43.王太子少年の推理ミス
エドガーは着地し、窓を一瞥した。それから、ガラス瓶の蓋を片手で開ける。液体の匂いから、中身が解毒剤で間違いないと判断した。
ソファーでぐったりしているアイスローズの唇に薬瓶を当てる。しかし、アイスローズには飲む力は残っていない。ただ、エドガーの頬に流れる血を拭いたいとぼんやり思う。
「アイスローズ、飲むんだ」
「……」
エドガーはアイスローズを見下ろしながら言った。
「君が私の『心』を守ったんだとしたら、私はアイスローズの『心』を守りたかった」
(どこかで覚えがあるセリフ……)
「結果はこのざまだ。苦しい思いをさせて申し訳ない」
エドガーは一瞬泣きそうな声をした。
「……だけど、それでも、もし許されるなら……」
「アイスローズは私の、『考え』の真ん中にいるんだ」
アイスローズに最後の言葉まで聞こえていただろうか。ドアの外には、おそらく護衛たちか……こちらへ走ってくる足音が響く。
(きっとここは、王城の中でもあまり使われていない部屋だったのね。連れられて来た時は、そこまで気が回らなかったけど……)
まもなく、アイスローズは意識を失った。
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アイスローズが目覚めたのはそれから半日後、今年最初の雪が降った日だった。
気づいた時には、【クレオとパトラ事件】以来の王城病院のベッドにいた。
(私、生きている……?)
アイスローズは信じられない気持ちで、上半身を起こし、手を握ったり開いたりして動かした。息を吸ったり吐いたりする。ありがちに頬をつねるが痛い。
「っ夢じゃない――!!」
アイスローズは人知れず、バンザイポーズで涙する。
(良かった、本当に良かった……!!)
病院に呼ばれていたヴァレンタイン公爵やアンナマリアに面会すれば、さらに気持ちは落ち着いた。
次いで、ジョシュがお見舞いに来てくれる。彼から聞くところ、現在エドガーは【悪役令嬢殺人事件】の事後報告をしているから、後から来ると。また、アイスローズが眠っている間、エドガーはエレーナにこっぴどく怒られたらしい。
「な、なんだってそんなことに」
「アイスローズ嬢を危険な目に遭わせたからとのことです。ちなみに、エレーナちゃんは手首を痛めていましたが、運が良いことに関節が上手くはまり、全治数日くらいです」
「本当!? 良かったです! それなら王城学園の受験にも間に合うわ!」
アイスローズは心の底から胸を撫で下ろす。遅れるかもしれないエレーナの受験勉強は、自分の分を差し置いても、最後まで面倒を見ようと固く誓う。
公安貴族ジイ・クリードの行方は分かっていないと。彼は職務柄、王城の抜け道を把握しており、窓から飛び降りた後、警備の穴をすり抜けていった。しかし、残された彼の血液はかなりの量で、騎士や公安貴族総出で捜索した結果、伝書鳩が船見パークにぽつんといるのが見つかり、血痕はその周辺の海で途切れていたという。
クリスティーナについては、この事件によって彼女が少したりとも不利益を受けぬよう、王城側が対応するらしい。
(そう……)
「でも結局、なんで私は助かったのでしょう? あの時、解毒剤を飲めなかったように記憶しています」
何なら、エドガーとジイのやり取りは「アデレードとの過去話」まではしっかり記憶にあるが、それ以降はイマイチ断片的なものになっている。
「そうだったんですか。それなら、エドガー殿下がキスして飲ませたとか?」
「えええ!?」
ジョシュの爆弾発言に固まるアイスローズ。
ジョシュは何てことないように淡々と言う。
「アイスローズ嬢が気を失っていて、エドガー殿下が解毒剤を飲ませるんですよね? エドガー殿下は以前、人助けのためならそのようなことも辞さないと言っていましたから」
「まさか、そんな!?」
「適当なことを言うな、ジョシュ」
聞き慣れた声に振り返ると、ドアにもたれかかる噂の主が目に入った。
「エドガー様!」
「エドガー殿下!」
ノックをしたが聞こえなかったようで、とエドガーは室内に入る。
「じゃあ、どうしたんですか?」
動揺しているアイスローズを差し置いて、ジョシュが素朴な疑問を投げかける。
「意識がない人間に無理やり液体を飲ませ、気管に入ったら大変なことになるだろう。アイスローズの意識がギリギリのところで、瓶から口に流し込んだだけだ」
呆れたようにエドガーが言う。
言われてみればそうですね、と納得するジョシュ。真っ赤になっているアイスローズは恥ずかしさのあまり、話題を変えるしかない。
「エドガー様は、いつからジイ・クリードを疑っていたんですか?」
「疑惑自体は、アイスローズがあの修道院に出向いたころかな」
「あ、あの時に。何故」
「実は、私の諸国外遊前にアイスローズとパトラが王城病院に入院していた時、パトラに依頼をしていたんだ。アイスローズが予期しない動きをしたら敢えて止めず、私に知らせてほしいと」
「パトラが私のスパイを!?」
(しかも、そんなに前から!)
