40.悪役令嬢殺人事件②
いきなり核心をついて来たエドガーに、アイスローズは返す言葉に詰まった。エドガーは前傾姿勢になり、肘を膝につく。彼の視線はブレなかった。
「質問を変えよう。この事件について気になることがあれば、些細なことでも言って欲しい」
「……」
「私は今度こそ、何をしてでも、君を助けるつもりでいる」
アイスローズには「王太子少年の事件日和」や「王太子探偵という戯れ」の存在について、誰にも言えないシバリがあった。
それに気づき、出会った頃はエドガーを「王都の死神」として、避けようとすらしていた。
(それから、いろんな事件を一緒に過ごして、いろんなエドガーを知った。エドガーは、私の大切な人で、大好きな人で)
――無敵の主人公で。
アイスローズは、息を飲んだ。いつだったかの、エドガーの言葉を思い出す。
『私は王太子として国民を守らなければいけない立場にいる。もちろん国民に君も含まれる。だから』
『あまり心配させることはするな』
(本当は、私が、誰よりも頼りにしたかった人)
「私、エドガー様に――」
アイスローズはドレスのポケットから、朝入れたノートの切れ端を取り出そうとした。
しかし、気がつけば目の前にいたはずのエドガーは席から消えている。
彼はアイスローズの背後に立っており、エドガーの手元で光る剥き出しの剣が、アイスローズの首筋に当てられていた。
✳︎✳︎✳︎
「……!?」
エドガーが今どんな表情をしているか、アイスローズには見えない。首筋にピッタリとあたる、エドガーの愛剣が冷たい。エドガーはそのまま続ける。
「繰り返す。今回の踊る亡霊について、知っていることを言え」
エドガーはアイスローズが今まで、聞いたことがない冷たい声を出した。
(っ、なんで――?)
エドガーに、敵視されている。
頭で状況は理解したが、今世で初めての事態に気持ちが追いつかない。堪えきれず、アイスローズの身体は大きくビクリと震えた。
「……クリスティーナさんとは、面識があるんです。彼女はとても良い人でした」
なんとか出した声は、自分のものとは思えないほど掠れていた。
「ただ、『踊る亡霊』について、私は何も知りません」
アイスローズはポケットの中で握りしめていたノートの切れ端をテーブルに載せた。アイスローズの頭越しに読んだであろうエドガーの、息を呑んだ音がした。
そこには、こう書いていた。
『私は、愛しています』
「これは……」
エドガーが何かを言おうとした瞬間、窓辺にサッと大きな影がよぎる。
「!?」
「きゃあっ!?」
「何事です!?」
アイスローズの悲鳴により、離れた場所で眠っていたヴィダルが飛び起きる。
エドガーはバルコニーに飛び出し、アイスローズも続いて外に出て周囲を見渡す。
「鳥にしてはもう少し、大きな塊だった」
「でも、ここは4階です。も、もしかして」
エドガーはアイスローズの言いたいことが分かったのだろう。エドガーは剣を鞘にしまいながら、アイスローズを室内に戻す。そのままこの部屋にいるように言うが、アイスローズは居ても立っても居られず、食ってかかるように叫んだ。
「見に行きましょう!!」
(「踊る亡霊」……!? まさか、ありえない、そんな!?)
螺旋階段を駆け降りアイスローズとエドガーが中庭にたどり着いた時、後から来たヴィダルも追いついた。
三人でさっきまでいた部屋を外から見上げる。アイスローズが見る限り、外観に怪しい点はない。また、エドガーの部屋はバルコニー含め、外側から簡単に近づけるような構造ではない。王太子の部屋だから当然だ。
「エドガー殿下、何だったんでしょうか? 私はほんの一瞬しか見ませんでしたが、あれは人ではないように……」
アイスローズの背後で、息を切らしたヴィダルが話しかける。エドガーは口に手を当てながら、動かない。が、はっと顔を上げた。
「エレーナは?」
中庭と室内をつなぐ出入り口を見ると、エドガーの部屋についていた護衛たちも、こちらに集まってくるのが見えた。
「エレーナは今、一人だ」
「!」
エドガーは弾かれたように、さっきまでいた自室目指して走り出した。アイスローズには護衛と一緒にいるよう、叫んでから。周囲のものたちは訳がわからず、混乱している。
アイスローズも状況についていけない。
(――いったい、何が起きている?)
