47.婚約破棄殺人事件
どさくさに紛れ、アイスローズはマージョリーを舞台裏に連れ込んでいた。ここならしばらく誰もこないはず。アイスローズが手を離すと、マージョリーは微笑んで言った。
「せっかくの晴れの日に、恥ずかしいところ見せてごめんなさいね」
「あ、いえ……申し訳ありません。何も出来なくて」
「入学式で婚約破棄されるなんて、いい経験になったわ。一生『すべらない話』に使えるんじゃない?」
マージョリーはクスクスと笑う。愉快そうに輝く瞳にキリリとした眉がよく似合っている。
「貴女は令嬢中の令嬢と名高いアイスローズ嬢よね。みっともないついでに教えるわ。実は私、セルゲイに振られるってわかっていたのよ」
「え、」
アイスローズは目を見開いた。
「今年二人とも18歳だから、もう婚約して10年かしら。親同士が勝手に決めたのだけど、肝心の私たちは喧嘩ばかり。セルゲイが私を好きだったことなんて一度もないし、私もそうよ」
マージョリーは肩をすくめた。それから目を伏せながら言う。
「それでも、いつの間にか情みたいなものができたのね。セルゲイがドリューと良い仲になっていたのを知っていたのに、私からさよならは言えなかった」
「マージョリー様……」
「セルゲイとドリューが『ホワイトガーデン』で、婚約式を計画していることも知ってる。気が早いわよね、笑っちゃう」
ホワイトガーデンとは、最近新しく出来た王都の結婚式場である。
「またね、アイスローズ嬢。こんな話誰にも言えなくて、聞いてくれて嬉しかった。あと、入学おめでとう♡ これからよろしくね」
言うなりマージョリーは小さくピースサインし、「まだ仕事があるから」とパタパタ駆けて行った。彼女は王城学園の生徒会副会長でもある。
(……軽快で聡明そうな人)
だけど、アイスローズは知っている。
この「またね」が実現することがないことを。「これから」なんてないことを。
はっきりと蘇ってくる記憶が、アイスローズの脳裏を埋める。
(マージョリーはホワイトガーデンで起きる【婚約破棄殺人事件】回で殺される。婚約破棄を軽くあしらわれたことに腹を立てた……セルゲイに。だけど、それは)
思わず、両手で顔を覆う。
「ああもう、なんで!? 漫画の世界は終わったと思っていたのに! ほんっとうに、信じらんないっ!!」
アイスローズは一人、悪態をついた。
✳︎✳︎✳︎
それでも、入学式やクラスでの説明やらが終わり下校時刻になる頃には、アイスローズは落ち着きを取り戻していた。
(なんで洋風世界が舞台の漫画なのに、学校のルールは日本式なのか……)
ぼやきながら、昇降口で「上履き」から革靴へ履き替える。王城学園はいわゆる高等学校に値し、敷地内には大学が付属している。外観は荘厳で石作りの四角いお城のようでもあった。エレミア王国建国250年を記念する時計塔も建設中だ。学園の裏側は小高い丘になっていた。
(いずれにせよ、マージョリーを殺させはしない。こんな事件、誰も幸せにならないもの。エドガーだってそんな展開望まない。でも時間がないわ、どうする、)
「アイスローズ」
「ひゃお!?」
いきなり背後から話しかけられ、アイスローズは飛び上がる。振り向けば、少し目を見開いたエドガーがいた。
「すまない、何か考え事をしていたのはわかっていたんだが、そんなに驚くとは」
「いえ、大変失礼いたしました。どうかお気になさらずに」
アイスローズは慌ててお辞儀をし、完璧な令嬢スマイルで取り繕う。エドガーも紳士の情けか、それ以上突っ込まなかった。
「入学式に来ていたヴァレンタイン公爵たちは、先に帰ったのか」
「はい、私が友だちと一緒に帰られるようにと気を利かせてくれて。エドガー様は、エレーナさんやヴィダル様と一緒ではなかったのですか?」
「エレーナは運動部からの勧誘で囲まれていたから、彼女が希望する園芸部へ連れて行った。ヴィダルは今馬車のところでジョシュといるんじゃないかな」
エドガーの従者ジョシュはヴィダルのお兄さんだ。王城学園入試時からハラハラ見守っていたから、感慨もひとしおに違いない。
「しかし、クラスが別になったのは予想外だな」
「! ですよね?」
アイスローズはここぞとばかり賛同した。
そう、エドガーとエレーナとヴィダルは同じクラスなのに、アイスローズだけが別クラスだったのだ。今年はかつてないほど優秀な生徒が多く、王城学園設立以来初の特別クラスが二つとなったらしい。
「そう全ては上手くいかないものですね。私、エドガー様と同じクラスになれるよう毎晩祈っていたんです……よ?」
発言の途中で固まるアイスローズ。
何故なら、エドガーが顔を赤くして口元を手で覆っていたから。
(あ、あれ? おかしなことは言っていないわよね? 友だちならギリギリあり得るわよね??)
アイスローズはエドガーを恋愛的な意味で大好きだ。だけど、エドガーには「王太子少年の事件日和」「王太子探偵という戯れ」の絶対的ヒロイン、エレーナ・シライシがいる。勿論、気持ちを伝える気なんてない。王城学園の合格発表時、だったらせめて良き友だちでいようと誓ったのに。
(まずいわ、困らせた)
「あ、あのエドガー様、深い意味はなくてですね」
条件反射か、自分も赤くなりながらフォローする。そんなアイスローズの気持ちを知ってか知らずか、エドガーは話を変えた。
「今日は天気がよい。少し歩いていこうか」
「構いませんが……馬車というか、ジョシュ様たちはどうされます?」
「適当に付いてくるさ」
通学路は川沿いにあり対岸をよく見渡せた。河川敷には一面、白詰草の丸く白い花が広がる。ピクニックやフットボールの練習している人たちもいた。
春の日差しが柔らかく、風が通り抜ける度気分が良くなる。鳥の囀りも心地よい。
(好きな人と二人で下校とか……なんか青春っぽい!)
アイスローズはいつになくテンション高く浮かれてしまう。実際はヴァレンタイン家の使用人とエドガーの護衛たちも近くいるはずだから、我ながら頭がお花畑だと思う。
しかし、エドガーと二人こうして帰れるのもきっと今日だけだ。少しばかり、はしゃいでも許されるはず。制服を着ているとなんだか「公爵令嬢」ではなく「学生」アイスローズでいられる気がした。
アイスローズは水辺まで近づいて、平たい石を投げた。石は2回、3回と水面を跳ねて、ちゃぽんと沈む。水切りをするなんて、何年ぶりだろう。
「勝負しませんか?」と茶目っ気たっぷりにエドガーを振り返る。エドガーは少し目を見張っていたが、直ぐに「のった」と口角をあげた。
エドガーが投げた石は、キラキラした水面を蹴って――まさかの15回も跳ねた。途中、あまりに沈まないから、エドガーと息ができないほど笑ってしまったほどだ。
(……何てことない河原なのに。多分、一生忘れないんだろうな)
ようやく呼吸が落ち着いてきた頃、アイスローズは重要なことを思い出した。
「そういえば、入学式でマージョリー様から花束を受け取ることをすっかり忘れていました。私は新入生代表でしたのに」
セルゲイに流れを持っていかれたが、アイスローズが壇上にいたのはそのためである。
「そういえばそうだったな。ちなみに花束なら、今ある」
「そうなんですね……って、え??」