考えもしなかった事実に、アイスローズは仰天した。【容疑者・王太子少年の再考】以前からということになる。
「アイスローズをこれ以上、危険な目に遭わせたくないとお願いした。彼女は、最近君が『ご令嬢が被害に遭った事件』に注目していて、クリスティーナに関わる新聞広告を出したことを知らせてくれたよ」
確かに、アイスローズはあの新聞広告を出すようパトラに頼んだが、理由を聞かれなかった。修道院に出向くときも、今から思えば、不自然なほどのノーリアクションだった。
「それから、二人が修道院のクリスティーナ・ロイドに会いに行ったと聞き、ジイにクリスティーナの調査をさせた」
「それがどうして、彼を疑うことに繋がるんですか?」
「クリスティーナのカメオだ。修道女見習いが珍しくアクセサリーをつけていたら、君が感じたように、印象に残って当然だ。そんなもの、優秀な公安貴族であるジイが見逃すはずがない。しかし、彼からの報告には、クリスティーナのカメオについての言及が一切なかった。意図的に何かを伏せていると思った」
「そんなことが……」
「ジイには内密に、オリバーからクリスティーナのカメオについて報告を得た。アデレードの肖像は没落貴族として、元々私の記憶にあったから、カメオが彼女とわかってからは早かった。クリスティーナが運河に落ちた時、迅速に救助されたのはオリバーが裏についていたからだ。まあ、結果的に運河のその部分は浅く、ジイはあらかじめクリスティーナが大事に至らないよう計画したんだろうけど」
「なるほど」
アイスローズは感嘆する。
「アイスローズに剣を当てたことは、本当にすまなかった。あの時ジイが扉の外にいた。メアリ嬢に続きモード嬢が狙われ、ジイが『踊る亡霊』かの確証もなく、動機が分からなかったから。少なくともクリスティーナを除けば、私に身分が釣り合う、あるいは親しい令嬢が狙われると推測した。君を遠ざけたつもりだったんだ。二度としないと誓う」
アイスローズは気にしていないと首を振った。
「倒れていたエレーナさんを見つけて直ぐ、エドガー殿下が意識を失っている間、アイスローズ嬢がいなくなった時は、大変でしたよ」
ジョシュが口を開く。
「お気づきになった殿下が、みんなを差し置いて走り出すから……あんなに取り乱したエドガー殿下は初めて見ました」
エドガーはきまり悪そうに眉根を寄せた。
「アイスローズが『書いていたから』急ぐ必要があった」
エドガーはジャケットの内ポケットから一枚の紙を差し出した。
ジョシュが「え、これ私見ていいやつですか」と戸惑っていると、エドガーはアイスローズに向き直り、さらりと言った。
「君は『私は、殺されます』と書いた」
アイスローズは目を見張った。
そう、エドガーに剣を突きつけられたとき、アイスローズはエドガーに見せた。
「私は、愛しています」と書いたノートの切れ端を。それはつまり――エドモンドとオーガスト陛下が作ったラブレター暗号では、「私は、殺されます」という意味になる文章を。
ここまできて、「王太子少年の事件日和」について、紙に書いて人に伝えられるかもわからなかった。【悪役令嬢殺人事件】中に、意識を失うわけにはいかない。それに万が一、得体の知れなかった『踊る亡霊』なるものに見られても大丈夫なように。