エドガーを護衛たちと必死に追いかける。走りながら、考える。
ふいにアイスローズの視界の端に、噴水が目に入った。噴水脇の地面で何かがキラリと反射した。アイスローズが目を凝らすと、見覚えのあるネックレスが転がっている。
(あ、あれは――)
「エドガーっ!!」
アイスローズはこれ以上出ないくらい声を出した。呼び捨てなど気にしてられない。
落ちていたのは、エレーナのクローバー型のネックレスだった。クローバーのガラス部分は無傷だが、金色の細い鎖が切れている。
「何故、こんなところに」
エドガーとアイスローズが付近を見渡すと、曲がり角の先の床に、広がる黒髪が見えた。
「「エレーナ!!」」
エレーナは、廊下の端で倒れていた。足が地面に生えたように動けないアイスローズに代わり、エドガーが膝をついて彼女を抱え起こす。口に手を当て確かめると、エレーナは息をしていた。アイスローズは乱れた呼吸の中、胸を撫で下ろす。
エドガーが頬を軽く叩くと、やがてエレーナはぼんやりと目を開いた。
「エドガー殿下…」
「エレーナ、大丈夫か。誰にやられた」
「申し訳ありません、目覚めたら部屋に誰もおらず、降りてきたのですが……怪しい影が見えたような気がして、今話題の『踊る亡霊』かと近づいたら一撃でやられました。正確な姿形は分かりません」
エレーナはアイスローズを視界に捉えると、苦しそうに笑った。
「アイスローズ様に何かあったらと思うと捕まえねばと……お守りするといいながら、不甲斐ありません」
「こんな時にまで、私を気遣わなくて――」
(私が、未来を変えた)
アイスローズは心臓を掴まれた思いがした。
ヒロインであるエレーナは怪我をしない。なぜなら、エドガーがいつも側にいるから。しかし、今回そのエドガーはアイスローズの隣にいた。そもそも、エレーナをこの場に呼んだのは、自分だ。
人の運命は、些細なことで左右されると知っていたのに。
「あ、……」
(私が自分のことばかり考えていたから、エレーナが巻き込まれた)
――それは、アイスローズが「悪役令嬢」だから? アイスローズが漫画通りエドガーを好きになったからだろうか。
ジョシュとジイもいつの間にか、駆けつけている。エドガーはジョシュにエレーナを渡し、王城病院へ運ぶよう依頼した。
「エドガー殿下!?」
ジョシュのつん裂くような声がしたかと思えば、エドガーが膝をつくように倒れ込んでいた。護衛に支えられたものの、額には汗が浮かび、歯を悔いしばって顔色が白い。
この場は騒然となった。
当然だ、エレーナがあんなことになったから、エドガーも平常心ではいられないだろう。
しかし、アイスローズは手を差し伸べる立場ではない。
「アイスローズ嬢、大丈夫ですか。貴女も少し、休まれた方が」
ジイがアイスローズの表情に気づき、慌てて声をかけてくれた。
アイスローズは今すぐにでも、しゃがみ込みたかった。たいして寒くもないのに、身体が震える。反して、手のひらは汗でベトベトとしていた。
情けなく、ひどく惨めだった。
✳︎✳︎✳︎
「お戻りになりましたら、何か温かい飲み物でも手配して置きます」
気分が悪くなったアイスローズは、ジイに連れられ、空いている部屋のお手洗いに行かせてもらった。お手洗いとはいえ、さすがは王城、個室が複数あり洗面台も広くガラスの飾りで装飾された鏡もあった。
個室内でしばらく座り込んでいたが、あまり時間が経てばジイが心配するだろう。のろのろと洗面台へ出る。うっかりそのままエレーナが落としたガラスのネックレスを持ってきてしまったことに気づき、後で返そうと思う。
煌びやかな鏡に映った自分の顔は、眉が見たことないくらい下がりきっていて、なんともみっともなかった。
(……現実のストーリーは漫画通りになった? これから私は死ぬの?)
ごめんなさいと、何度もエレーナに謝る。
考えがぐちゃぐちゃになり、まとまらない。
(私は、エドガーを好きなまま、生きてはいられない)
救いのない気持ちで首筋に手をやると、エドガーが剣を当てた部分が、今でも冷たいような気がした。
「?」
――ここで、違和感に気づく。
どうしても気になったので、身体をひねり首筋を鏡に映すが、「あるはずのもの」がない。エドガーは確かに、ピッタリと剣の刃をアイスローズの首筋にそわせた。アイスローズはエドガーの尋問中に、確かに身体をビクリと震わせたのに、ほんの少しの傷もないのだ。天下のエドガーの愛剣が、切れ味悪いはずない。
だとすれば、エドガーはアイスローズが震えた時、アイスローズの首筋が切れないように、彼女の動きにあわせて剣を動かしたことになる。
(なんだってエドガーは、疑わしい私にそんな繊細な配慮を……)
アイスローズの口から、言葉が漏れる。
「だ、だってそれじゃあ、まるで」
エドガーは明確に、アイスローズを傷つけるつもりがなかったことになる。
何かが胸に引っかかり、ドクンと心臓が大きく脈打つ。だとしたら、エドガーがアイスローズに剣を突きつける直前に、あんなことを言った辻褄が合う。
『私は今度こそ、何をしてでも、君を助けるつもりでいる』
最初から疑ってなんかいなかった。エドガーは『演技で』アイスローズを脅した。確かな理由は分からない。分からないけれど、例えばアイスローズが、「事情を言えない理由」を「誰かに義理立てているから」と仮定した、からで。
だから力づくで、アイスローズの口を割らせようとした? エドガーが悪役になることで、アイスローズが罪の意識に苛まれないように。
アイスローズはその場でうずくまり、顔を手で覆った。
しばらくの後、アイスローズが顔から手を外した時、鏡に映る紅い瞳はキラキラとした光を取り戻していた。
次回から反撃。




