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21.クレオとパトラ事件③

ノックは一階の玄関からのようだ。

しつこく続き、しまいにはオールデイカーの名前を大きな声で呼ばれた。やがて来訪者は去るかと思いきや、何度も、何度も続いた。


「こんな時間に誰だ」


オールデイカーはため息をついた。倒れたまま声も出せないアイスローズを見下ろし、少し離れた場所でぐったりと座り込んでいるパトラに話しかける。

「安心したまえ、君のお嬢様にはこれ以上何もしない。だから、おかしな真似するなよ、下手に動けば足が砕ける。お嬢様が大事ならなおさらな」

オールデイカーはアイスローズとパトラに猿轡を噛ませたが、二人に抵抗する余裕はなかった。


オールデイカーは部屋の扉を閉めて、階段を降りていく。

アイスローズは扉の方角へ顔を向けた状態で、横向きに倒れていた。ゆらゆらした思考のなか、床に耳を当てていると、かすかに会話が聞こえてくる。


「夜分遅くにすみませんね」


(! ……この話し方は。 ……ということは、彼、が?)


 アイスローズの願望が聞かせた、幻聴かもしれない。ただ、彼がいるならおそらく『彼』もいるはずだ。鼓動が激しくなる。まさか、まさか――。


「貴方は、万年筆を王城で落としたようだ。大切なものかと思い、届けに来た」


(この声はエドガー……!!)


「確かに私のものですが、わざわざこれを届けに? エドガー殿下が直々に」

「御礼にお茶などいらないですよ。ああ、でもエドガー殿下がいらっしゃればそうはいかないですかね」

 ジョシュがしれっと督促する。ちなみに最初にオールデイカーに挨拶したのもジョシュである。


「殿下は自由になる時間を沢山お持ちなんですね。羨ましい限りです。私なんぞに、使用人にでも来させれば良いものを」

 オールデイカーは息を吐いた。


(うわあ、なんか嫌味……)


 アイスローズは、白目を剥きそうになる。

 エドガーたちに所在を伝えようと考えるが、身体が上手く動かない。もしパトラにこのやり取りが聞こえていたら、パトラも彼らに助けを求めただろう。しかし、彼女は床に上半身を起こし座っていたので、会話が聞こえず、客人が誰かも気づいていない。


「大抵、管理者はゆとりを持つものだ。責任ある立場の者は、不測の事態にも対応しないとならないからな。時間に追われているだけの管理者など無能に過ぎない」

 エドガーの受け流す声は、よく通った。そのまま続ける。

「しかし、来客中に申し訳なかった。私にも挨拶させてほしい」

「は、私一人ですが」

「そんなはずはない。入り口に足跡が残っていた、二人分。サイズから見て両方女性だ。一人は特に質の良いブーツ、さらに踵跡がクリアに残っていたからまだ新品同様だ。土だらけのところにそんな靴で躊躇なく踏み込めるのは、かなり裕福な高位のご令嬢くらいだ。私の知り合いかもしれない」


「……エドガー殿下が女性の履き物にそれほど関心があったとは驚きですな。しかしハズレです。恐れ入りますが、今日はこのままお引き取り願います。取り込んでおりまして。王太子ほどのお方が、一市民の自宅で無理にドアを蹴破るわけにも行きませんよね?」

 オールデイカーは冗談めかして言った。エドガーは声色を変えず答える。

「そうだな。だからこうして話をしている。勘違いされては困るが、これは相談でもお願いでもないよ、オールデイカー殿」


「命令だ」


 沈黙が流れる。

 オールデイカーは強い口調で言った。

「随分、権力をかざされるんですな。殿下がご存じのように、権力には責任が伴います。誤っていたらどうされるおつもりか」

「腹を切る」

「なっ、」

 即答するエドガーにオールデイカーは動揺したようだ。


「は、この国の王太子にとって命は随分軽いのですな」


(いや、違う。そうじゃないわ。ヴィダルの件から見ても、エドガーは命を軽んじない。絶対に自信があるんだ。自分の推理に)


 しばらくして、階段を上がってくる音がした。数分もないはずだが、アイスローズには長く感じられた。


 ドアがゆっくりと開く――かと思えば、オールデイカーは床に倒れていたアイスローズを無理やり引きずり起こし、背後から羽交い締めにした。そしてアイスローズの身体が当たった反動で、机から落ちたペインティングナイフをアイスローズの顔に当てる。


(なっ……)


