した。




