35.作者VS読者
アイスローズは身支度もせず、寝巻き姿のまま机に飛びついた。引き出しからノートを取り出す。もちろん、事件について記録するためだ。
【悪役令嬢殺人事件】のストーリーとは――。
王都に怪文書が流れた。差出人は「踊る亡霊」。内容は「王太子に近づくな、さもなくば呪いがかかる」というもの。伝説に沿った子供じみたイタズラと思われた。
「えーと、その元になった伝説って確か……」
昔むかし、王子に恋をした平民の少女が王城舞踏会に憧れた。しかし、貴族の身分がなければ舞踏会に招かれないことを知る。失意のあまり彼女は自ら命を絶ち、夜な夜な王城のダンスホールで踊っている……という都市伝説だ。
しかし、実際に連続して女性が不幸に見舞われる。
一人目の被害者は、メアリ・マードック子爵令嬢。散歩中、あり得ない場所から頭上に植木鉢が落ちてきて、メアリ嬢はかすり傷だったが、従者パーカーが彼女を庇って転倒・捻挫している。
二人目は、モード・ホールダー男爵令嬢。彼女は誰もいない部屋で亡霊(?)の泣き声を聞き、驚きのあまり階段から滑り落ち、足をひどくくじいている。
三人目は、クリスティーナ・ロイド。彼女だけ貴族ではない。北のある村へ移動中、突如乗っていた馬が何かを見ておびえたように暴れ出したため、泉に落下、溺れかけたところを救助されている。
怪我をした女性には、それぞれエドガーがお見舞いに出向く。怪文書に「王太子」というワードがあるため、実際には事情聴取も兼ねている。
なお、エドガーが直接訪問していることは極秘にされた。被害に遭った女性は、平民であるクリスティーナ以外、アイスローズと同じ社交界デビュー前で結婚適齢期間近である。戦略的な貴族は、エドガーとの縁ができたことで、むしろ娘が怪我して良かったなどと言い出しかねず、模倣犯が出たら困るからだ。
アイスローズが襲われたのは、クリスティーナの次になる。アイスローズの亡骸が、割れたガラスの薔薇とともにヴァレンタイン邸で発見されたのは昼間で、その前日になる「満月の夜」、彼女は生きていた。漫画の描写で、月をアイスローズは見上げていたから。
アイスローズは、ノートから顔を上げた。
エドガーはアイスローズに対してのみ、「被害にあう前」に会いに来た。それは、エレーナへの意地悪を注意しに来ただけと思っていたが、本当の目的は、アイスローズが「踊る亡霊」を目撃したと言い出したから、話を聞きに来ていたのだ。
――「悪役令嬢」アイスローズは、何よりエドガーに近づきたかった。
漫画では、丁度その頃、エレーナのクローバーのネックレスがエドガーからの贈り物と知り、激しく嫉妬していた。
(何らかのルートで「踊る亡霊」に襲われたらエドガーに会えると知り、嘘をついた? あるいは、本当に「踊る亡霊」を目撃したのかしら。そして、エドガーに話をする前に、殺された)
ここまで書き留め、アイスローズは汗ばんだ額に手を当てながら、ようやく肩に入っていた力を少しだけ抜いた。
「エレーナが襲われることはなさそうね……あんな夢を見たから心配していたけれど」
アイスローズの次の被害者になったとも考えられるが、本作の連載で一つの事件は長くても5〜6話で完結しており、そこから推察するとそれほど事件は続かないはず。
何よりエレーナは強いし、彼女にはエドガーがいる。エレーナに何かをしようとした犯人は、大体返り討ちにされているし、それ以外は既の所でエドガーに助けられている。ましてや、ヒロインだから、今後のストーリー展開上命に何かあるとは考えにくい。
(私は「悪役令嬢」である以前に、読者よ。まだ何も掴めていないけど、読者だからこそわかることもあるはず)
アイスローズはひとまず着替えることにし、パトラに直近二週間分の新聞を持ってくるようお願いした。
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「なんてことかしら……!!」
朝食はパスし、パトラに買ってきてもらった新聞記事を隅々まで読み漁ると、メアリ嬢とモード嬢に関しては、既に事件後であったことがわかった。いずれも5センチ角に満たないごく小さな記事で、情報操作されているのか「踊る亡霊」については書かれていない。
アイスローズの記憶が早く蘇らなかったことが悔やまれ、心の中で謝る。
(みんな怖かったわよね、痛かったわよね、ごめんなさい……!)
オールデイカー事件を思い出し、身震いした。
アイスローズの記憶では、クリスティーナ・ロイドは貴族ではない。そのため、アイスローズの貴族の名前知識は役に立たない。ロイドという姓もありふれているものだ。
クリスティーナは、亜麻色の髪を前髪センター分けのショートカットにし、吸い込まれそうな瞳を持つとんでもない美少女だ。わずかに三白眼気味なところもアンニュイで、彼女のミステリアスさを引き立てている。漫画の世界だけあって、エレーナもアイスローズもかなりの美形であるが、彼女はわざわざ漫画のナレーションで「群を抜いた美貌」と表記されていた。
もう一つ、漫画でこれだけ特徴的な人物に描かれているクリスティーナは、【悪役令嬢殺人事件】において、特に重要な立ち位置にあるのでは、と考えている。単なる一被害者だったら、ここまで詳細には描かれないはずだから。【悪役令嬢殺人事件】回は「王太子少年の事件日和」の最後を飾る事件だった。
(だから、なんとしても彼女を見つけ出して会ってみたい……そうだわ!)
 