「動かないでください。おや、さすがにお二人はアイスローズ・ヴァレンタイン公爵令嬢とは面識があるようですね」

 ジョシュとエドガーは瞬時に部屋の入り口で剣の鞘に手を掛けたが、アイスローズの様子を見て表情を変えた。


「ヴァレンタイン嬢のお顔を変わりないままにしたかったら、その剣を私の足元へ投げるんだ」


「それから両手を頭の後ろに回せ。馬車を一台いただきたい。ヴァレンタイン嬢と引き換えに、もう一人の女を連れて行く。貴方たちには、ヴァレンタイン家の使用人一人で、アイスローズ・ヴァレンタイン嬢の無事が約束されるんだ。悪い話でないでしょう」

 ジョシュはすり足で一歩引いた。手に血管が浮き出るほど力を入れている。

「エドガー殿下」

「いや、ジョシュ。オールデイカーのいう通りにするんだ。剣を置け」

 そう言いながら、エドガーはオールデイカーから目を離さない。しばらく、誰も動かなかった。

 が、エドガーはアイスローズを一度だけ、ちらりと見た。


(なに、エドガー……?)


 ジョシュはエドガーに言われるがまま、先にオールデイカーの前の床に鞘に入ったままの剣を投げ、数歩後退すると両手を頭の後ろで組んだ。続いて、エドガーが屈み自分の立ち位置から前の床に剣を投げ捨てる。そのまま上半身を起こしながら、のっそりと両手を上げた。オールデイカーは焦れたように言う。


「何をモタモタしているんだ、早く――っう!?」


 瞬間、エドガーは何かを投げ、それはオールデイカーの目に当たった。


「!?」


 息つく間もなく、エドガーはアイスローズの腕を強く引き、自分の胸に抱き込んだ。一歩後からジョシュはオールデイカーの背後に回り込み、彼を後ろ手に拘束した。

 カン、カン、カン……と音を立てて、何かが床を転がる。ガラスでできた白い半透明のチェス駒だった。一拍おいて、エドガーがオールデイカーに向かって投げたものだと分かった。


(何故、そんなものがここに)


「ヘラスカス・オールデイカー、貴方をアイスローズ・ヴァレンタイン嬢への傷害および、パトラ・カヴァネス嬢誘拐未遂の罪において、確保する」


 エドガーが良く通る声で言うと、オールデイカーは天を見て「ああっ!!」と嫌な大声を出した。しかし、間もなく縛り上げられると、諦めたように項垂れた。


 パトラを噛んでいる罠を確認し、エドガーは「鍵がいるタイプのトラバサミだな。さしずめオールデイカーの胸ポケットってところだろう」と急いでジョシュに声をかける。それから周囲を見渡し、側の皿やティーカップが乗っているテーブルに近づいたかと思えば、サッとテーブルクロスを引き抜き、パトラの止血用にとジョシュに渡した。


 次いでアイスローズを床に寝かせて、エドガーは側に跪く。

「アイスローズ、血が出ている。君も早く手当てを。全く何を考えて。アイスローズ?」

「……万年筆はオールデイカーが落としたのではなく、あらかじめ彼からスっておいた……のですね? ……自宅を訪れる口実が欲しいから」

「その通りだが、今はそんなことどうでも良い。動かない方がよい。間もなく応援部隊が来る」


(痛い、頭が揺れる)


 アイスローズが顔を背けようとしたところ、そっとエドガーに身体を固定された。彼の手つきは優しいが、眉間のシワが深く、エドガーは怒っている。危ないことをするなと言われていたのに。


 令嬢は人前で涙を見せるものではない。ましていい年をした令嬢は。

 涙も戦略的に流すのが、一人前の令嬢。アンナマリアに何百回も言われてきたのに。


「アイスローズ?」

「うっ……」


 目を閉じて、流れ落ちるのを防ごうとするが、溢れ出す量には敵わなかった。


(しかし、本当に終わったかと思った。本当に――……怖かった)


 はらはらと止まらない。エドガーから顔を隠したいのに、身体が震えてしまい、手を動かす力が出ない。涙は頬をつたい首の後ろに流れて、髪を濡らす。


「……ごめん、なさい……見ない、で」


 やっとの思いで絞り出した掠れたセリフは、エドガーに届いたのだろうか。


「っく、ひっく……」


 泣き続けるアイスローズを見下ろしていたエドガーだったが、ふと毒気を抜かれたように、肩の力を抜いた。そして、ジャケットを脱いで彼女の顔を隠すようにふんわりかける。

 エドガーは、応援部隊が来るまでアイスローズの側を離れなかった。

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