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23.見えないこころ

「アイスローズ様、もし今後危険なことがあれば、私を連れてってください! アイスローズ様を傷つけるものから、お守りしますから」

 

 今、アイスローズは王城病院の個室にあるベッドにいた。部屋は病院とは思えないほど広く綺麗で、趣味の良い調度品で飾られている。パトラも別の部屋に入院している。

エレーナは涙ながらに、アイスローズのベッドに乗り上がる勢いだ。エドガーたちから口外できる範囲で事情を聞いたのだろう。


「ありがとう、エレーナさん。そう言ってもらえると、色々心強いわ」


エレーナはわざわざお見舞いに来てくれたのだ。彼女は「アイスローズ様が、最近騎士団訓練場にいらっしゃらなかったのは、お悩みがあったからなのですね」と理解しているようだ。


 オールデイカー宅で負傷したアイスローズとパトラは、その後王城に運ばれた。そのまま二人は、駆けつけてきたレオナルド・ヴァレンタイン公爵と――特にアンナマリアに、しこたま怒られた。側にいたジョシュがちょっと引くほどに。

しかし、アンナマリアは怒りを露わにしながらも目には涙を浮かべていた。「貴方たちに万一のことがあったら、わたくし、生きてはいられなかった」と。

ここまで両親に心配をかけ、さすがのアイスローズもとても反省し、心から謝った。


 容態が落ち着いたパトラから全てを聞いた彼らは、もちろんオールデイカーにも怒っていた。アンナマリアは自身が経営するサロンで、オールデイカーを絵画界から追放するよう情宣するわ、と息巻いている。この様子では、パトラの不名誉になる絵についてや、二人の住居不法侵入については、表沙汰にはならないだろう。


エドガーはレオナルドとアンナマリアに、怪我の具合からアイスローズとパトラを王城病院で手当てさせて欲しいことを、丁寧に説明してくれた。アンナマリアは彼がアイスローズたちを救ったことをこれ以上なく感謝しつつ、エドガーと横にいるアイスローズを見比べて何を誤解したのか――「グッジョブ、がんばれ」と親指を立てて、まだ心配そうなレオナルドを引きずって帰っていった……。


そこから3日。エドガーには会っていない。最後、アイスローズの記憶にある彼は、怒っているように見えた。


(それはそうよね。知らなかったとはいえ、住居侵入の片棒を担がされたんだから。心配させるなとも言われていたのに)


次に会ったら、正式に謝罪と御礼をしなければならない。処罰があれば甘んじて受ける。

それから、ずっとエドガーの目の前で泣きじゃくっていた自分を思い出す。記憶が正しければ、彼はアイスローズが馬車に運び込まれるまで、ずっと側にいてくれた。


(あれじゃあ、令嬢失格よ! 今世の血が滲む令嬢教育が台無しだわ! 人前で泣いて良いのは、小さい子だけだと習ったじゃない。あんなことをすれば、エドガーもそりゃうんざりするわ、言語道断!)


 悶絶しているアイスローズを心配したのか、エレーナは手元からそっと何かを取り出した。

「あの、もしよければ、アイスローズ様に差し上げたくてお持ちしました」

 エレーナは、綺麗に薄紙でラッピングされた、小さな平らな缶を差し出した。


「これは? ……この、ほのかで、たまらなく癒される良い香りは?」

アイスローズはもしかして、と鼻をクンクンさせる。

「私、自宅の庭で薬草を育てているんです。ハーブの勉強を独学でしていて。これは傷によく効く種類のもので手作りした軟膏バームです。是非、アイスローズ様にと」

「わあ! いつもエレーナさんからしている素敵な香りはこれだったのね。いただけるなんて光栄だわ、本当にありがとう!」

漫画では分からなかったエレーナの香りを、実際に自分の身につけられる日がくるなんて。


(これはもの凄く嬉しい! 色々浄化される気がする)


早速、切れた唇の端に塗り、他にもどこかないかしらと服を捲り上げたいアイスローズ。エレーナはそんな彼女をほころばせた顔で見つめる。


「将来は騎士団で、ハーブや漢方なんかを専門にした薬師になれたらと思っているんです」

「そうだったの……」

「みんなが、怪我を気にしないで鍛錬に取り組めるよう役立てればと。ゆくゆくは王城学園で学べたらよいのですが。学年的にはアイスローズ様やエドガー殿下と同級生になれますから、それを励みに受験勉強を頑張っているんです」


