2.最初の事件②
記憶にある「王太子少年の事件日和」には、いくつも事件が出てくるが、決してハッピーエンドばかりではなかった。エドガーは幼少期から類まれなる洞察力を持っていたが、10才のときに意図せず父親である国王の不倫行為に気づいてしまい、誰にも相談できないまま、母親の王妃は病死してしまう。この国では側室は認められていない。
以来、初期のエドガーは人にむやみに構わず、最低限の感情しか出さない性格になっていた――というキャラ設定があったんだっけ。
漫画と同じことが現実に起きていたんだとすれば、実際のエドガーのつれない態度にも納得がいく。
母親がいなくなったエドガーには、この父方の親戚であるバーサ・グリーンアップルが母親代わりだった。そして、そのバーサを【最初の事件】で失う。
エドガーが本気を出していれば未然に防げたかもしれない事件であり、エドガーは大変悔やみ、嫌っていた自分の「推理の才能」を受け入れるキッカケになったのだ。
✳︎✳︎✳︎
どれだけ時間が経っただろう。日が天辺より傾いている。ガーデンパーティーがあと少しでお開きになるタイミングだ。
(まずい、まずすぎるわ……!)
社交をする余裕が無くなっていたアイスローズは人の輪に入らず、会場を見渡せる位置にいた。エドガーに従者が近づき、締めの挨拶を促す動きが見えた。皆の視線がエドガーに向きそうになり。
「あ……あの、私、お手洗いに行きたいのですが」
一番側にいる使用人に声をかけたつもりだった。しかし、ちょうど雑談の狭間だったようで、意外と周辺に響いてしまった。このような公式の場で、そんなことを大衆に知られるのは恥ずかしい。アイスローズが目指していた「完璧な淑女」は、そのようなことはしない。周囲の者たちは何事かと動きを止め、こちらを見ている。
15年間この世界で生きてきて令嬢としての嗜みは理解している。
手の平が異常に湿り、気分が悪い。
(だけど、それでも)
会場で離れていてもエドガーがどこにいるかわかる、圧倒的な存在感。「王太子探偵という戯れ」はアニメ化もされた人気作品だ。
(そんなエドガーに幼い「元私」は夢中になり、漫画のイラストを幾度となく真似して描いたわ。彼のようにカッコよく、周りの人を救うヒーローになりたいと思ったっけ)
その思いは大人になるにつれ、漫画と現実世界の違いを知り、あっさりと散っていったけれど。アイスローズは苦笑いする。
みんなのエドガーの心を守れるのは、アイスローズだけかもしれないのだったら。
(変えられるのは、いつだって今!!)
アイスローズは目をカッと見開いた。
それからは、もはやヤケクソである。
お手洗いを案内しようとするグリーンアップル邸の使用人たちを全力で無視し、屋敷内へとズカズカ進む。
(確か、入口向かって右奥の部屋!)
――その書斎はキチンと整えられ、シックな小花とベージュのストライプの壁紙、中央には大きめのペルシャ風絨毯、壁際には一面マカボニーの立派な本棚が備え付けられていた。
そこでアイスローズは手の甲を額に当て、貧血を起こした……フリをして転倒した。
「アイスローズ嬢っ!? 大丈夫!?」
追いかけて来ていたバーサや使用人たちが、悲鳴に近い声を上げる。バーサは慌てて使用人に、気付け薬を取りに行かせる。この世界では、女性たちはみんなコルセットという上半身を締め付ける下着を着用している。ゆえに、失神や倒れること自体珍しくない。
しかし、アイスローズの場合、転倒後のポーズが大袈裟だった。
アイスローズは床に敷かれている絨毯をぐしゃぐしゃにし、スライディングしたかのように寝そべっていた。勢いのあまり、絨毯の端に乗ってた、中型チェストの位置がずれてしまっている。
(……間違いないわ)
明らかに引いているバーサを差し置き、アイスローズは確信した。
こきゅ、と息を飲み、そのままゆっくりと上半身を起こす。床に座ったまま、バーサを見据えて言った。
「不思議ですわ」
バーサにしてみれば、ご令嬢が床に座り込むなんて、あり得ない事だろう。
「不思議って……何がかしら」
見開いていた目をぱちぱち瞬きし、よくやく我に返ったバーサが口を開いた。バーサは、アイスローズが怪我をしていないか心配してくれたが、それどころではない。
「このチェストが元々あった場所の、チェストの真下になっていた絨毯を見てください。インクのシミがくっきりとあります」
「あら、本当! でも何故かしら、ユースタスはすっかり綺麗にしたと言っていたのに」
バーサは狐につままれたような顔をする。
「ユースタス様は、『絨毯のシミを落としたんじゃなくて、隠した』のではないかしら」
