39.悪役令嬢殺人事件
クリスティーナ・ロイドは銀行からの帰り道、柵が壊れていた運河に落ちたのだと言う。その日は奨学金が振り込まれる日で、彼女は徒歩で出掛けていた。溺れかけたところを直ぐに助けられたのだが、クリスティーナおよび一緒にいたシスター・通り掛かりに彼女を救助した騎士いわく、白い幽霊のような影を見たと証言している。そのことが「踊る亡霊」の怪文書と紐づけられ、メアリ嬢・モード嬢の事件との連続性がセンセーショナルに報道された。
「どう、して……!?」
アイスローズはパトラが持ってきた新聞をちぎれるほど握りしめた。アイスローズはクリスティーナを「北の村での被害」から守ったはず。
しかし、後日クリスティーナは結局溺れかけている。何故。今まで事件の日にちがずれたことはなかった。
「まさか……本当に亡霊が!? い、いや、『王太子少年の事件日和』はそういう不思議要素がある漫画じゃなかったはず! そんな路線変更、炎上しちゃうし!」
アイスローズは自室に一人こもり、仮説を立てた。
(だいたい、犯人はどうやってクリスティーナの行動予定を把握したの? 修道女たちがグル? あるいは――)
クリスティーナはなんらかの事情で「踊る亡霊」の被害者になれば、エドガーに会えると知った。彼女こそがまさかの悪役で、虎視眈々と王太子妃を狙っていて、自作自演で事件に巻き込まれた。
だとしたら、メアリ嬢とモード嬢の事件はどうなる? 修道院でのアリバイを確認する必要があるが、朝の祈りの時間や聖なる読書の時間は、個人行動だと聞く。不可能ではなさそうだ。
あるいは、クリスティーナの事件だけ、模倣犯として、行った?
「いや、あのクリスティーナに限って……あり得ない! と思う……」
そこまで考えて、アイスローズは首を振る。
クリスティーナに関し、一緒に過ごしていて怪しい点・気になる点はなかった。
強いて言えば……、アイスローズは修道院からの帰り道、馬車でのパトラとの会話を思い出す。
「ねえ、パトラ。そういえば、修道女がアクセサリーをすることは珍しいわよね」
「クリスティーナさんのカメオですか。確かに、修道女たちがアクセサリーをすることは珍しいことですね。しかし、形見とかであれば別物でしょう。よほど大切なものかもしれませんね」
見たところ、クリスティーナの襟元に飾られた青いカメオは「女性の肖像画」だった。
形見? だとしたら、誰の? 事件に関係あるかもしれないし、ないかもしれない。
アイスローズは歯を噛みしめる。
(漫画内でエドガーはどう推理したのかしら。少なくとも、クリスティーナの被害からアイスローズの死まで、犯人は特定出来ていなかったようだけど)
――きっと最後には、鮮やかに解決したんだろう。
(見たかったな)
アイスローズはベッドにボスンと倒れこむ。令嬢としてはあり得ない姿だが、今は誰も見ていないから良いだろう。
アイスローズはヴァレンタイン邸の自室で殺されていた。第一発見者は、「踊る亡霊」を見たというアイスローズの話を聞きに来た、エドガーと使用人たちだ。そして、彼女の脇には、砕け散った「ガラスの薔薇」があった――。
王城での勉強会を提案したのは、その日アイスローズは、ヴァレンタイン邸にいないほうがよいと考えたから。ガラスの薔薇も当然自室に置いていく。事件(予定)当日、無敵の主人公エドガーから片時も離れなければ、安全なはずだ。エレーナもいてくれる。
それでも。
(犯人を……犯人を特定して捕まえない限り、被害は止められないんだ)
何日も考え続けた。
気がつけば、アイスローズの横顔に朝日が射していた。答えを出すには、あまりにも時間が足らない。
「……」
アイスローズは、ノートに「ある一文」を走り書きした。そのページをペーパーナイフで切り取ると、今日着る予定のふんわりしたワインレッド色のドレスのポケットに入れた。
ほとんど眠れなかったその日、王城から迎えの馬車が来た。今日は満月。エドガーとのお泊まり王城勉強会である。
そして、漫画の【悪役令嬢殺人事件】でアイスローズが殺される、前日でもあった。
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「え、エドガー様の部屋で??」
「アイスローズが王城を指定したんだろう」
アイスローズは動揺した。確かに、王城で勉強会したいと言ったのはアイスローズだが、王城内の図書館や会議室などを利用させてもらうのだと思っていた。
しかし、当日。エドガーが用意してくれたのは、なんとエドガー自身の部屋だった。エドガーの部屋といっても、ドアが幾つもあってもちろんベッドルームなどは別にあるが、主に勉強に使っているという部屋に案内された。
アイボリーのアラベスク柄のような壁紙に、床は青い絨毯が敷き詰められている。歴史がありそうな木枠の、大きな窓からはふんだんに光が差し込み、美しい空間を照らす。壁際にエドガーの勉強机(?)があるが、机上には何も出ていない。
(仕事ができる人ほど、机上が綺麗な説……!)