薬師になる夢は、恥ずかしいからエドガー殿下にもまだ秘密なんです、と人差し指を立てるエレーナは、なんとも言えず可愛らしい。


「大丈夫、エレーナさんなら合格できるわ」

アイスローズは力を込めて言った。

決して、適当に言っているのではない。「王太子探偵という戯れ」でエレーナはエドガーの同級生という設定だから、合格は間違いなしだろう。先の見えないアイスローズとは違う。エドガーとエレーナの制服姿での眩しい雑誌巻頭カラーが目に残っている。


体調がまだ完全ではないせいだろうか。自分で考えておいて、なんだか虚しい気分になる。

エレーナから視線を外し、もらったばかりの手元の缶を見下ろした。


(……ん? あらためて気づいたけど、エレーナからこの香りがいつもするということは、軟膏をいつも塗っているわけで)


アイスローズは勢いよく顔を上げる。

「エレーナさんはいつも傷だらけになるまで、訓練されているってことよね? エレーナさんは天才な上に、とても努力されているのね」

エレーナはちょっと目を丸くし、小首を傾げる。

「天才ですか……そうですね、自分ではよくわからなくて。なんなら、昔は言われるたび、そうじゃなければって思ってたくらいで」

「え、それはどうして」

褒め言葉で言ったつもりだったから、エレーナの返事は意外だった。つまらない話ですから、と首を振るエレーナに、アイスローズは続きを促した。


「ほんの小さな頃から、お父様が『エレーナは剣術の神様に愛されてるんだ。他の人がどんなに欲しくても得られないものを、生まれながらに手に入れたんだから、人のために使いなさい、大切に育てなさい』と言われてきました。実際、それから訓練訓練、毎日毎日です。祖母のお葬式の日にもですよ」

「オリバー様が……」

「でも、こんな剣術の才能なんて、言葉を選ばずに言ってしまえば、人間凶器になります。生来の私は争いごとも痛いことも苦手で、むしろ回避するために鍛錬しているだけです。メンタルが弱いんです」

エレーナは苦笑いしながら、肩をすくめた。

「この力が欲しいという人がいたら、あげられたらいいなって思ってました。どんなにか、こんなに強い娘じゃなくて、みんなと同じ普通の女の子だったらよかったなって」


ここまで語ったところで、エレーナは椅子の上で背筋を伸ばし、そのアメジストの瞳でアイスローズを真正面から捉えた。


「でも、アイスローズ様やエドガー殿下にお会いして、考えが変わりました」


「!」


「アイスローズ様やエドガー殿下も、生まれ持ったお立場をよく理解して、逃げもせず、より良いものになろうと、努力をされています。楽しいことばかりではないだろうに。お二人とも、気持ちが強いんです」


「ティアラ・カーライルのことも、ヴィダル様のことも、この度のことも……アイスローズ様が置かれたご事情は、平民の私には完全にわかりません。偶然、まずい場面に出会ったとしても、仮にあらかじめ何か予感があったのだとしても、必ずしも人って行動できないと思うんです。やはり怖いから。でも、アイスローズ様は違う」


「そういうのを格が違う、というんですね。きっと」

「エレーナさん……」

「私は、そういう人になりたい。だから、並べるのもおこがましいですが、お二人みたいに、こんな自分もきちんと受け入れて、強くなりたいと思ったんです」


(エレーナ、そんなふうに思っていてくれたんだ……)


エレーナは頬を赤くして、はにかんだ。随分過大評価をされているが、アイスローズは泣きそうになる。


恥ずかしくなったのか、ふいにエレーナは話を変える。

「そういえば、アイスローズ様は王城学園に行かれたら、何を学ばれるのですか?」

「え? えーと……??」

思いがけず聞かれたことに、答えに詰まった。今世のアイスローズの夢はエドガーと結ばれること一択で、同級生になることが目的だったから。


(あれ、そういえば、私は何をしたいんだっけ。事件後生き延びたとして、漫画の悪役令嬢アイスローズじゃなくて「私」は、何がしたいんだっけ?)


アイスローズは首を捻った。

結局、返事は出来なかったが、面会終了時間までエレーナと楽しい時間を過ごした。

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