「? どういうこと?」
「それは――」
「だとしたら、一体何のためにですか?」
バーサの問いに答える前に、書斎の入り口から明るい男性の声が聞こえてきた。
アイスローズたちが振り向くと、先程エドガーの側にいた若い従者の姿があった。そういえば、彼も漫画に出ていたなと思い出す。名前は――ジョシュ・クレイツ(17歳)。榛色の目にトレードマークのオレンジ色の長髪を縛っている。そしてジョシュの後ろに見えたのは、彼の主。
「エドガー! ……じゃなくてエドガー殿下!」
思わず読者感覚でエドガーを呼び捨てしてしまい、慌てて口を手で押さえる。しかし、無敵の主人公・エドガーは眉一つ動かさない。
(な、何故、今彼らがここに。)
「同じようなシミがもう一つあったのでは?」
ジョシュはアイスローズに視線を合わせるようにかがみ、愉快そうに言った。
アイスローズは一瞬だけ眉間を寄せた。
予想外の人物たちが現れたが、ここで引き下がるわけにいかない。気持ちを仕切り直し、先程のシミがあるところとは反対側になる絨毯の角を指差した。そこにはよく見ると、チェストの下に元々なっていたと思われる、四角く凹んだ跡が残っていた。
「あ」
ジョシュとバーサは声を上げた。しかし、すぐ首を傾げるバーサ。
「消してもらったはずのインクのシミはチェストの下に残っていた。本来チェストの下にあったはずの凹みは反対側にあった。どうなっているの? ユースタスは何をしたというの?」
アイスローズは目をギュッと閉じながら、祈るような気持ちで続ける。
「これってつまり、絨毯は一度剥がされたってことじゃないかしら」
「床下か」
エドガーが呟いた。
言いたかったことを先に声に出され、アイスローズは驚いて目を見開く。
みんなで絨毯を全てめくり床を見ると、丁度部屋の中心になる床板に、四角い枠のように切れ目が入っている部分があった。隠し扉である。
「このようなもの、あったなんて知らなかったわ」
「切り口が新しい。最近作られたんじゃないかな」
驚きを隠せないバーサに、エドガーは床に目を留めたまま答えた。
ジョシュが注意深く開けた隠し扉の中には、黒いビロードに包まれた輝かんばかりの半冠……――精巧な彫刻に金色の19個のトパーズが光る、紛う事なき「ティアラ・カーライル」が鎮座していた。
「まさかバーサ様が窃盗を!?」
「んなわけないでしょう!」
「できるのはユースタスしかいない。掃除するフリをして、インクのシミをチェストの下に隠し、稼いだ時間で床を加工してティアラ・カーライルを隠したんじゃない?」
ジョシュとバーサに対し、ちょっと疲れたようにエドガーが答える。
「でも、こんなところにしまって、ティアラを回収する時はどうするつもりだったのかしら? 執事とはいえ、私のプライベートな書斎に長居はできないでしょう」
ここでアイスローズは仕掛ける。
「取り急ぎ、人を呼びましょうか」
皆から少し離れた場所にある、天井から垂れている呼び出し用のベル紐を掴み、数回引く。
「!」
エドガーは頭を上げ、ベルの紐の「付け根」を見上げた。渋い顔をするエドガーに、ジョシュがどうしたのかと促す。
「……ベルが加工され、鳴らないようになっている。これは、わざわざ見上げないとわからないな」
「えっと、それはつまり??」
動揺したままの、バーサが問う。
きょとんとした「フリ」をするアイスローズ。
「ティアラ・カーライルの回収時、万一バーサと遭遇したら、呼び出しベルを鳴らされないよう、細工していたのだろう。人が来る前にバーサを」
途中で言葉を止め目を細めたエドガーに、ジョシュが緊張感を走らせる。
「ユースタスは最悪、バーサ様を殺すことも厭わなかったということですか」
「あの野郎、一発締めるわよ!」
「バーサ様、お言葉遣いがいつもと違うっ」
バーサが勢いよく部屋を飛び出して、慌てたジョシュが追いかけていった……。
✳︎✳︎✳︎
部屋にはアイスローズとエドガーの二人が残され、室内は窓の外からの音しかしなくなった。グリーンアップル邸は歴史的建造物でもあり、今更気づいたが、室内には重厚な空気が流れている。
エドガーはバーサとジョシュが出て行ったドアに顔を向けたまま、ピクリとも動かない。
「……」
「……」
何となく彼から「動くんじゃないオーラ」が放たれている気がして、アイスローズは書斎から出るタイミングを失っていた。
「今日は私を王都に送るため屋敷内の人が減る。私の訪問後がユースタスの逃走とティアラ取り出しの機会だった、んでしょ?」
いきなり振り返ったエドガーに話しかけられ、目を丸くする。すごい、漫画を読んでいないのに正解している。