部屋の中ほどには、この日のために運び込まれたであろう、みんなで使える一枚板の大型テーブルがあった。
エレーナとヴィダルも、約束通り来てくれていた。エレーナは小花柄のワンピースにグリーンアップル邸の時と同じガラスのネックレス、ヴィダルはベージュのジャケットに細い紺色のループタイをしている。
二人とも王城内にこんなに深く入ることはなかったようで、最初こそガチガチに緊張していたが、勉強を始めてからは次第に表情もほぐれていった。エドガーはどの科目に対しても「無敵の主人公」だったし、ヴィダルは歴史と外国語が好きなようでアイスローズが知らない小話を沢山教えてくれた。エレーナは頭の回転が速く、内容を着実に理解していくので教えがいがあった。
気がつけばあっという間に夜も更け、エレーナとヴィダルは机に上半身を預けて眠っていた。机の上には差し入れされたココアのカップがあり、ぶつかって溢さないように退かす。アイスローズは二人に、冷えないよう肩から毛布をかけてあげる。
(私の都合でエドガーにこんなお願いをして、エレーナとヴィダルも巻き込んでしまったけど、楽しそうにしてくれてよかった……)
アイスローズは微笑んだ。
とはいえ、【悪役令嬢殺人事件】が頭から離れることはない。部屋内に用意されたお菓子や飲み物も、口にする気持ちになれなかった。エドガーたちは心配してくれたが、「楽しすぎて、胸もお腹もいっぱいなんです!」で、押し切っている。準備してくれた人には、申し訳ないと思う。
そして今は、ひたすら外国語の教科書を眺めていた。しかし、視界に入っているだけで全く頭に入らない。静まり返った部屋にいると、定期的に恐怖感に押しつぶされそうになる。
「こ、この椅子、座り心地いいですね!」
思わずアイスローズは、テーブルの斜め前に座っているエドガーに話しかけてしまった。エドガーは少し驚いたように頬杖を外し、アイスローズを見た。
(わ、まずい! 急に脈絡のない話を振ってしまった……)
「気に入ってくれたなら良かった。よければ、アイスローズにあげようか? それは一点物だから、私がいつも使っている中古品しかないが」
「え、いや、エドガー様のお気に入りを取るつもりではなく」
意味なく出した話が予期しない流れになったので、慌てて話題を変える。
「エドガー様は、眠くないのですか?」
「別にそうでもない。アイスローズもよく頑張るな」
エドガーはノートで計算問題を解いていたが、完全に手を止めた。
「申し訳ありません、お邪魔をしたかったわけじゃないです」
「いや、ちょうど良かった。一区切りだ」
部屋の扉一枚挟んだ外には、夜間の護衛がいるのだろう。ジイやジョシュも控えているかもしれない。しかし、しんとした広い部屋の中で、起きているのはエドガーとアイスローズだけだと思うと、何だか緊張してしまう。
バルコニーに面した窓は眺めが良く、数時間前にみんなではしゃいで星空を眺めていたから、今はカーテンが開いていた。
二人は、窓際の低いテーブルを挟み向かい合わせに並んだソファーに移る。エドガーは伸びをした。彼はジャケットを脱いだ状態でカーディガンが似合っている。
先に口を開いたのは、エドガーだ。
「ある修道院のイベントで変わったスープが好評だったと聞いている。アイスローズも参加していたとか」
「え、エドガー様の耳に入るほど、そんなにあの豚汁は噂になっているんですか」
「トン汁というのか。私もいつか、食べてみたい」
エドガーも味噌に関心があるらしく、アイスローズが仕込み方やパトラの研究について話すと、興味深そうに聞いていた。そんなに気になるなら、味噌はあとちょっぴりだけ残っているから、振る舞ってあげてもいいかもしれない。
「それにしてもこんな夜更かし、モルガナイト王国の舞踏会以来です」
アイスローズは夜明け前の、最も暗いであろう空を見ながら言った。
「そうだな、来年社交界デビューしたら、シーズン中は夜な夜な、夜会やら舞踏会で大変だろう」
(来年、か……)
エドガーの、当然アイスローズがいるかの様な口ぶりが嬉しくて、切なくもあった。
身体の震えを隠すために、口を付けかけたカップをテーブルに戻した。
「『踊る亡霊』は、今日も出るんでしょうか」
「意外だな。アイスローズは、霊を怖がるタイプか」
エドガーは飲んでいたココアを置き、アイスローズを見る。
「実際に、複数事件が起きていますから。先日もクリスティーナ・ロイドさんが被害にあったと新聞にありました」
「痛ましいな。彼女には、明日見舞いに行く予定になっている」
「……王城側では、犯人に目処はついているのでしょうか」
「私が知っている範囲では、まだだ」
そうですか、とアイスローズは消沈する。
「気になる?」
「え、」
「アイスローズが今日……心ここにあらずなのも、王城で勉強会を希望したことも、君の『言えない事情』は、この事件に関係している?」




