46.エピローグのその先に
「僕はここにいる新入生、ドリューのおかげで真の愛を知った! よって本日貴様、マージョリー嬢には婚約破棄してもらう!」
(あ、本当にやるんだ……!)
アイスローズ・ヴァレンタインは息をのんだ。
ここは王城学園の大講堂。今は入学式の真っ最中である。アイスローズはエンジ色のハイウエストのスカートに、丈が短いボレロ風ジャケット・青いリボンの制服を着ていた。
(卒業パーティーで婚約破棄はよくある話。でも入学式では無理があるから……さすがにないと思っていたけど、甘かった。結局現実になってしまった)
それは、恐ろしいことにこの世界が――推理漫画「王太子探偵という戯れ」の世界であることを意味している。アイスローズが思い出しかけているのは、連載第一回を飾る【婚約破棄殺人事件】だ。
プラチナシルバーの髪に紅い瞳を有するアイスローズ・ヴァレンタインは、転生者だ。約一年前の15歳の春、自分がかつて読んでいた推理漫画「王太子少年の事件日和」の世界にいると気付いた。それから「無敵の主人公」である、王太子エドガー・エレメージェバイトとともに幾つかの事件に遭遇し、被害者を救おうと走り回った。アイスローズ自身も、同漫画の最終回【悪役令嬢殺人事件】で殺される被害者であったが、エドガーによって救われている。
(せっかく「王太子少年の事件日和」が終わったと思ったのに、続編「王太子探偵という戯れ」に突入するなんて……!!)
【婚約破棄殺人事件】回について、今は冒頭シーンだけを思い出していた。しかし、これから確実に起きるであろう事件を思えば、血の気が引いていく。出来るものなら今すぐ寝込みたいと思うアイスローズを、ハッキリとした声が繋ぎ止めた。
「セルゲイ様、今は私の『在校生代表の挨拶』の時間です。後でいくらでもお相手しますから、横槍を入れないでくださる?」
マージョリーと指差された、壇上の濃茶髪の女子生徒は、新入生の列に紛れている男子生徒・セルゲイを冷ややかに見下ろした。このロン毛ウルフヘアをしているセルゲイが、婚約破棄発言の主である。
ちなみに、アイスローズには新入生代表として校章と花束を受け取る役目があり、壇上でマージョリーの脇にいて、ちょっとかなり気まずい。
「さすがはマージョリーだな、婚約破棄を告げられてなお、代表挨拶の方が重要か」
セルゲイは鼻で笑い、隣にいる女子新入生……ドリューだろう、の肩を抱いた。ドリューは微笑んで優越感を隠そうとしない。マージョリーはやれやれと首を振りながら、ため息をついた。
「恥ずかしいですわ、セルゲイ様。いくらなんでも貴方がこの場でこんなことをするほど、お馬鹿さんとは思いませんでした」
「な、馬鹿とは何だ! 本当に……可愛げのない女だなっ」
「ああ、セルゲイ様は毎回テストの山場を半泣きで私に聞きにくるほど、『お可愛らしい』方でしたわね」
「それを今言うか! 口止めしていただろうっ!!」
慌てたセルゲイが大声を出す。
会場にいる人々はテニスの試合を見ているかのように、マージョリーとセルゲイによる言葉のキャッチボールを目で追いかける。マージョリーが隙なくどんどん返答するから、誰も口を挟めない。
「ほんっとうに――……頭が硬い女だな!! 少しはドリューを見習え! だから貴様は、身体も女のくせに板のようで、男みたいに硬いんだよ!」
「っ、」
(な、酷い!)
セルゲイのヤケ台詞に、マージョリーの耳飾りが小さく揺れた。彼女も長年令嬢教育を受けてきた人だろうから、感情を容易に見せたりはしたりしない。しかし、彼女の美しいエメラルドの瞳が歪み、小さくひくっと喉を鳴らす。側にいるアイスローズにしかわからないほどわずかに。
(っ、まずいわ!!)
誇り高いマージョリーにとって涙を大勢に見られるなんてかなりの屈辱だろう。バッ、とアイスローズがマージョリーを舞台下の視線から隠すよう立ちはだかった時。
「せんせい!」
よく通る声が響いた。
金色の少しだけ癖がある天然無造作ヘアに、青緑色の瞳。ホール全員の視線が、舞台袖から壇上に現れたエドガーに吸い込まれた。
今日も今日とて一切の無駄がない容姿の王太子エドガーに、抑えたような歓声があがる。学園には様々な立場の者がおり、彼を今日初めて見た生徒もいるのだ。キラキラしいエドガーもまた、黒いズボン・紺のジャケットに水色の縞柄ネクタイと王城学園の制服を着ていた。
「次は『新入生代表の宣誓』でしたよね。かなり時間が押しているようなので、はじめてよいですか?」
エドガーは内ポケットからこれから読み上げるであろう原稿を出しつつ、淡々と言った。
「あ、ああ! ……」
話しかけられ、固まっていた教職員たちは弾かれたように動き出す。急ぎセルゲイをホールから連れ出そうと向かう。
エドガーの最初の発言「せんせい!」は「先生」を意味したのか、あるいは「宣誓」だったのか。アイスローズが考えていると、セルゲイは粘った。
「ま、待て、まだ僕の話は終わっていないぞ!」
「そもそも、何故貴方が在校生代表じゃないんです? 生徒会長はあなただと聞いていましたが」
エドガーは切り返した。珍しくわかりやすくイラついている。マージョリーへのセクハラ発言は、エドガーの目にも余っていたようだ。とはいえ、セルゲイが一応先輩だからか敬語は崩さない。
王城学園は自由を重んじる校風で、王族相手のタメ語も許されている。貴族やそれ以外も形式上対等でいられるからこそ、学外では考えられない特別な時間を過ごせる。それもまた王城学園の魅力なのだ。目に余る無礼が卒業後にどう影響するかは、また別の話。
「ふん、そんな誰にでも簡単にできる仕事、僕がするまでもないからだ。僕には婚約破棄という独創性のある特別な、用事があったからな」
「『誰にでもできる簡単な仕事』すら人に押し付けるやつの、勝手にやった独創的な見せ物など鑑賞に値しませんね」
バッサリと切るエドガーの発言にホールから笑い声が上がった。
(エドガー、つ、強い……!)
真っ赤になったセルゲイは何やら喚きながらも、教職員に引き摺られていく。取り残されそうになったドリューが慌てて追いかけていくのだった……。




